人生の目的は「そこにいること」。『最強のふたり』感想
あらすじ
首から下が麻痺した白人の大富豪・フィリップの介護人募集面接にやってきたのは、スラム街暮らしの黒人青年・ドリスだった。
面接に受かる気などさらさらなかったドリスだが、フィリップに興味をもたれ、彼の介護人として働くことになってしまう。
年齢も境遇も、そして性格もまるで違う2人が「最強のふたり」になるまでの物語。
「人生の目的は何か」と問われたらなんて答える?
ドリスは面接の際、そのあまりのやる気の無さから「お前の人生の目的はなんだ?」と聞かれてしまう。
それに対するドリスの答えは、『そこにいること。素敵な人生の目的だ』。
これを聞いて、うわっと涙がこみあげた。
「人生の目的」は崇高で生産的なものではならないという、最近の世界の風潮。実に息苦しい。
生きている人間に対して、「生産的な価値」を要求する社会。そんな世間の風潮を一蹴する、ドリスの言葉。あまりにもシンプルなのに、本質をついている。
この言葉を聞いた時、ずっと換気してなかった部屋の窓を開けて、わあっと風が入ってきた時のような心地になった。
人間は生産的で崇高に生きなきゃいけないなんて決められてないはずなのに。みんな本当は「そこにいること」が目的のはずなのに。
シンプルだけど気がつかなかった事を、ドリスが教えてくれた。
ブルジョワに悪い遊びを覚えさせちゃおう
そんな最高の言葉をさらっと言っちゃうドリスだが、彼はスラム街出身。
スラムなんて近づいた事もなさそうな白人の大富豪に、悪い遊びを覚えさせてしまう。
風俗とか……大麻とか……。
しかしこういう悪い遊びを通して仲が深まるみたいなの、とても男性的だなと感じた。
女同士だと、基本的に「悪いこと」をすると集団から弾かれる。それが自浄作用でもあり、女の無害さという意味では美点でもあるのだが、やはりクズである私としては息苦しい。
「悪いこと」を通じて仲良くなるという、男性ホモソーシャルによる男性という性別の暴力性、みたいな見方もできるのだけれど、まあ誰かを傷つける方向に向かわない限りはOKだと思う。
そのうち女の世界でも、「このあとは夫に内緒で風俗行っちゃおうよ」みたいなのが普通になったらいいなあ……世の男性みたいに……。
「差別しない」の本質
フィリップがなんでドリスを選んだかというと、ドリスがフィリップを「かわいそう」と思わなかったからだと思う。
私自身障害者で、私の周りにも障害者がちらほらいるのだが、健常者の人たちは私たちについて「かわいそう」と言ってくることが多い。
障害のある友人について「かわいそうなんだから〇〇してあげなきゃ」と別の友人が言っていて、ケンカになったことがある。本人は「かわいそうな障害者に同情してる私は優しい」と思っていたようだが、私からしたらそれは見下しに他ならない。
「やってほしいことがあるなら、自分で言えばいい」という私はその場では「障害者差別主義者」として扱われ、「これが健常者の感覚なんだ。障害者を人間だと思ってないんだ。」と絶望感でいっぱいになった記憶がある。
だからドリスのドギツイジョークは、健常者から見たら「なんてひどい!」って思うのだろうけど、当の障害者からしたら「あ、この人俺のことかわいそうだと思ってないんだ」と思って、それだけでめちゃくちゃ嬉しいと思う。
「障害者差別をしない」っていうのは、障害者を「かわいそうな障害者」として扱うことじゃなくて、「ひとりの人間」として扱うことだ。
フィリップにはドリスのそういうところが好ましいかったんだろうな。ドリスのフィリップへの態度は、健常者なら「障害者差別」、障害者なら「対等な扱い」って思いやすい傾向があると思うんだけど、そこがリアルでよく描けてるなあと思った。
おわり
はなから最高のセリフに出会えた、いい映画だった。
ちなみに本作は実話を元にした映画で、エンドロールでは実際の「ふたり」がどうなったのか知ることができる。
ドリスのブラックジョークは好みが分かれるだろうが、私はかなり好きなので必見だ。
「ふたり」の友情よ、永遠に。