定期演奏会、それぞれの想い
先日、歩いているとたまたま、
吹奏楽部が演奏している所に遭遇した。中学生だろう。
練習していた曲を、披露するステージが用意されていた。
私は中学に入ってから高校まで、吹奏楽部にいた。
だから思わず足を止めてしまったのである。
ステージに立つと華やかに見える世界も、実際には
毎日よく続けたな、と思うくらい地味な練習ばかり。
メトロノームに向かって、たった2小節のフレーズを
何十回、何百回と体に叩き込んでいく。
全体練習では、朝から晩まで1日中それが続く。
体育会系文化部と言われるくらい、
汗と涙が入り混じった努力を、
やっとこさ披露できるのが演奏会なのである。
演奏が始まると、あぁ沢山練習したんだなぁ、と
一曲目の冒頭で涙してしまった。明るい曲なのに。ポップスなのに。親戚の子がいるかのような面持ちですが、ただの通りすがりです。すみません。
そして自分が中学生の頃考えていたことを思い出した。
年に一回の定期演奏会に向けて、準備をする毎日のこと。
一生懸命練習するが、所詮は中学生。もちろんプロの演奏の方が聴き応えがあるし、全てが完璧。
そんな演奏を、自分の家族が聴きに来るのは分かる。
なぜ一般のお客さんも聴きにきてくれるのだろう。
ホールを無料開放しているから、ちょっと時間がある人が
来ているのかな?でも楽しみにしていると言ってくれる人もいた。なぜだろう…当時本気でそう思っていた。(可愛くない中学生だなぁ)
でも、今なら分かる。その一般で聴きに来てくれていた人達の気持ちが。一生懸命になって頑張っている姿が温かい感動を与えるのである。その一瞬、その空気感。唯一無二である。
これは、プロの演奏を聴いて感動するのとは違う。
完成された音楽そのもので感動するのと、
空間含めて大切な時間になっているのとは、
きっと感動の種類が違う。
そして、演奏後には元気をもらった。
あぁ、私ももう少し頑張ってみよう、と。
上手い下手ではない。
これが、中学生だった私の疑問への答えである。
みんな元気をもらいに来てくれていたんだな。
演奏する側、聴く側に立って初めて分かった、
貴重な体験であった。