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#79 「自分の才能」って何だろう。(偉人の名言に救われた話)

「あなたの才能って何ですか」と聞かれても、「これです!」って答えられるものが、正直ないです。

昔は、よく「才能があればな…」と思っていました。


当時読んでいた 森田まさのり先生の「べしゃり暮らし」という漫画で

「自分は面白くない」と思っている芸人さんが

「もし才能が売っているのなら借金してでも買いたい…」


というセリフを泣きながらつぶやくシーンがあるのですが、当時の自分の心境と重なって、ものすごく印象に残っています。


そのセリフの真意は分かりませんが、私はそのセリフを読んだ時

「借金は大変だけれども努力次第で、いつかは完済していくことができるゴールがあるものです。でも才能は違います。コツコツ努力をすればいつか手に入るものではありません。才能とは、努力などの次元をこえた特別なものなのです。」

と言われたような気がしました。
(セリフの内容と関係なく、この漫画自体はすごく大好きな作品です。)


当時私は、「才能」は「特別な人」にしか与えられないものなんだろうなと思っていました。

だからきっとこの人も、同じような気持ちで、悔しくて泣いているんだろうなと自分と重ねながら読んでいました。



でもいつの時期からか

「自分は自分でいいんだ」と「才能」というものをあまり気にしなくなりました。


それは宮崎駿さんの昔のインタビューを雑誌か何かで読んだからだと思います。

「才能とは情熱を持続させる能力のことだ」

宮崎駿


私は今でもこの言葉に救われています。


宮崎さんの話では、

「みんな誰しも『才能』を持っているんだけど、それに気づかなかったり、途中でやめてしまったりすることで自分には才能がないと思い込んでいる。才能とは自分のもっているこだわりや好きなことを、ずっと絶やさず続けていく情熱のことだ」

みたいなことを言っていたと思います。


その言葉を読んで、すごく励まされたのを覚えています。


私には特別なスキルや、話術もないですし、運動もそんなに得意ではありません。何かを理解するにも人より時間がかかってしまいます。


後輩と話していても、もっとこの人みたいにすらすら話せたらな、
もっとこんな風に面白いことを言って人を笑わせたいなとつい思ってしまいます。


でも「もっといい授業をしたい」とひたすら「授業について毎日考えること」だけは、自分なりにやってきました。


それが自分の「軸」になって、本を読んだり、勉強したりする原動力になっていったのだと思います。


また、「昨日より少しでいいからいい仕事をしたい」と毎日イメージしながら、仕事をしてきたことは、それはそれで「自分なりの良さ」だと思えるようになりました。


今までいろんな学校で仕事をしてきましたが、どこの職場でも、中心となってみんなを盛り上げられる人がいます。

私は昔からそういったキャラではありませんでした。
多分そういった才能はないのだと思います。

職員室で、何か影響を与えているわけでもないですが、自分の信念をずっと持ち続けて仕事をしていれば、それはそれでよいのではないかと、宮崎駿さんの話を聞いてから思えるようになりました。


「情熱」というものは人に見えなくても「自分の中」にさえあればいいものなのかもしれません。


「一人ひとりの先生の良さ」や「その人の見えない頑張り」が見える分、「そういった性格でよかった」と今は思っています。



なので、「才能」はなくても、「軸」「自分の教師として哲学」があれば多分「先生という仕事」はやっていけるのだと私は思っています。


私は周りから見てパッとするような仕事はしていないかもしれないけど、


人から与えられるものではなく、自分の力でつかむ「何か」をこの仕事の中で見つけていきたいです。



もし今「自分には才能なんて…」と思っている先生がいたら、


きっと大丈夫です。自分もなんとか楽しくやっています。


「自分が楽しいと思うこと」を何十年も毎日続けていけば、宮崎駿さんの言う通り、きっとそれは、誰にも負けない「才能」なのだと思います。


だから、これからも「こんな授業をできたらな」という理想はもち続けていこうと思います。


こんな独り言のような日記を最後まで読んでいただいてありがとうございました!


また明日から自分なりに頑張りたいと思います。


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