『こころ』はほんのりBLでミステリー小説でもある
最近、夏目漱石の『こころ』を読み直している。以前、仕事の必要上、一応ざっと通して読んでいた筈だったが、主に使うところは後半の一部分(上中下の下の一部だけ)だった為に、きちんとまるっと一冊を精読してはいなかったように思う。いや……ま、正確には「読んでも何年も経つと忘れちゃう」んだけどね。
当時、私は教材として『こころ』に取り組んでいた。それでよく隣の席の同僚というか先輩の方に、テーマや方向性を相談したり、確認したりしていた。すると、その方はポソっと
「これって要するにBLなのよね……」
と言われた。それまでそんな風に読んだ事なかった(なん10年前の話だす)私はびっくりしたのだ。本当に(BLという言葉すら新しかったしね)。
その方はBLと言われたが、正確にはBLではないのだと今は思う。そういうシーンは一切無い。ブロマンス? ……という定義にすら当てはまらないだろうとも思う。
「ただそう解釈して読むと腑に落ちるから、そうと思って読んでみ!」
とその先輩の仰るのに従って読んでみると、なるほど、上「先生と私」に出てくる「私」の「先生」に対するアプローチも、下「先生と遺書」の「先生」の親友「K」への対抗意識も、確かに同性の相手に対する憧れや思慕や嫉妬……として読むと合点がいく。
下「先生と遺書」は「先生」からの「私」宛の遺書だ。過去の出来事の告白と懺悔と言ってもいい。隠されていた真実の開示である。
そこに書かれていた内容はとてもショッキングな事だった。
「先生」と親友「K」は学生だった当時、同じ下宿に住んでいた。正確には親と考え方の対立をし、仕送りを止められて、行く当てのない「K」を「先生」が自分の下宿に誘って住まわせたのだ。
「K」は自身の信ずる道のためには非常に禁欲的だ。特に男女の恋愛などご法度という考え方である。とにかく学業に打ち込むタイプだ。
そんな中、次第に下宿のやもめの女主人の娘「お嬢さん」と打ち解ける「K」。しかし「K」は自分の道の為ならどんな厳しい修行でも課すようなストイックな哲学者だ。「K」は日頃、チャラチャラと浮ついた周りの学生などの事を見下していた。「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」そんな言葉で断じていた。そしてその責めの言葉は「先生」にも刺さっていた。
だが、やがて「先生」は「K」の苦悩を知る。
「K」の様子がおかしい。
なんと「K」は「お嬢さん」に恋してしまっていたのだ。
自分も「お嬢さん」が好きである「先生」はなんとかして「K」をやり込め、出し抜く事を考える。そう、自分を断じたあの言葉を使って「K」の事は責めた上で、自分はちゃっかり先に告白してしまうのだ。それを後で知った「K」は絶望するしかなかった……。
ここから先は、多分どなたも現代文の教科書で通ってきた道だと思うので割愛する。
結局、「先生」は自分の思っていたのと違う結果を得た。一生償うことのできない罪を背負うことになる。表面上は「お嬢さん」とは無事結婚するに至るが、二人の間に子どもはなく、おそらく結婚後、「先生」の目は「お嬢さん」には向いていない。悲しいことである。これじゃ「お嬢さん」は完全に当て馬で、本命の「K」君は死んじゃって「先生」のその後の人生は抜け殻なのだから。
で冒頭にもどる。
そんな、この世を儚みながら辛うじて生きている抜け殻「先生」に勝手に一目惚れして憧れて、お近づきになれたかと思ったら、全然鼻もひっかけられていなかった「私」。
それでも最期に「先生」に遺書を残されて、どんな気分だったろうか。嬉しい? 悲しい? それとも悔しいのかな? 切ない?
ということを頭に置いて、今私は恐れ多くもこの長編小説を朗読し始めている。
まだ上の4までしか読んでいないけれど(上だけでも36まである。ぎゃー!!)、stand.fmというところで、ゆるゆると読んでいるのでもしご興味のある方は、聴きに行ってみてくだされ。まだ「私」の好き好きビーム炸裂の序盤も序盤だ(とりあえず最初の一個だけ貼っておくとする)。
夏目漱石が恋愛小説家、て思ってない人も結構いるかもね。しかもミステリだしね。新聞小説だったから、これを追っかけて読んでいた当時の人達の反応も知りたいところだ。
了
ありがとうございますサポートくださると喜んで次の作品を頑張ります!多分。