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あまりにも切ない愛の物語「汝,星のごとく」をレビュー

今までnoteがおざなりになっていたが久しぶりに
書評を行ってみたい。


さて、皆さんは文学小説を読み
「儚くも美しい」と心の底から
思える経験と感動体験を
味わったことはあるだろうか?


私は、基本的に
感動体験とは程遠いサイコパス的な性格だと
いう認識をしていたのだが
(実際にnoteにその様な記載をした)

そんな私でも
「儚くも美しい」と心の底から思える感動を
もたらしてくれる作品についに巡り合ったのだ。


それが凪良ゆうさんが著者であり
「2023年本屋大賞受賞作」でもあり
その他数々の候補、受賞をしている作品。

「汝,星の如く」

という作品である。

本レビューを通じて何故私が
「儚くとも美しい感動体験を深く味わえたのか」
を共有させて頂きたいと思う。

まずは、あらすじからだ。

①簡単なあらすじ

ーーわたしは愛する男のために人生を誤りたい。

風光明媚な瀬戸内の島に育った高校生の暁海(あきみ)と
自由奔放な母の恋愛に振り回され島に転校してきた櫂(かい)。

ともに心に孤独と欠落を抱えた二人は、惹かれ合い、
すれ違い、そして成長していく。

生きることの自由さと不自由さを描き続けてきた
著者が紡ぐ、ひとつではない愛の物語。

ーーまともな人間なんてものは幻想だ。俺たちは自らを生きるしかない。

Amazonより引用

私自身が胸を打たれた理由は2点あると考えている

理由①


1点目は、
「自立する事の難しさを残酷に描いている点」
において胸を打つのだ。



自立とは一般的には
「親から離れ経済的に自立する」というイメージ
があると思われる。

最近ではこの自立が結構難しかったりもする。


何故なら,経済的負担が大きすぎるため
親元を離れられないケースが多いからだ。
(実際に5人に1人が貧困)


家族が貧困であるからこそ起こる
社会問題の一つがヤングケアラーの問題
である。
親の経済的負担を肩代わりして、
自分の人生を生きる事や自立が出来ない
若者が増えているとされている。


当作品の登場人物である「暁美(あけみ)」と「櫂(かい)」も
お互いに大人(親)がなすべき
ケアを彼等達が担っているヤングケアラーなのだ。


だからこそ、傷ついた魂同士が共鳴し必然的に
惹かれ合うのだ。孤独の傷を埋めるために・・・

その愛が芽生えるプロセスは美しくも儚く消えてしまう。
何故なら、母に対する経済的な援助を
余儀なくされるからだ。
暁美は櫂の上京に付いていく事が
できなくなってしまうのだ。

補足

暁美の母は鬱病を患い働く事が困難であり
父は離婚している事からもからも
離れる事が難しく、経済的負担を担い
徐々に限界を迎える悲痛な
叫びが以下の様に述べられている。

誰か私を助けて欲しい。
でも誰も私に触らないで欲しい。
私を弱い人間だと思い知らせないで欲しい。
私はこの島でお母さんを背負っていくと決めた。
今更その責から逃れようとは思わない。今になって逃げるなら
あの時どうしてすべてを捨てて櫂についていかなかった
のかと後悔してしまう。そしたら、お母さんやこの島を
恨んでしまう。そんなのはいやだ。
いやだけれどいつかそうなってしまうんだろうか?
私はもう溺れる寸前で必死にもがくけれど
どちらに泳げば水面に出られるかも分からない。

暁美の誰にも頼らず生きていく決意が
無情にも現実が彼女を追い詰める。

繋がりたい思いと、繋がりを断とうとする
「両価的な思い」を描き切る、上記の心理描写は
私としても非常に勉強になった。
(繊細なニーズを理解するという点においても)


その様な点において「胸を打つ」表現したのである。


※補足
本作品は「互助関係」こそが暁美が
生活の逆境から抜け出すきっかけとなるのである。

その「互助関係」は世間的には許されない
在り方(例えば不倫,互助会感覚の結婚等)
であたったとしても、お互いに助け合い
現実を必死に強く生きて、物事が好転していく
様相が,凪良ゆうさんの「美しい文体」も相まって
非常に胸を打ち美しいと感じるのである。

理由②


そして、胸を打たれたもう一つの理由は
「正しさに縛られない選択と共存(生き方)はあり得る」
という優しく勇気づける
メッセージ性が内包されている
という点である。


何故「優しく,勇気づけられたか」と言うと
「私たちは何かを誤る選択を意図的にしたとしても
それはそれで良い」というメッセージが
含まれていると感じたからだ。

上記を感じた描写を以下に紹介しよう。
これは、暁美がついに自身の選択で
島を出て自立する際の描写である。

島の皆にはわかってもらえないだろう。
母親はまた泣くかもしれない。
それでもわたしは明日死ぬかもしれない男に会いに行きたい。
幸せになれなくてもいいのだ。
ああ、ちがう。
これが私の選んだ幸せなのだ。
私は愛する男のために人生を誤りたい。
私はきっと愚かなのだろう。
なのにこの清々しさはなんだろう。
最初からこうなる事が決まっていたかのようなこの一切の迷いのなさは

本作品の冒頭のプロローグはおどろおどろしい
不倫関係を許容し合う登場人物の話から始まるのだ。
(不倫と言えば修羅場であり私の大好物だ)


最後にもう一度プロローグを見たときに
その見方が180度変化している事はお約束しよう。


私たちは時に誤り(悪手)と分かっていても
感情を打ち出す必要に迫られる。



暁美と櫂が不倫関係であったとしても
その選択の背景には彼ら彼女らの物語が存在し
正しさだけが全てではない事を本作品は
優しく私たちに語り掛けてくれる。


そして、暁美と櫂の関係は期限が定められているが
それでも彼らは、自らの選択で共に過ごす事を
選ぶのだ。それはまるで、夜空に散る花火の如く
儚くも美しいのである。

最後に

大変長い書評で恐縮であるものの
社会問題に対し明確な答えを打ち出し
かつ文体も美しくもはや非の打ち所がない
傑作なのは間違いないであろう。

とても儚くそれでいて勇気づけられる作品である事は
間違いないと私は考える。
特に最後の展開は涙なしでは語れない。

私が本作品を「儚くも美しい」と評した理由をまとめると
・一人で生きていく事の過酷さと言う点においての儚さ
・歪であっても協力して共に生きる事の美しさ
・私たちは、損や誤った選択するという点における儚さ
・それでも、あえてその様な人生を生きるという点における美しさ


そして「愛の儚さ」と「愛の美しさ」を
暁美と櫂の物語を通じ心が揺さぶられたのである。


以上が、私が考える「汝,星の如く」のレビューである。
ご拝読頂きありがとうございました。


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