kanesaka hiroki

〇問い合わせ:kanegonhawa@gmail.com 〇公認心理師×理学療法士 〇現在は就労支援に携わり中!! 〇心と体の健康を取り戻す,働く人のための職業リハビリテーションセラピスト

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理学療法士の私が心理支援職に至るまで

こんにちは、金坂大樹と申します。 理学療法士として回復期・慢性期病院や整形外科クリニックで約7年間  取り組む中で、令和3年2月に念願の公認心理師資格を取得しました。 現在は就労支援施設で利用者様に就労支援を行っています。 何故、心理支援を志したのか・・?私は元々心理支援をしたいという気持ちが学生の頃にありました。 普通の子供よりも劣等感や自己否定感が強く、周りとの コミュニケーションも上手くできなかった事から心理学を学びたい と考えていました。 また、「言いやすい」

    • あまりにも切ない愛の物語「汝,星のごとく」をレビュー

      今までnoteがおざなりになっていたが久しぶりに 書評を行ってみたい。 さて、皆さんは文学小説を読み 「儚くも美しい」と心の底から 思える経験と感動体験を 味わったことはあるだろうか? 私は、基本的に 感動体験とは程遠いサイコパス的な性格だと いう認識をしていたのだが (実際にnoteにその様な記載をした) そんな私でも 「儚くも美しい」と心の底から思える感動を もたらしてくれる作品についに巡り合ったのだ。 それが凪良ゆうさんが著者であり 「2023年本屋大賞受賞作」

      • コーチングの歴史が面白過ぎた件

        ご無沙汰です。 コーチングの講座を開催する機会が今週にあるのだが その歴史が面白過ぎたので少し紹介させて頂きたい。 コーチングの歴史を一言で表すのであれば 「新自由主義的(自己啓発的)市場を加速させるためのツール  であり援用としての歴史」だと私には感じられた。 もちろんこのコーチングに対する歴史観は 私の個人的主観であり絶対的なものではない事を 最初に付け加えさせていただきたい。 皆さんも疑問に思われていないだろうか? そもそもコーチングは何故ここまでの流行と 繫栄

        • 心理師からみた映画「夜明けのすべて」の感想・評価レビュー

          私好みの恐ろしく感情移入してしまった 映画をまたも見つけてしまった。 「日常」という営みの中で生きている私たちは 「日常」に時に苦しめられるが 時に「日常」に助けられる。 癒しをもたらす「日常」を再起動 するためには「分かり合う事」 同じ傷つきを共感し肩代わりしてくれる 他者が絶対的に必要だ。 その様な「良き理解者」が近くに存在して 寄り添い話を聞いてくれる、頑張りきれない, 努力では如何ともしがたい不条理性を共に悩み 一緒に傷つき、それでいて共に伴走してくれる存在 が

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          ノワール小説「黄色い家」にみる「夢」「金」の呪い的側面

          大みそかから元旦は一日中読書に明け暮れて いたが、まさかこの様な「ノワール小説」 に出会えるとは思いもしなかった。 心理師の過去の感想,レビュー記事は以下の 通りである。 本日紹介するのは川上未映子作の 「黄色い家」である。 1日立った今でも余韻が残っている程 印象的な作品だ。まず、以下があらすじだ。 主人公である「伊藤花」は自分自身の居場所 を、そして疑似家族を守るために奮闘するのだが 様々な問題が生じ追い詰められ 大切だった人までも傷つけてしまい 極限状態に陥る。

          ノワール小説「黄色い家」にみる「夢」「金」の呪い的側面

          母性社会日本が抱える「パワハラ」の病理を心理師が解説

          日本は「パワハラ大国」という不名誉なレッテルが 張られている。しかし事実として3年間で約3人に1人が パワハラの経験者だということが厚生労働省 職場ハラスメント実態調査で分かっている。 そもそも、「パワハラ」という言葉は 日本人により作られた「和製英語」なのだ。 英語では、「Workplace bullying (いじめ)」 「harassment」などと言うそうだが 日本の場合、職場いじめが深刻が故にハラスメント の種類が複雑化し海外以上に深刻な社会 問題として取り上げ

          母性社会日本が抱える「パワハラ」の病理を心理師が解説

          「すばらしき世界」にみる命の純粋性の尊さ

          特によかった映画やドラマを批評するシリーズ第2弾である。 前回の批評は下記の通り。 https://note.com/kanegonhawai/n/n708f9bd641d5?sub_rt=share_pw 今回の批評は「すばらしき世界」である。 「感動とは本来言葉で言い表す事ができない」というが 本作品を視聴し改めてその事を感じさせた。 役所広司演じる三上は様々な背景から 殺人を犯し刑務所で過ごす事になるが 全く反省する様子なく刑務所を出所するところから 物語が始ま

          「すばらしき世界」にみる命の純粋性の尊さ

          死にたい気持ち「破壊衝動(死の欲動)」について少し語りたい

          ①私たちの心にある「破壊欲動」 私たちに「外界や自己を破壊せしめたい」 という破壊衝動が存在すると言われれば皆さんは 信じるだろうか? 「心が病み」世界や自分そのものが信じきれなくなった 時,私たちは生命を維持する方向と真反対の「死」へと 向かう本能なるものが起動する。 現実世界においてこの「死の欲動」に飲み込まれる 事で、他者と関係性が病んでしまい ひどい場合には孤独・自傷行為に至るのである。 これも無意識がなせる業であり 無意識が求めているものが行動を掻き立てるの

          死にたい気持ち「破壊衝動(死の欲動)」について少し語りたい

          嫉妬はむしろ心地がよいものだ

          「嫉妬は可能性の疼きである」 上記は河合隼雄先生の言葉を引用させて頂いた。 私は普段から就労移行支援事業所で講師をさせて頂いているが 時々同業他社のリサーチを行っている。 私の様な講師業を生業として就職支援を行っている 人間はごまんといる事は頭では分かっていた。 しかし、公の場で活躍している場面や広告を見ていると 何だかむず痒さを覚えてしまうのは認めざるえない。 「おいおい、メンタルの専門家の講師だろ?  情けない、、」と言われても仕方がない・・ だって人間だもの

          嫉妬はむしろ心地がよいものだ

          いつから,「当たり前」が分からなくなったのか原因と対策を解説

          この記事を投稿する際にまず初めに 「なぜ若者たちは当たり前が分からないのか?」 という題名で自然に打ち込んでしまったがすぐに取りやめた。 当たり前が分からない事は「若者たち」だけではなく 日本全体の問題であると感じたからだ。 むしろ今の「若者たち」は礼儀正しくむしろ団塊の世代程 「暗黙のルール」を理解できていないという見方も 若者たちからみたらそうであろう。 ある理学療法士から聞いた話しであるが、病院の廊下を 歩く際に手をポケットに入れて歩くセラピストがいたそうだ。

          いつから,「当たり前」が分からなくなったのか原因と対策を解説

          「初恋、ざらり」から考える「ふつう」のもつ排他性と包摂性

          1話でここまで泣かせるドラマはかつてあったのだろうか。 まだ、3話までしか見ていないが、普段から障碍をお持ちの方にサポートをしている身としては、果てしなくリアルで「ふつう」のもつ暴力性、排他性を表現できている。 以下があらすじだ!! 「ふつうになりたい」 「ふつうの女性になりたい」 「ふつうにならなければならない」 しきりに「ふつう」という言葉を唱える上戸の言葉は 他人に理解されない孤独な世界で傷ついた心の悲痛な叫びだ。 「ふつう」でありたいと・・ 見ていて痛々しく、そ

          「初恋、ざらり」から考える「ふつう」のもつ排他性と包摂性

          心理師、オステオパシーを学びはじめる。

          「先生助けて下さい、頭痛がなくなりません」 「生理痛がひどくて事業所へ通所ができないです・・  こんなので本当に仕事ができるのか・・不安です」 さて、どうする・・。 上記の症候群を「心身症」とも呼ぶべきなのか。 ※心理・社会的要因によって生じる身体症状 「あなたの症状の原因はストレスです!  何か我慢しているのでしょう?話してごらん?」 と言ってよいものなのか果たして・・ ※講座を通して間接的に可能性として伝えるが・・・ とにかくPMSや痛みに関する講座を受講して頂い

          心理師、オステオパシーを学びはじめる。

          就労移行支援事業所の闇を語ってみた

          就労移行支援で働く理学療法士という肩書で今まで活動してきた。 もちろんとてもやりがいを感じるが一方で、障害をお持ちの方に対して社会的枠組み当てはまる様に支援する事に無理があるのではないかと最近感じている。 その違和感を払しょくするためにこれまでキャリア理論に関する記事投稿を行ってきたわけである。 本日「ポリヴェーガル理論」を日本へ普及させた一人である 津田真人先生の対談に参加して違和感が完全に言語化された。 少しアウトプットして頂くと。 私たちは2つの生産性が存在する。

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          「確実なキャリア」という幻想を求めてしまう心理を解説

          と言うわけで個人的なキャリア論の第2弾と言うわけだ。 まずはキャリアの定義について整理させて欲しい。 狭義のキャリアとは「履歴書に記載できる経歴」とする。 一方で広義のキャリアとは「働く事に対するその人の意志の流れであり、 獲得したもの、表現したものの蓄積」とする。 「おいおい,表現したものの蓄積って何なんよ?」 と質問があるかもしれないが「経験」であり「役割」であり「仕事」等がそうである。 そのため、剣道の県大会2回戦敗退や専門学生時代友達が一人もおらず昼食はいつも

          「確実なキャリア」という幻想を求めてしまう心理を解説

          「働けないこと」は人間じゃないのか?

          ものすごく過激なワードで批判もあるかもしれないがご了承頂きたい。 というのも私は現在就労移行支援事業所で働いている。 「働けなくて」大変な状況にある人たちに向けて就労支援をしている立場の人間としてこの過激な「見出し」を論駁でなければならないと日々切実に思うのだ。 「働くことだけがが人生ではない」 「働かなくてもまず、君は君のままでいいんだよ」 なんて言葉を用いて勇気づけたとしてもそれは心の底からそう思えているのか?私自身が働けなくなった立場に陥った時に上記の言葉を投げか

          「働けないこと」は人間じゃないのか?

          科学(理学療法)と非科学(スピリチュアル)から考える治療の本質とは?

          私は理学療法士を7年間続け、現在はリハビリテーション分野には携わっているものの一般的な人が思い描く理学療法(歩く練習,マッサージ,筋力訓練)とは無縁な状態だ。 それでも理学療法で学んだ知見を活かして、ボディワークを 就労という領域で利用者様に日々提供しているのである。 ※ここでのボディワークの定義は 「様々な身体に対する技法をもって働きかけを行い気づきや自己成長に伴うQOLの向上を図るもの」とする。 (リハビリ,マッサージ,カイロ,オステオパシー,マインドフルネス等々)

          科学(理学療法)と非科学(スピリチュアル)から考える治療の本質とは?