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うわさのベーコン

『ブックオフの店舗が続々閉店』というニュースを見かけた。続々って本当?本が売れないって本当?スマホの台頭で“モノ”消費が衰退?エンタメの衰退?それ本当?
スナック感覚でブロックして清められたTLの中にいると、積読界隈やらお笑い界隈やらカメラ界隈やらに溢れていて、どれも衰退のすの字も感じないのですが、もしかして全て幻想?

カズレーザーと薄幸が先週くらいのラジオで、「たしかに古本買ってない」「電子書籍の方が安い」って言ってたけど、これが主流なのかな。流行病禍以降、確かに立ち読みしてる人は多少減った印象だけど、それも関係しているのかな。何のデータも調べてないから分からないけど。

部活もバイトも無い日、暇つぶしといえばブックオフか文教堂だったあの頃。最寄駅のアーケードの一番奥にある2階建てのブックオフで、時間の許す限り立ち読みをするのが10代後半の大変充実した日常だった。TSUTAYAと一緒になっている割と大きめな店舗が隣の駅まで行けばあるが、DVDや CDをレンタルしたい日以外は何となく避けていた。生徒数の異常に多い中学校を卒業したので、分母が多いぶん知り合いも多くなる。“ブックオフで立ち読みしながら時間を潰している自分”を説明するのが嫌だった。“ブックオフで立ち読みしながら時間を潰している知り合い”を見掛けた時も、勿論声は掛けなかった。本やラジオはコソコソ独りで楽しむもので、他人にバレるのは恥ずかしいと思っていた。サブカル趣味は隠すもの、という風潮があったと思う。

行きつけのブックオフは1階がゲームやCD、そして漫画。2階が書籍だった。1階には用が無いので、入店したら店内の階段を登り2階に直行する。父の影響で警察モノや推理小説にハマっていた時期は、今野敏があれば片っ端から読み漁った。「宮部みゆきは買い始めるとキリがないよ」との助言を受け、立ち読みで読破していった。松本人志の遺書もブックオフで読んだ。(そんな事してる奴がいるから閉店する店舗があるのでは?と気付いたあなた、鋭い洞察力!FBIの採用受けてみたら?募集してるか知らないけど!)
ブックオフ通いにハマり過ぎた中学3年の夏、塾をサボって立ち読みしていたところを父に見つかり、激昂した父に私の石頭を殴られ、結果父の小指の骨が折れるというほっこりエピソードがあるけど、それはまた別の機会に。

本を読んでいると、奥付付近に“初出情報”が記載されている事に気がついた。いきなりハイ!本ドーン!という場合も勿論あるが、新聞で連載していたものを少し加筆して単行本化しましたよーと説明があったり、文芸誌の名前が書かれていたりした。初出情報から“文芸雑誌”というものの存在を知った。勿論ブックオフにも文芸誌は売られていて、バックナンバーも豊富だった。小説の連載や作家へのインタビュー、コラムやエッセイなどが載っていた。様々なエッセイを文芸誌で読み、活字になったラジオみたいだなと思った。いわゆる自分語り、私小説、日記文学、日常の切り取りの言語化と構成が新鮮で、どれもスッと入ってきた。新潮や小説新潮、文學界や群像を読みつつ、その並びに置いてあった別冊カドガワやQuickJapanにも手を伸ばしていった。

サブカルへの傾倒は小6から始まっていたので、そんな自分に当時のQJの各特集が突き刺さった。好きな芸人やミュージシャンのインタビューを隅々まで読んだ。連載されていた作家や書評家のコラムもバックナンバーを遡ってとにかく読んだ。最高の雑誌に出会ってしまった。はねトび特集、ラーメンズ特集、椎名林檎、木村カエラ、94年創刊の同世代雑誌は正に聖書だった。

そんなQJ過剰接種期に猫田道子の小説『うわさのベーコン』の全文掲載と出会う。初めて読んだ時の違和感と興奮を今も覚えている。訂正されていない誤字脱字、敬語の誤用、物理的かつ時間的な距離感のズレ、内容には一貫性があるものの文体がとにかく特異。海外のSF文学を翻訳ソフトに2回くらい掛けたらこういう文章になるかもって位の違和感。文章のバグという表現が一番的確かもしれない。表紙を含め大きな特集として『ZEEBRAの休日』と銘打たれているものの、後にこの全文掲載こそが99年発売のQJ vol.26がプレ値化する要因となる。この作品は93-94年頃の小説大賞に最終選考まで残ったものの落選した作品で、落選したにも関わらず編集者の間で話題になり99年に本誌全文掲載。翌年、未発表短編3作と合わせ同出版社から単行本としてまとめられた。何で当時買っておかなかったかなーと大人になってから悔やむ事になった。

15-6歳頃の立ち読み以降、ずっと忘れていたこの作品の事を社会人になってある日突然思い出した。作品名すら忘れていたので「誤字脱字、小説」「クイックジャパン掲載、90年代」などおバカなワードで検索した。ヒットした題名を見てもピンと来なかったものの、作品概要を読んで完全に記憶と一致。エモさも相まってまた読みたくなり、単行本化したものをメルカリで検索、そして驚愕した。00年に発行された単行本なので、そんなに古い作品でもない、にも関わらず可愛げの無い価格で取引されていた。いわゆるプレ値というヤツで、一旦諦めたものの数ヶ月毎に見に行くとどんどん値が上がっていく。単行本のプレ値化と同時に、表題作が全文掲載されたQJ vol.26の値段もどんどん上がる。こうなってくると俄然読みたい。本が売れないと言われているこの時代に、なんだこの界隈は!値段を釣り上げやがって!なーんて愚痴を言ったところで仕方がない。読みたい人が沢山いる事実は間違いない。毎日弁当を持参し、自販機やコンビニを絶ち、どうせならと美品が出るのを待ち、値段を見守り、少し値が下がったタイミングを見逃さずやっとの思いで単行本をゲットするに至った(24年10月6日)。ちょっと高すぎる気もするけど、悪魔のひとが売ってたから買っちゃったウフフ、仕事がんばる。未発表短編3作を遂に読めた事も嬉しいが、やはり表題作の表現の違和感とエグさに圧倒された。








もしこの作品が、文学的に“正しい”技法で書かれていたら、恐らく世に出る事は無かったと思う。少し風変わりな女の子が音楽を極める中で恋愛に破れ、何度も病気をし、そして唐突に事故に遭い、手術をし、唐突に死ぬ。言ってしまえばこれだけ。これを普遍的な表現で書いていれば奇書とは呼ばれないし、語り継がれる事も無かっただろう。作者が意図して表現した世界ではなく、あくまでも天然で歪んだ世界を創り出し、読者はいつの間にかこの狂った次元の中に引き摺り込まれてしまう。狙ったモノとは到底思えないのも凄味のひとつだと思う。そして勿論(?)、『うわさのベーコン』というタイトルと内容は全く関係が無い。

先日、中野ブロードウェィの海馬に行った。QJ無いかなーと探していたら、思いがけず件のvol.26を発見。背表紙側に貼られた金額をそっと確認する。そんなに高く無い!?メルカリで検索する(これは良く無い癖とは思いつつ、少しでも安く買いたいのは人間の本懐じゃないか!邪魔しないで欲しい!と自分に檄を飛ばす)、目の前にあるこれの方が安い。いや、単行本は買ったよ。買ったけど、さ。だってこれが猫田道子との出会いの一冊だしさ。いいよね?と御託を散々並べながら他2冊のQJの間に挟んでレジへ。無事救出に至る。猫田道子マスターとなってしまったよ、あたしゃ。


どの本屋に行っても人が沢山いる。確かに立ち読みしている人は減った気がするけど、今住んでいる場所の最寄りのブックオフにも常に人がいるし、蔵書もどんどん入れ替わる。入れ替わりが分かる位には通っている。そりゃ電子書籍は便利だと思う、賃貸なら“モノ”として本を買った場合置く場所にも家賃が掛かっているが、その心配も無くなる。手の中に蔵書をいくらでも造作なく増やせる(果たして蔵書と呼べるのかは置いといて)。オーディオブックなんてものもある。家事しながら、通勤しながら、いつでも何処でもが売りなんだろう。我々Z世代は何でも“ながら”でタイパ重視。わかるけど、読書くらい“ながら”じゃなくても良いんじゃない?
とか無責任に思ってしまうのは、暇故なのかしら。
忙しい人は、本を買う時間なんて無いようですし。
 

『うわさのベーコン』是非買って読んでみて下さいね!買える値段のうちに!

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