『ブックオフの店舗が続々閉店』というニュースを見かけた。続々って本当?本が売れないって本当?スマホの台頭で“モノ”消費が衰退?エンタメの衰退?それ本当? スナック感覚でブロックして清められたTLの中にいると、積読界隈やらお笑い界隈やらカメラ界隈やらに溢れていて、どれも衰退のすの字も感じないのですが、もしかして全て幻想? カズレーザーと薄幸が先週くらいのラジオで、「たしかに古本買ってない」「電子書籍の方が安い」って言ってたけど、これが主流なのかな。流行病禍以降、確かに立ち読み
希死念慮から起因する断捨離癖に怯えつつ、生きる為に本を買い、読み耽る日々。陰陰滅々の生活の中で、唯一自分に素直になれる場所、それは本棚の前。本棚が潤えば潤う程に、良い人生を送っているという錯覚に浸る。所詮モノへの依存と言われれば其れ迄、だけど関係無い。棄てるよりマシだ。健康的だ。 国際子ども図書館を出た後、歩いて鶯谷へ。古書ドリスへ行ってきた。幻想系古本屋を謳った看板に偽り無し、20冊くらい諦めて今回は10冊お持ち帰り。 星新一は我が家の蔵書で一番多いけど全て文
2年前の夏、持っていた冬服を殆ど棄てた。学生時代に買ったキーボードもメルカリで売った。文庫本は軽くて小さいので、キッチンのゴミ箱にも手軽に捨てられた。本をゴミ箱に捨てる瞬間に心拍数が跳ね上がった、写真や人形を捨てる時のあの感覚に襲われた。死ぬ為の断捨離。突発的に死ねる様なタイプの人間では無いので、最低限の迷惑(手間)で済むように蔵書を捨てた。集めた本をどんどん捨てた。大切なモノを捨てれば捨てるほど身軽になった。死なずに2年が過ぎた。 生きる為の積読。捨てた本を買い戻した。読み
江戸時代頃の灯明皿、これに油垂らして灯芯を浸して火をつける。枕元に置いて本を読む。なんて生活を妄想しつつ、我が家ではコーン皿として使用中。 匂いが本に移るけど気にしてない。 私の本だから。
四畳半神話大系然り、鴨川ホルモー然り、京都+奇天烈な大学生活って云う不動のジャンルが大好物。主要な通りの名も地名も全くピンと来ないし、自身は薔薇色のキャンパスライフを送っていたタチだけども。古都を舞台にした奇妙奇天烈な生活への憧れは、都内の平凡学生生活を過ごした私としては非常に大きい。 因みに、森見登美彦は京都大学農学部卒、万城目学は京都大学法学部卒。いいなぁ。 嗚呼、京都行きたい。
栞を貰った。妻が採った四つ葉のクローバーと息子が描いたプーさん、裏は妻が描いた家出犬。 栞って余り使わない(どこまで読んだか覚えてられるから必要無い)けど、貰ってみるとこれが意外と嬉しい。読書趣味を家族に認めてもらえた気分(元来許可を貰う必要等無いのだけれど)。取り敢えず、今読んでる「平気でうそをつくひとたち」に挟んだ。成程、便利だ。
妻の腕時計に興味津々だった息子にスタンダードをプレゼントした、安物だけど大切に使って欲しい。 自分の母親は何か不満があると直ぐ物を投げ、罵詈雑言を吐き、子どもを平気で叩くタイプの終人(おわりんちゅ)だった。 何故そんな事が起きたか詳細は覚えていないけれど、低学年の頃に母の地雷を両足で踏み抜き、大切にしていた腕時計のバンドをハサミで切られた事がある。ハワイかグアムで買って貰ったTIMEXのカラフルなキッズ腕時計、自室の机上の宝物置き場に常に置いて、お出掛けの時には必ず着けてい
夫のちんぽが入らない、読みました。 こんな私に、何故この本を勧めてくれたのか。読み進めるに従ってよく分かりました。親との拗らせ、地域との拗らせ、そして自分自身の拗らせに振り回される筆者に「普通」だったらどれだけ幸せか、と日々思う自分が重なりました。 これが私小説だという衝撃。節ごとに実年齢が書かれていて、それを30の今の自分に重ね、まだまだこの先何があるか分からんぞという絶望。職場や家事育児のストレスだけじゃ無く、家族の心身の健康も大きな障壁になるのかという気づきと不安(
30歳になってしまいました。 30歳? まさか自分が30年も生き続けなければならないなんて思いも寄りませんでした。無論、93年に生まれたタイミングで何の説明も受けてませんでしたし、人生100年時代とか云うものは誰かの陰謀なのでは?などと思う今日此の頃であります。 三十而立なんて小粋な言葉があるようですね、んな言葉を指針にする気は毛頭ないですけれども。まぁとにかく30歳になったらいい加減しっかりした人間になれや!自立しろ!ってな事を孔子とかいうイニシエの偉い人が偉そうに言っ