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「音ー美しい日本語のしらべ」を読んで。

ここ最近、涼しくなったと思ったらまた.…
まぁ、読みたかった本を読んだので、一応「読書の秋」しました♪

そもそも日本が嫌いで日本を脱出して、お外で日本語を教えて感じたことの中のひとつに、「思ったよりも日本語って、きれいな言葉だな。」だったんですね。

日本で生活している時は分からなかったのですが、比較対象が目の前に現れると、そう思うようになりました。

そういえば当時、こんなこともありました。

子どもの家庭教師さんが、日本とのやり取りを電話でしていた私を見て、こうおっしゃったんです。

「やっぱりお母さまは、日本人だったんですね。
 日本語を話される時、全然違う人みたいですよ~!」

褒められているかどうかわかりませんがw
好意的にお話してくれたようです。

日本語で生活し、日本語を話す自分。
日本語ではない言葉で生活し、日本語ではない言葉で話す自分。

それは「自分」の中でも感じていました。
「人格が変わるなぁ~!」と.…

しかし何故、そうなるのか??
ずっと、謎だったんですね・・・・

それがこの「音-美しい日本語のしらべ」で、解決したのです!


人間は外部環境と直接接しているわけでもなく、コネクターであり、変換装置ともなる中間領域を通して、外部環境を把握するという仕組みになってます。それが「言語空間」という仮想世界(仮想空間)です。(略)

同じ出来事や環境の下に置かれたとしても、介在する言語の質が違えば、外部世界の解釈も変わるわけなので、そう考えると言語が持つ役割はかなり重要であるといえます。(略)

私たちは言葉によって外部世界を始め、あらゆるものやことを認識しています。それぞれの言語が持つ認識世界(概念や質)の違いは、外部世界の認識そのものに影響を与えます。

はせくらみゆき著「音-美しい日本語のしらべ」第2章言葉とは何だろう?より


確かに・・・
なるほどねぇ。

日本人の脳の特徴=母音語族の脳内処理システムを見てみると、対象物を「声」として認識してしまうため、感情移入がしやすくなるということがいえます。(略)

無機物・有機物を問わず、親和性(親しみ)をもって眺めてしまうのだと考えられます。つまり自然を含むさまざまなものが、語りかけてくるような見え方の中で、日本語人は暮らしていた(略)
それに対して子音語族の脳内処理システムは、母音は「声」ではなく「音」として認識するため、自然も虫も語り掛けてはくれず、理知的に対応することになります。

同上、第3章日本語の特質より

確かに韓国語でも、「鳥が鳴く音」「鈴虫の音」と表現し、「声」は人間にしか使いませんね。(そもそも声も목소리といって、목(のど)の소리(音)ですw)

だから日本語族ではない人たちが、秋の鈴虫の声が「騒音」に聞こえるということは、こういうところからだったんですねぇ・・・


日本語が持つ視点を、英語の視点と比較しながら眺めてみたいと思います。視点として捉えたとき、まずいえるのが「共視」という視点です。

例えば、日本映画の恋愛もの(特に昔の作品)やポスターには、二人が同じ方向を見ているものが多いのですが、洋画だと、二人が向かい合い、見つめ合っているものが多くなります。(略)

視える世界を主体と客体に分けて考えることが可能な、境界線を明確にする英語と、主体も消えがちで、客体を共に視ていることが前提とする、境界線があいまいな日本語
その中においては、英語の言葉は、権利と義務、目的を明確化させるツールとしての性質を強く持ち、日本語の言葉は、連帯と共有、共感を強める愛のツールとしての性質を強く持っているのではないかと感じます。

同上


なるほど・・・
あいまいな日本語を嫌っていた時期も、若い頃ありましたが.…

こういった、言語の構造からだったんですね!

「日本語の言葉は、連帯と共有、共感を強める愛のツールとしての性質を強く持っている」

だからきれいな言葉だなと思ったんでしょうね、無意識的に。


小説の冒頭文の翻訳を読み比べながら、日本語と英語の視点の違いについて考察していきたいと思います。
まずは川端康成の代表作である「雪国」から。

原文の「国境(くにざかい)の長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」。これを英訳すると「The train came out the long into the snow country」(Edward Seidensticker訳)となります。
(★それぞれ言語の視点をここでは「絵」にして表現している)

原文は、明るく真っ白な雪国の風景が広がる、動画的な世界が広がります。対して英訳の方は、雪国へと至る列車(外観)と山々を見渡しているような、第3者的な視点です。

読者と主人公の視点を混ぜ合わせながら情緒たっぷりに伝える日本語と、あくまでも客観視して中立的な表現となる英語。

同上

なるほどねぇ。

確かに、翻訳していると思いますが・・・
「本当はこうじゃないんだけどなぁ。」と言語の違いから表現できない部分があって、内心じれったい想いになることもしばしばありますが、まぁ~ずいぶん諦めが早くなりましたw。

日本語を通して視える世界は、自分を主人公や主体と重ね合わせ、風景の一部として混じり合うことで、自然や周りと一体になり、情感をもって感得しやすい「場」(空間)を大事にする世界観です。
一方、英語の方は、客観性と中立性を重視して、遠く高い視座から主体が客体を見渡し、観察していく「人」中心の世界観です。

同上

確かにあちらにいた時、「KY」という言葉が「空気を読む」ということで、それがどういう意味か?と授業中に質問されたのですが、状況を説明するのに苦労したことを覚えてますw。

日本語は、「場」(空間)を大事にする世界観なんですね.…

日本語の地名や人名は自然環境を表す名が多く、たとえば、北海道・青森などや田中・山田・小林さんなどで、英語ではニューヨーク州(イギリスのヨーク公)、ワシントン州(初代大統領の名前)などの地名から始まり、人名もマイケル(大天使ミカエル)・ジョン(洗礼ヨハネ)・ピーター(使徒ペテロ)など(略)。
英語を通して視える世界は、場所よりも「人」に意識が向く(略)、日本人の視点は「場」に意識が向く・・。

同上

へ~~、英語って、地名や人名も「個人」に関連してるんですね、知らなかったなぁ.…


また元々、個人的にも・・・
ブラタモリの「視点」が大好きなので~~

「地域」好き、「ジオ」好き、「場」好き、「空間」好き・・・etc

からすると、やっぱり日本語って「場」に意識がいく、スケールが大きい言語なんだなとつくづく思ってしまいますね♡


その他この本では、日本語の歴史も語ってます。

今まで日本語が、3度なくなりそうになった時もありましたが、なんとか守られてきた歴史の流れもあるんですね。

(日本語の歴史については、☟こんな記事を書いたこともありました。)


またその他には、言霊としての日本語の深さや、「わ」や「ま」など一音一音が持つ意味、そして「ありがとう」などの美しい言葉を紐解きながら、日本人の美意識や精神性にいたるまで、随分奥深く考えさせられる一冊です。



長い秋の夜に、おすすめです♪



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白滝みえ
拙い文章を読んで頂いて、ありがとうございました。 できればいつか、各国・各地域の地理を中心とした歴史をわかりやすく「絵本」に表現したい!と思ってます。皆さんのご支援は、絵本のステキな1ページとなるでしょう。ありがとうございます♡

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