
朝ぼらけ有明の月は見えないけれど、月はいつもどこかに浮かんでる 冬の百人一首③
早朝に外を見る
明るい
今日は満月だったのか
いや
月の光と思ったら
あたり一面銀世界
昨夜の雪が夜に光っている
朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪 坂上是則
夜が明けるころ、まるで有明の月が照らしているかと思うほど、吉野の里に白雪が降り積もっている。
冬の短歌三首目。百人一首通番では三十一番。
冬になると、空気が澄んで、空がきれいに見える。空だけではない。景色が引き立つ。
有明の月は満月の頃なので、夜を明るく照らす。夜の照明のない時代には、月の明かりが大切だった。新月の頃、月が見えない夜は辺りは真っ暗。夜は月の明かりがたよりになる。
だからこそ、昔の人は夜の空を見上げながら、月の満ち欠けを見ていた。同じような月でも、それぞれに名前をつけた。そんなことをしているのは日本人だけだろうか。
満月はどこの国でも満月だろうが、三日目の月が三日月。三日目なんかに名前をつけないだろう。せいぜい「半月」だ。日本では上弦の月、下弦の月とそれも区別する。満月の次の日が十六夜。翌日に名前なんてないだろう。それだけ自然と一体になっていたのが古代の日本人。
満月の晩は明るい。月明かりかと思うほど、明け方の世界が明るい。でも、空を見ても月がない。えっ。
おおっ、雪だ。
夕べは雪の気配もなかったのに、朝、目が覚めると一面の雪化粧。
真っ白に積もった雪は、ちょっとだけの光を乱反射させて、辺りを明るくする。満月の光と見間違えるほど雪が積もって辺りを明るくしていた。その感動を詠っている。
蛍の光、窓の雪。
蛍の光で夜に勉強する。窓辺の雪明かりで夜に勉強する。実際にはそんな光で勉強したら、目を悪くして勉強もできなくなるだろう。でも、勉強ができるくらい貴重な夜の光が月明かりだった。
月は昔の人にとっては、現代の我々が考える以上に大切だった。
自然は対立物ではなく、自然の中に人間がいる。人間と自然は一体のものとして考えていた。
夜が身近だった古人は、明かりのない夜も愛でている。
夏は夜。
月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。
雨など降るも、をかし。
「枕草子」一段の「夏」の部分。
夏の夜はいい。月が出ているといい。闇夜もいい。蛍が飛んでいるのもすばらしい。雨の降る夜もいいよ。
作者、坂上是則は平安時代の歌人。どんな思いで月明かりを見て、どんな思いで雪景色を見ていたのだろう。
人を家の中にとじこめてしまう自然の脅威、雪も、人に美しい景色を見せてくれる。
毒は薬になり、薬は毒にもなる。
タイトル画像はぱくたそからお借りしました。同じような情景でも、まったく違ったものが出てくる。