江戸の川柳九篇⑤ 勘当をとうとう母はしそこない 柄井川柳の誹風柳多留
親子の関係も、川柳ではよく詠まれる。一人では生きていけない人間にとって、親子が人間関係の基本となる。
江戸時代に柄井川柳(1718~1790)が選んだ川柳を集めた「誹風柳多留九篇」の紹介、全5回の最終回。
読みやすい表記にし、次に、記載番号と原本の表記、そして七七の前句をつける。自己流の意訳と、七七のコメントをつけているものもある。
勘当をとふとふ母はしそこない
607 勘当をとふとふ母はしそこない 前句不明
「もう親でもない、子でもない」と親から勘当されることがあった。現代なら虐待だ、育児放棄のネグレクトだと言われるけれども、江戸の商人の中ではよくあったことらしい。息子が(娘の勘当は聞かないなあ)しっかりしなければ商売がやっていけない。店をつぶしてしまうことにもなる。だから家から追い出す。
この句の場合は、息子を鍛えるため、あるいは店をつぶさないために、息子を勘当すべきだったのに、「いや、もうちょっと、もうちょっと」と甘やかしてしまい、勘当すべき機会をなくしてしまった、という句。父が出てこないから、店の主人を亡くした未亡人だろうか。
我が息子かわいかわいと可愛がり
今では二十歳過ぎてひげ面
バカ息子の行動を描いた黄表紙「江戸生艶気樺焼」の現代語訳はこちら、
うまそうに何やら煮へる雨やどり
638 うまそうに何やらにへる雨やどり 前句不明
天候の不順が続いている。天気予報の精度は上がったのに、天候がそれ以上に不順となり、晴れの予報なのに局地的に雷雨になったりする。
天気予報のない昔は、急な雨にあったら雨宿りをする。家の前の軒下で雨宿りをする。「早くやまないかなあ」と思っていると、夕飯の準備の匂いが家の中から漂ってきた、という句。
雨の多い日本については、こんなことも書いた、
「すべて女といふもの」とそこらを見
695 すべて女といふものとそこらを見 前句不明
「すべて女ってもんはなあ」と偉そうにしゃべって、ふと我に返って、「あっ、女房はどこへいったんだろう」と、あたりをきょろきょろと見渡した、という句。
男尊女卑の時代だといいながら、大多数の家庭では亭主関白どころか、女房に頭の上がらない亭主だらけだった。そして、それで家庭がうまくまわっていた。
屋形船姿を変へて一かせぎ
731 屋かた船すがたをかへて一かせぎ 山のごとくに山のごとくに
夏になると納涼の屋形船が浮かぶ。あれっ、この船、夏場以外はどうなるのだろう、という句。実際は、夏場以外は荷物を運んでいた。江戸の町は、トラック輸送ではなく、川を使って荷物を運んでいたのだ。
「誹風柳多留九篇」の紹介はここまで。江戸の庶民の生活の一端が知れる。歴史の教科書を読むよりも、川柳から学ぶことも多い。
九篇の紹介は終わるが、江戸の「柳多留」は、まだまだつづく。
今までに紹介した「誹風柳多留」の作品のまとめはこちら。古川柳から何かを学んでほしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?