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国土強靭化計画で変わりゆくウミと日本の神々

 防潮堤工事が行われていた。港町なのに海が見えない。高い壁によって海の景色を消してしまう工事をしていた。日本の海岸線の景色が消えていく。

 東日本大震災では、テレビ画面を通してしか見ていないにもかかわらず、津波の映像には、どうしようもないやるせない気持ちになった。そんな被害をなくすためといわれれば反対する訳にはいかない。それでも日本の景色が消えていく。

 海の見えない風景が、本当に島国日本の、人の住む町なのだろうか。
 自然を壊しながら人間の住む場所を広げていった西洋と違い、自然と共生しようとしてきた日本はどこへいったのだろう。自然には勝てないのだから、その中で生きていこうというのが、災害列島日本に生きる最善の方法だったはずだ。
 山を切り崩し、海を埋め立て土地を広げていったけれども、山は残っている。海も残っている。けれども、今は海が見えなくなっている。

 工事現場を見ると、ついこのあいだまであった大きな木が切り倒されていた。工事のじゃまになるから、計画に木はいらないから。
 人間の多い町の中で生き残り、何年も何十年も、あるいは何百年も生きてきた木が、あっという間にこの世から消えてしまう。我々の思い出からも消えてしまう。この木の周りで生きた思い出がなくなる。大津波が人々の人生を奪ったのと同じことを、津波の被害を防ぐためという理由で巨木の命を奪い、大きな木が消えていく。人間が木の思い出を消していく。

 正月には門松を飾るが、松は神の依り代とされる。正月に神様が家々にやってくるための目印の場所が松の木なのだ。木は人間の生活と密接につながっていた。
 山の中などには、しめ縄をされた巨大な木がある。これは神木として、神として敬われた木だ。人間の寿命以上に何百年も生きてきた木を、昔の人は神として敬ってきた。日本においては、人間を超えた自然物は神となったのだ。神の宿る神社も森に囲まれている場所が多い。森の緑を見ると、人は心落ち着くものだ。生命のふるさとは海だが、人間のふるさとは緑の森だったのだ。
 人々は自然を恐れ敬い、それを神とした。ところが、同じ人々が自然を壊し町を作り、自然の災害を防ぐために、さらに自然を壊そうとしている。

 昔の人々は、野生の動物たちとも共生してきた。人の住む村、動物の住む森、そして両者の住む里山。人が手入れをする自然が里山だ。動物が入ってくれば追い返す。人の住む村まで動物が来ることはない。山の手入れをする人がいなくなり、里山がなくなった。エサの不足した動物たち、クマやイノシシ、サルは、森から直接人の住む町に現れるようになった。
 里山復活の活動をしている人もいる。人間もすてたものではない。

 里山は、人の力で作ることができるが、大きな自然は人の力ではどうしようもない。
 台風と同じで、津波を防ぐことはできない。だから、津波が起きそうなときはどうするか伝えてきたはずだ。集中豪雨で濁流にのまれそうな場所を伝えてきたはずだ。住んではいけない場所も伝わってきたはずだ。そんな災害を防ぐ知恵はいつの間にか消えてしまい、効率だけを考える人によって、海と人を切り離す防潮堤を作ることにしてしまった。

 この町が好きだ。海と山に囲まれたこの国が好きだ。

 昔のままでいられるわけではない。新しい町を作っていかなければならない。その時に、人間のことだけ考えていたら、きっといつか大きなしっぺ返しが来る。

 新しい、人と自然のかかわり方を、この町で考えなければならない。

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