山東京伝の江戸の戯作絵本、黄表紙「江戸生艶気樺焼」②
江戸時代に、京伝鼻と呼ばれたダンゴ鼻の人物、艶二郎が有名となった。実在の人物ではなく、江戸戯作の第一人者、山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙「江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)」の主人公だ。
金持ちの一人息子、艶二郎は年も19や20歳。歌の世界の色男が浮気な浮名を立てられるのをうらやましく思い、浮名の立つようなことを金にあかして次々行う。一、女の名前の入れ墨を入れ、二、恋人役に芸者を雇い、三、女郎買いをする。その女郎は、浮名屋の浮名に決める。吉原に遊里のあった時代の話。
ここまでが上巻。
「江戸生艶気樺焼」は、上中下の3冊からなり、ここから中巻が始まる。
四、妾を雇い、やきもちをやかせる。
五、色男は芝居ではぶたれると、人を雇い、わざとぶたれる。
よっぽど馬鹿者だという浮名が少し立つ。
六、金の力でやっているという噂を聞き、勘当をしてもらう。
なんと、人の噂も七十五日の75日限定の勘当をしてもらう。なんともばかばかしい内容の連続だ。
ここで中巻が終わる。
七、心中をする。もちろんマネごと。
コロナ禍で自殺者数が増加しているが、江戸時代も自殺があった。「艶気樺焼」の下巻は、まるまる心中話でうまる。
現代は、自殺のニュースも表現に注意が必要だ。報道機関への注意は以下のようになっている。
江戸時代には、かなわぬ恋のはてに心中する物語は人形浄瑠璃などに作られた。センセーショナルな物語としてどんどん作られた。近松門左衛門の「曽根崎心中」「心中天網島」などは有名だ。実際に起きた事件を再現ドラマとして演じるのだ。さすがに実際の人間ではリアルすぎるので、人形浄瑠璃となる。人間が演じる歌舞伎の場合も、リアルな人間ではなく、様式化された動きの「役」を演じる。リアルでありながらリアルでない。物語性が強いので評判となり、現在まで伝わっているのが近松の多くの作品だ。
現代は、自殺の報道に規制がかかるが、江戸時代は瓦版だけでなく再現ドラマまで作られロングランのヒットとなっている。
そもそも物語と現実は違う。ドラマの不倫を見て自分も不倫をするわけではない。殺人のドラマを見て殺人が起こるわけでもない。ドラマやマンガを見て殺人を犯すのは特異な人間だ。普通の人間はそんなことはしない。物語によって現実の気持ちが昇華することもある。「昇華」とは、反社会的な欲求を、別のよい目標にきりかえること。物語を見て、気持ちがすっきりすることもあるのだ。
心中への道中を道行という。ドラマの見せ場になる。
黄表紙は現実のリアルとは対極の表現をすることも多い。艶二郎は浮名との道行の途中で二人の追いはぎにあい、着物を差し出して裸となる。ところが挿絵の追いはぎのセリフが、「以後、こんな思いつきは、せまいかせまいか」とある。それを受けた浮名のセリフは、「どうで、こんなことと思いんした」。どっちもお芝居の副音声のように、ストーリーのネタばらしをしている。その通り、追いはぎは父親と番頭だったというオチが最後にある。
現代社会と同じようなことをしている艶二郎は、最後は心を入れ替える。めでたしめでたし。
現代はなかなか心を入れ替えることがない人間が多い。欲求のままに動いてしまう。困ったものだ。
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