山東京伝の黄表紙「天慶和句文」②~星や天候を擬人化した大人の絵本
お日様やお月様を陥れ、自分たちの世界にしようと、雷と風の神が計画し、まず息子のお月様に遊郭通いをさせる。そのつづきの月月月の大人の絵本、黄表紙の現代語訳。
「天慶和句文」(1784刊)は 山東京伝作、北尾政演画。
下巻
七
なよ竹のかぐや姫は、しばらく下界に暮らし、仮に竹取の翁の娘となり給いしが、今は月の都へ帰り、夕上王という名で遊女、花魁となり、今日が月出しにて、にぎやかなり。
禿「花魁え、来月は星祭りで狂言をやるんですとさ」(禿は遊女につかえる子ども)
八
夕上王は、お客のお月様のかお月(顔つき)から、め月(目つき)から、はな月(鼻つき)の良いところに惚れて、お月様も両思いにて、ちょっと顔を出す三日月様ではなく、二本の木が一つになった連理の枝は天にはないので、男女一体となる比翼の鳥のようになろうと誓いあう。
天道様の家来の烏は、お月様の帰りが遅いので、大旦那の天道様がお腹立ちと、迎えに来たりしゆえ、「遅い遅い」と言うので、おおおそ鳥とも呼ぶとかや。
雀は、長唄を謡う。
村雲「羽衣のない天人もないものだ」
女芸者「羽衣は質屋に出したというわけさ。羽が取れて竜になったようなものさ」
九
地上から月は上るが、天ではどこへ上るか知らねども、お月様は夕上王に上りづめ。一晩で帰ろうと思っても、雷が雨を降らせ、風の神が風を吹かせければ、十日五日の十五夜の居続けが度重なり、おりふし、月見の会をするつもりなれども、もはやお金が月てしまい、太鼓持ちの村雲のすすめで、風の神と雷のへそくり金を借り給う。
うさぎは耳を長くして、様子を聞く。
うさぎ「はて、心得ぬ雲の振る舞いじゃなぁ」
村雲「『お月様はめくりカルタが好きでなあ♪』という歌の文句もありまする。あなた様も月見をなさったら、早くお金を返しなさい。月をまたいでの借金返済はごめんだよ」
十
お月様は、月末には返す約束で、雷の金を借り給いしが、もはや月末になりけれども、金の工面ができず、雷は毎日催促するけれど金はできず、もとより雷の計画なので、お月様の家へ怒鳴り込み、わざと大騒ぎするので、これより大きく鳴り響く雷を「鳴る神」と言い始める。
お月様「くわばらくわばら」
雷「金が返せなければ縛って月出そう(突き出そう)か。それとも返すか。このうそ月(嘘つき)め」
十一
お月様は、いよいよ工面ができないので、しかたなく、旧暦月末は新月で闇夜なので、雲の内へ隠れ給えば、夜もにぎやかな吉原までもが常闇となり、親の天道様は訳も知らず、星たちを雇い、鐘や太鼓をたたき天の中をさがさせても見つからず、これより下界をさがさんと、まず人の多い両国の辺りをさがしける。天道様に雇われているので、これを日雇いという。この星たちを見て、花火屋が「星下り」という花火を作りける。
星「迷子の迷子のお月様やーい。ええい、字余りで言いにくい」
かくしてお月様は、雲隠れしてもどこにもいられないので、北極星、南極星という光り輝く二星に頼み、親の天道様に借金を払ってもらうつもりにて、使い果たした二分の金を持って、頼みに行き給う。雲に乗っては目立つので、今度は地球儀に乗って、頼みに行き給う。これを天文駕籠という。今はすべて天文の世の中なり。
うさぎも先頭を走る。
下界では、屋根のない小型船を「天道丸」という。
十二
かくして北極星、南極星のとりなしにて、天道様のお腹立ちもようようなだめて、雷、風の神を呼び、借金のかたに、黄金の日輪、銀の月輪を与えけり。
雷と風の神は、お月様にケチをつけようとしたものの、計画がばれてしまったけれど、日輪と月輪を手に入れることができ、ひとまず望みがかない、これより心を改める。
お月様は、しばらく日陰者なりしが、ようよう親の七光りで日向者となり給う。
罰として、宝の剣で、したたかに打ち給う。剣の形は、レンコンのごとし。
こらしめのため、太陽の足で踏み給う。
南極星「雲の上の育ちの二世だから、こんなこともありそうな話さ」
うさぎは、村雲がそそのかした顛末を申し上げけれども、天道様は、すべてお見通し、何もかもご存じなれども、心の中ですませ給うゆえ、「天道人を殺さず」(神様は人間を見捨てない)とぞ申しあげける。
「月に村雲」は、今の世まで嫌われることなり。
うさぎ「そうそう合点、月天月天」
十三
さて、お月様は、いよいよおとなしくなり給い、村雲の中より引き上げられ給う日の、旧暦八月十五夜なれば(九月の中秋の名月)、これを満月といい、名月といって、下界では月見をし、詩歌俳句はもとより、狂歌師まで歌を創り、筆や紙を使うこと限りなく、ことに遊郭では、月見の会を催し、客の出費は大変なり。
うさぎは、若旦那の光り給うを無性にうれしがり、飛びはねければ、月のうさぎの餅つきならぬ尻餅をつく。「十五夜お月様見てはねる」とは、このことなり。
下界のみな様、「月夜に釜を抜かれる」(ことわざ、油断すること)ことのないように、ご用心、ご用心。
おしまい
1782年(天明2)の大地震は、マグニチュード7程度と予想され、民家が倒壊し、富士山では山崩れがあり、大きな津波もあったと記録がある。1783年(天明3)の浅間山の大噴火では、火砕流で村がなくなり死者も数百人にのぼる。火山泥流は川を通して太平洋や江戸湾まで達した。約90日間続いた噴火では、噴煙が関東一円を覆い、日光の光をさえぎったことが、天明の大飢饉の原因の一つになったといわれる。天明の大飢饉は、1782年(天明2)から1788年(天明8)にかけて発生した。江戸や大坂では1787年(天明7)に、米屋への打ちこわしが起き、東北地方では、数万人が餓死したと伝えられる。死んだ人間の肉を食べたともいわれ、大きな被害があった。
そんな時代だったからこそ、現実を描きながらも、現実とは違う夢の世界を描いた作品がもてはやされたのかもわからない。
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「天慶和句文」の原本紹介はこちら、