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月と太陽、同時に浮かぶ二つの天体が人の心を揺さぶる

東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ

 東の野に朝の光が差し始めた。朝日が昇ろうとしている。振り返ると西の空には今にも沈もうとする月がまだ空に残っている。
 万葉集にある柿本人麻呂の歌。

 万葉集は、奈良時代に作られた現存する日本最古の歌集。万葉集より昔に、歌集が作られていたかもしれないが、現在残っていない。だから最古の歌集と言われる。編集したのは、大伴家持(おおとものやかもち)。全部で4500もの歌が収められている。すごい数。百人一首で100だ。また、歌といっても短歌だけではなく、いろいろな形の歌がある。五七五七……五七七という長歌(ちょうか)や五七七五七七の旋頭歌(せどうか)などがある。
 万葉集以降の歌集は、貴族と坊主の歌だけになるが、万葉集は貴族や兵士や農民、遊女、あらゆる階層の人の歌がある。

 平安時代の古今集などは、歌の作者がさらさらっと筆で歌を書いた。そうしてできた作品を載せている。その文字はひらがなで、女性もさらさら書けた。役所の文書は男が漢字で書いていたが、歌はひらがなで書いた。だから漢字を学べなかった女性も歌は書けたのだ。文字を書ける人の歌だけが記録として残ることになる。庶民の歌は記録されなくなった。貴族と坊主以外は文字が書けないからだ。

 万葉集の時代は、誰も文字を書けなかった。ほんの一部の知識人が漢字を書くことができたのだ。みんな文字を知らないけれど、歌は作っていた。
 今の時代に、楽譜が読めなくても歌を作るようなものだ。奈良時代までの歌は、誰かが作って、それを覚えて伝えていく。万葉集には、そんなそれまでに作られ、伝えられてきた歌が収められている。

 文字も、まだ「かな」ができていないので、全て漢字で書かれている。漢字で日本語を書くので、当て字ばかりになる。それを万葉仮名という。

東野炎立所見而反見為者月西渡

 これを「東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ」と読む。本当にこの読み方でいいのかわからない。けれど当時の人は、この歌を口伝えでも覚えていたので、この記述でわかっていたのだろう。
 読み方には意見もあるだろうが、歌の意味は変わらない。千年以上昔の人が、太陽と月が同じ空に浮かんでいる姿を見て、「おおっー」と感動したのだ。その感動を歌にした。

 人麻呂は万葉集を代表する作者。なにせ古い時代の人だから、人麻呂と言ったり人丸と言ったりもする。柿本人麻呂を祭ったのが人丸神社になる。文字も、筆で書いているので、スラスラっと縦に書くので、人麻呂となったり人麿となったりする。本来はどれが正解ということはなく、そう筆で書いていただけなのだ。



 月と日が同時に空に輝くといえば、かつての「巨人の星」の1場面を思い出す。失意の主人公、星飛雄馬が立ち直るきっかけとなる場面で、たしか見開きページだった。梶原一騎がどんな原作を書き、漫画家の川崎のぼるがどうデザインしたのかはわからないが、当時はドドーンと衝撃を受けた。こういう表現ができるのかと感動した。
 「少年マガジン」に同じく連載していた「あしたのジョー」では、登場人物、力石徹の葬儀まで実際にやったのだから、マガジンは、ものすごい影響力を持っていた。

 短歌であろうがマンガであろうが、表現することによって衝撃を与え、感動を与える。


菜の花や月は東に日は西に  与謝蕪村

 菜の花畑で、月は東から昇り、日は西に沈もうとしている。
 蕪村は江戸時代の俳人。神戸にある摩耶山(まやさん)を訪れたときの句だそうだ。菜の花の種、菜種からは菜種油をとる。

 蕪村には、

菜の花や摩耶を下れば日の暮るる(菜の花が咲き乱れていることだ。摩耶山を下りてくると日も暮れてきた。)

という句もある。


 大きな衝撃を与えなくとも、太陽と月が一つの空に浮かび、おだやかな感動を与える作品もある。

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