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恋する百人一首④
「百人一首」には「恋の歌」が43首あるといわれる。
「百人一首」は鎌倉時代に成立したが、中に入っている歌は、奈良時代や平安時代、それまでに作られた歌からも選ばれている。だから日本人の恋愛観の流れがわかる。
古代の身分社会と現代の我々の生活は違っていても、男女の思いは、昔も今も変わらない。
その恋の歌を紹介する4回目。43首中25番目の歌から。(最初の数字は、恋の歌43首の通し番号。後の数字は、百人一首の通し番号)
25―53 嘆きつつひとりぬる夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る
嘆きつつ ひとりぬる夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る 右大将道綱母
あなたが来ないのを嘆きながら、一人寝る夜が明けるまでの間は、どれほど長いものなのか、あなたは知っているのだろうか。
妻問婚の当時は、男性が夜だけ女性の元を訪ねた。女性は男性が来るかどうかわからず、ずっと待つ存在だった。右大将道綱母の「蜻蛉日記」にはそんな結婚生活の様子が描かれる。本当の名前が伝わらず、「母」が呼び名となっていても、一人の人として恋をする。
26―54 忘れじの行く末まではかたければ今日を限りの命ともがな
忘れじの行く末まではかたければ今日を限りの命ともがな 儀同三司母
あなたが私を忘れないとおっしゃるが、遠い将来のことまでは頼みにできないので、幸せな今日限りの命であってほしいものだ。
男を待つ女性は、いつ男が来なくなるか不安に思っている。儀同三司は藤原伊周のこと。高階成忠の娘、貴子という名が伝わっているのに、「母」が名として残る。男性に付属した存在として生きていた。そんな時代でも一人の女性として命をかけた恋をする。
27―56 あらざらむこの世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな
あらざらむ この世のほかの思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな 和泉式部
この世からいなくなってしまうので、思い出にもう一度あなたにお逢いしたいのです。
作者、和泉式部は、恋多き女性として知られている。その彼女が老齢となり、死の床で詠んだ歌といわれる。「もう一度だけあなたに逢いたい」と、死を前にして詠っている。死ぬまで人は恋をする。
28―58 ありま山ゐなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする
ありま山ゐなの笹原 風吹けば いでそよ人を忘れやはする 大弐三位
有馬山にほど近い猪名の笹原に風が吹くと笹の葉がそよそよと音をたてるように、そうよ、あなたのことを忘れることがありません。
「ありま山ゐなの笹原風吹けば」は「そよそよ」の「そよ」を出すための序詞。「いで」は「まったく」。「そよ」は「そよそよ」という風の音と、「そうよ」という言葉のダジャレになっている。ダジャレは文学的には懸詞という。あなたのことが忘れられないと詠っている。この歌の前に、しばらく来ない男から、「あなたが心変わりしていないか心配です」という歌が届いた。それに対して、「そっちが来ないくせに、何を言っているのよ」と、飾りの言葉を駆使して返している。作者は、紫式部の娘、藤原賢子。
29―59 やすらはで寝なましものをさ夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな
やすらはで寝なましものを さ夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな 赤染衛門
ためらわずに寝てしまえばよかったのに、あなたをお待ちして、夜が更けて西の空にかたむくほどの月を見てしまった。
「やすらはで寝なましものを」で「ぐずぐずと起きていずに、もう寝てしまっていただろうに」。寝ていればよかった、でも寝ていない。男を待って、一晩中月を見ていたわ、と詠んでいる。
30―63 今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな
今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな 左京大夫道雅
今となっては、あなたへの思いをあきらめてしまおう、ということを、人づてにではなく直接言う方法があればなあ。
好きな女性との恋をあきらめさせられた作者が、相手の女性に詠んだ歌。作者は、藤原道雅。
31―65 恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなむ名こそ惜しけれ
恨みわび ほさぬ袖だにあるものを 恋にくちなむ名こそ惜しけれ 相模
あなたを恨む気力もなくなって、涙で袖が乾く間もないままぼろぼろになってしまった。それどころか、悪い噂で私の評判が落ちてしまうのも惜しいことだ。
失恋で悲しいのに、その失恋のことを周りがうわさしている。
32―72 音に聞くたかしの浜のあだ波はかけじや袖の濡れもこそすれ
音に聞くたかしの浜のあだ波は かけじや袖の濡れもこそすれ 祐子内親王家紀伊
評判の高い高師の浜のきまぐれ波ではないけれど、浮気者のあなたを心に掛けることはいたしません。涙で袖を濡らすことになるといけないから。
高師浜の「たかし」に、「波が高い」と「評判が高い」を掛けている(要するに、ダジャレ)。いたずらに騒いで袖をぬらす波と、浮気者の誘いの言葉を受けて恋に涙を流して袖を濡らすという女性の思いをかけている。
33―74 うかりける人を初瀬の山おろし激しかれとは祈らぬものを
うかりける人を初瀬の山おろし激しかれとは祈らぬものを 源俊頼朝臣
つれないあの人が、私を思ってくれるようにと初瀬の観音様にお祈りをしたのに、初瀬の山おろしよ、お前のように、より激しく冷淡になれとは祈らなかったのに。
奈良にある「初瀬」は、観音信仰で有名な長谷寺がある。逢えない恋を観音様に祈ってもどうにもならない。どうにもならないけど神仏に祈ってしまうのが恋。
34―77 瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ
瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末に あはむとぞ思ふ 崇徳院
川の浅い所は流れが速いので、岩にせき止められる急流が二つに分かれても最後には一つになるように、いつかは一緒になろうと思う。
百人一首の時代の貴族は、歌のやりとりをしながら恋を成就させていた。現在の、ネットで知り合うようなもので、相手の姿も声も知らないけど、ただうわさを聞きながら興味を持つ。恋はゲームのような一面をもっている。
当時の男女ともに現代の貞操観念とは違い、セックスを大きな問題とは考えていなかったようだ。男性は、夜、訪ねていくだけだから、いつでも別れることができる。女性も、1回のセックスよりも、その後の生活の面倒をみてもらえるかどうかが問題だった。セックスは、そのお試しでもあった。
どんなに有名だった紫式部も清少納言も、本名が伝わっていない。はかない存在だった。「式部」や「少納言」は男家族の身分を表す言葉だ。生活基盤があやふやだから、女性は、結婚する相手の男性が信頼できるかどうか、長く頼れるかどうか考える。互いに互いのことを知ろうとして歌のやりとりをする。
歌が一つのゲームとなる。そんな時代に、一途に恋に走ることは難しい。そうわかってはいるけれども、恋してしまうと恋は盲目となることも多かった。
百人一首は昔々の歌だから、いろいろな解釈が成り立つ。いろいろな現代語訳の本がある。けれどもその歌の原文の言葉にひかれる人も多い。その言葉を覚えて「かるた」をする人も多い。
恋の歌43首中34首まで紹介した。次回は最終回。
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見出し画像はぱくたそからお借りしました。
ちらっと見た相手が、どんな人なのだろうかと想像力を刺激される。あんな人にも見える、こんな人にも見える。現在のマスク社会では、その人の目だけしか見えず、目だけで想像をふくらます。あんな人だろうか、こんな人だろうか。錯覚がどんどん積み重なって恋心が深く深くなっていく。