黒白水鏡②~田沼意次とその政治を描く黄表紙
田沼意次の政治と、その失脚をウソの世界で描いた、石部琴好作、北尾政演(山東京伝)画の黄表紙「黒白水鏡」(1789刊)の現代語訳、下巻の紹介。
金がありあまって減らそうとする世の中を描き、なかなか金が減らず、逆に金が増えて家にも帰れない亭主はどうなることやら。
下巻
七
そこの主人が世話をして、「金があるのはしかたなし。身なりでも悪くして、息子にわびを願いなされ」と、まず上等の上着を脱いで、隣の質屋へ行き、「これで五百か三百貸してくだされ」と言えば、質屋の番頭、「両方の着物あわせて四両のところ、おまえさんだから、三両より下は貸せませぬ」とは、是非もないことなり。
番頭「それでこっちもぎりぎりじゃ。どこの店でも、それより下は貸すことはありますまい」
亭主「そんなら二朱銀でいいから貸してくだされ」(二朱銀=南鐐銀は、一両の八分の一。銀の量が少なく評判はよくなかった)
八
金は減らねども、身なりを悪くしたおかげで、息子へのわびはかないけれども、世の中に金がつきせぬゆえ、人々が相談すれども、使い捨てることもできず、このうえは鎌倉幕府に金を預け申し、そのうえ、六波羅に救われ米として、米を買い、差し上げたいとの希望を申し入れる。
客「いやいや、太郎兵衛殿の店でも、金やなにかをおいたまま逃げる、置き去りがあるげな」
客「めったに薄着でなぞ夜は歩かれませぬ。泥棒に金でも押しつけられたら、しようがねえ」
亭主「油断のならぬ世の中でござる。昨日、両国の盛り場で大道芸を見ていたら、サイフの中へ金を三分入れられました」
亭主「わしの隣の家でも、このあいだ、真っ昼間に、みんなが留守だと見込んで、窓から金を放り込まれました」
女「もし、呉服屋の高売りチラシが出ました」
九
ある日、当世公が鷹狩りにお出かけなさり、梶原かぬまがお供をし、帰りに、
「吉原の遊郭はどうですか」
とおすすめ申しければ、通の君は、ついつい、かぬまのすすめのとおり、吉原にて遊興されければ、金にまかせてふざけすぎ、女郎にはふられ、もてた家来は、佐の之介一人なり。あまりに金を使ったので、みなみな嫌がり、チップももらわず、塩をまいて追い返すなり。
遊女「佐の之介様、次に来るときは、どうぞ、主一人でおいでなんし」
佐の之介「おっと、承知承知」
岩永「家へ帰っても、ふられたことは内緒内緒」
当世公「狩り場の鶴よりも、ここの看板女郎の雛鶴のほうが美しい」
梶原「どういうもんだ。うまくいかねえじゃねえか。佐の之介ばかりもてもてじゃないか」
十
吉原ではおおいにしくじり「諸大名の手前、外聞悪し」となりしなかに、佐の之介はテクニックがあるゆえ、女郎もだまされ、「また来てくれ」という文を、佐の之介の袂に入れたのを見て、山二郎、佐の之介をだまし、文を取り上げ、おおいにからかったゆえ、御殿にて大げんかを始め、山二郎、佐の之介にぶたれ、その評判が世間に知られ、かねていじわるな梶原親子なので、人々は「よい気味だ」と喜びける。
梶原親子三人なれど、二男の梶原平介殿、いまだ部屋住みの身なれども、兄山二郎が鎌倉御殿において口論ありしことを聞き、「けんかの相手は誰だ誰だ」と、馬に乗り、駆けいださんとすれば、
「馬の鞍がまだむすばれていないのでけがをしますぞ」
と、声をかけられても、早く早くとかまわず駆け、馬より真っ逆さまに落ち、けんかの場所まで行かず、駕籠に乗って家へ帰りける。
岩永「これこれ、佐の之介、どうしたどうした。悪い酒で酔っ払っているみたいだ。こう抱きとめた姿は芝居のようだ」
佐の之介「こいつは人をばかにしやがって。こんちくしょう」
と、武士には似合わぬ悪態をつく。
山二郎「こういう場面は、よく芝居に出てくるやつだ」
十一
さて、みなみな相談のとおり、ことごとく訴状に書きつらね、願い出ければ、諸大名、初めてこれを聞き、おおいに驚き、吟味ありければ、かぬま、かつもと両人の仕業にて、人々を困らせたゆえなりと、給付金はなくなり、人々、おおいに喜びけり。
大名「夢にも存ぜぬことでござる。驚きいりました」
大名「とくと吟味いたすまであずかる。まず下がれい」
町人「どうでも裁きかたは市川團十郎の芝居のようだ。いよっ、親玉」
町人「金に恨みは数々ござると申しますが、お上に恨みはないない中洲の地獄女郎さ」
十二
一匹の馬が狂えば、千匹の馬が狂うがごとく、吉原で当世公がふられた出来事も、山二郎の口論より発覚し、諸大名は、当世公に諫言申し、調べてみれば、かぬまとかつもとの企みで、当世公をおとしめようとするものなので、かぬまの一族郎党は、それぞれ役職をとりあげられる。
十三
つまるところ、あまりに金があれば、置き場所がなく、難儀したので、すべての金を集め、吉野山に埋めて、金塚とする。こうすれば、この後、金が必要なときは使える。これにて金の問題は解決し、人々は、天下万々年と喜びけり。金塚の上には、世直し大明神と大書したのぼりを立ててある。
それを見て肝をつぶしてびっくりしたと思って、はっと夢から目を覚ましてしまい、「夢になれ」と、禍を払うおまじないの言葉を叫びけり。
なにがなにやら、とにかく、めでたしめでたし。
梶原かぬまが田沼意次をさしており、かぬまの息子の山二郎が、田沼の息子、田沼意知をさしている。岩永かつもとは、お芝居の中に出てくる悪役の名、架空の人物。現実の人物としては、田沼に抜擢された、勘定奉行、松本秀持をさしているのだろう。山二郎とけんかする佐の之介は、殿中で田沼意知に斬りつけた佐野善左衛門をさしていることは、いわずもがな。現実には、物語の中の給付金どころか、運上金という税金をとられていた。佐野は「世直し大明神」と呼ばれることとなった。田沼意知は、そのときの傷がもとで亡くなっている。
そういう世間で知られた事件を、そのものずばりの佐の之介などという名で表現すれば、お上の目にふれることは確実だ。そうして作者、琴好は手鎖の刑となり、江戸払いとなった。あまりに単純なお話なのだが、挿絵の山東京伝が、それを穏やかな表現でやわらげている。
黄表紙の世界では、ウソの物語による、こんな庶民のうっぷんばらしもあった。
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