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中学国語教科書にある万葉集の歌② 田子の浦ゆうち出でて見れば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける

 「万葉集まんようしゅう」は、奈良時代に作られた日本最古の歌集で、約4,500首の歌が収められる。そんな昔の短歌が今も読まれ、教科書にも載っている。ここでは光村図書の中学国語3年に載っている「万葉集」の和歌を紹介している。



田子たごうらゆうちでて見れば真白ましろ富士の高嶺たかねに雪は降りける  山部赤人やまべのあかひと

 田子の浦を通って視界の開けたところへ出て見ると、真っ白に富士山の高嶺に雪が降り積もっている。

 この歌も「百人一首」でおなじみだ。百人一首を覚えている人は、「あれっ、ちょっと違うな」と感じたことだろう。万葉集の歌と百人一首の歌は、同じ山部赤人やまべのあかひとの歌なのに少し違う。「万葉集」は「田兒之浦従 打出而見者真白衣 不尽能高嶺尓 雪波零家留」のような万葉仮名まんようがなで書かれていて、普通の人には読めない。本ではなく、口伝えで歌が伝わってきて、伝言途中で少し変わる。


田子たごうらにうちでてみれば白たへしろたえの富士の高嶺たかねに雪は降りつつ  (百人一首)


 田子の浦のながめのいい場所に出てみたら、富士山の高嶺に真っ白に雪が降り続いている。

 「万葉集」は「田子の浦ゆ」と「ゆ」という言葉がある。これは「ゆ」一字で「~を通って」という意味。田子の浦を通過している(別の場所に行っている)。「百人一首」は「田子の浦に」と、田子の浦にやってきた(田子の浦から見る)。富士山を見ている場所が違う。
 「万葉集」は「雪は降りける」と「降り積もっている」という、物事が完了した状態を表す。一方、「百人一首」は「雪は降りつつ」と、今、雪が降っている状態を示す。「万葉集」では雪が降り積もっているけど、「百人一首」では今、雪が降っている状態。富士山の情景が違う。あれっ、ちょっと待てよ。富士山は田子の浦(静岡県の駿河湾沿岸)から見ているから、富士山上で雪が降っているかどうかなんて遠すぎて見えるわけがない。現実には見えないけれども空想の世界で雪を降らせる。これが「百人一首」が作られた時代の「新古今集」の歌風。幽玄・華麗といわれる、現実離れした夢のような世界を詠う。
 元歌は「万葉集」の、素朴で力強い歌風で詠われているが、それが伝わるうちに、時代の好みに合わせて少しずつ変化している。

 「万葉集」の「田子の浦ゆ~」の歌の前には山部赤人の長歌ちょうかがある。五七五七が長く続く「長歌」に対する短い歌として「短歌」が詠われ、短歌の方を、長歌に対する「返し」の歌ということで「反歌はんか」という。その長歌は、以下の通り。


天地あめつちの分かれし時ゆ かんさびて高きとうと駿河するがなる富士の高嶺たかねを 天の原あまのはらりさけみれば渡る日のかげかくる月の光も見えず 白雲しらくもも い行きはばかり 時じくそ雪は降りける かた言ひいいぎ行か 富士の高嶺は


 天地創造により天地が別れた時から神々しく高く貴い駿河にある富士の高嶺を大空はるかに振り仰いで見ると、空を渡る日の姿も富士に遠慮して隠れ、照る月の光も富士に遠慮して見えず、白雲も富士のそばには行きかね、常に雪が降っている山だ。語り継ぎ、言い継いでいこう、この富士の高嶺を。



きみ待つと恋ひこいれば屋戸やどのすだれ動かし秋の風吹く  額田王ぬかたのおおきみ


 あなたを待って恋しく思っていると、あなたが来たかのように私の家のすだれを動かす秋の風が吹いている。

 額田王ぬかたのおおきみは、大海人おおあま皇子(後の天武てんむ天皇)の妻となり、後には大海人皇子の兄、中大兄皇子なかのおおえのおうじ(後の天智てんち天皇)の妻となる。恋多き女性は、それぞれの恋に本気で向き合い、歌を詠ったのだろう。


見出し画像はぱくたそからお借りしました。



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