
黄表紙「無益委記」①~江戸の未来記のはじまり
「無益委記」全三巻は、作者名、出版社名はないが、恋川春町(1744~1789)の作画だと思われる。刊行年は安永八年(1779)といわれるが、天明元年(1781)ともいわれる。わからないことは多いが、江戸の町では有名な作品で、この話に触発され、朋誠堂喜三二が「長生見度記」(1783・天明3刊)、竹杖為軽(万象亭)が「従夫以来記」(1784・天明4刊)を描いている。
「無益委記」自体も、聖徳太子が未来を予言したといわれる「未来記」に触発された作品だ。「未来記」という本は、実物が現存しないが、当時、よく読まれていた「太平記」の中で、楠木正成が読んだと書かれており、江戸の人々は、「太平記」を通して、「未来記」という本の存在を知っていた。
こちらは嘘と皮肉の大人の絵本、黄表紙の作品だから、本当の未来預言書とは大違いの作品となっている。
上巻
叙
楠多聞兵衛督頼政、わいわい天皇に謀反をすすめ申し、宇治の正燈寺に九年間たてこもって、世間の移り変わりを見るに、その変わることはなはだしく、オランダ細工の影絵のごとし。見徳太子の書き置きける未来予想図、はやりの「無益委記」をひらけば、以下のごとくなり。
楠多聞兵衛督頼政は、楠木正成と源頼政を合体した名前。
見徳太子は聖徳太子をたとえたもの。
ちなみに正燈寺は実際に江戸にあり、宇治(京都)の平等院では、謀反をくわだてた源頼政が自害した場所だといわれている。
一

人王三万三千三百三十三代に当たって、初鰹は師走の二十日ころより売り出す。値段は尊き嘘八百八十両ぐらい、五百両ていどの値段で呼ばれても返事もせず。
かつお売り「かつお~かつお~。この呼び声だけでも百両の値打ちはあるのさ」
通の男の羽織の長きこと、三尺八寸五六分。ヒモはかかとまで届き、裏えりは白く、ちょんまげは釣り竿のごとし。
「太平記」にある「未来記」には、「人王九十五代に当たって、天下ひとたび乱れて主安からず」とある。それをふまえた書き出しとなっている。
「目に青葉山ほととぎす初鰹」とあるように、初鰹は初夏の味で、年末に売っているわけがない。こういう嘘八百の事柄を次々ならべていく。
二

茶色や紫の小紋、その他、縦じま横じま模様のねずみが出る。
女「お世話ながら、このねずみを、ちょっと浅黄色の中につっこんでくんな」
着物を解いて反物の形に戻す洗張りならぬ、ねずみの洗張り屋が登場する。
当時、ハムスターみたいな感じでねずみを飼うことが流行した。そして商売人の中には、ねずみに色や模様を染め抜いたものをペットとして売っていたようだ。
子どもの頃の夜店で、色をつけたひよこを売っていたが、江戸時代にもそんなことをしていたのだ。
三

四つ手車できる。急ぐときは油代をはずむ。
客「晴れ晴れしてなかなかいいのお」
客「けつががたがたして、ちょびっと困るて」
車の後押し「今夜は、だいぶ車の出る晩だ」
車夫「相棒よ、なんと横棒が長いじゃないか」
吉原の風俗情報誌「吉原細見」は高札となって掲示される。
四つ手駕籠ではなく、車になる。油は、車の動きをよくする油のことで、油で動くわけではなく、人力。しかも車の横棒は四つ手駕籠の棒なので長すぎる。
四

旧暦六月、夏真っ盛りに大寒となって、汗がつららとなる。冷やしにゅうめんを食べる。
亭主「かあさんや、今年は寒くて暑い夏だのお」
女房「そうめんがのびないで、だいぶちぢみました」
冷やしそうめんと、熱いにゅうめんとが一緒になって、汗が氷となる。むちゃくちゃな設定。
五

坊主は、堂々と女郎買いをし、一般人は、かえって男娼の陰間を買う。
坊主「医者にばけるのは昔のことさ」
女郎「おやおや、大きなさかずきだこと。だるま大酒(だるま大師)ほどありんす」
坊主は、女遊びはだめだとして、女郎ではなく男娼の陰間を買っていた。女郎に会いたいときは、医者にばけて女郎買いをしていた。当時の医者は、坊主のように頭を丸めていたからだ。
ウソの世界を描いて、次回につづく、
この作品に触発された竹杖為軽(万象亭)「従夫以来記」の現代語訳は、こちら、
黄表紙の始まりといわれる恋川春町の「金々先生栄花夢」の現代語訳は、こちら、
黄表紙の代表作「江戸生艶気樺焼」の現代語訳は、こちら、
これらの中に、他の黄表紙の紹介もあり。