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山東京伝から「およね平吉時穴道行」の半村良へと

 江戸の戯作者げさくしゃ山東京伝さんとうきょうでんの妹よねは、黒鳶式部くろとびしきぶの名で黄表紙も描いているが、京伝27歳のとき、18歳で亡くなっている。そのおよねが実は生きていたという半村良はんむらりょう伝奇でんき小説が「およね平吉へいきち時穴道行ときあなのみちゆき」(1971年刊)だ。
 半村良はんむらりょう(1933~2002)は、映画化もされた「戦国自衛隊」などの作品があり、現実とは違う世界や、世界の裏事情を想像で描く伝奇でんき小説をSF作品として描いている。
 蔵の奥にできたタイムトンネルを通って、現代にあらわれたおよねは、菊園京子という名で歌手になる。この芸名も、京伝の妻となる遊女の名前が菊園きくぞので、兄京伝から「京」の名をとり、京子とした。そういう設定も、京伝好きにとっては、わくわくする。
 ストーリーでは、およねしたっていた平吉が、時の穴、時穴ときあなをくぐると、すでに磁場が変化しており、平吉は現代ではなく、明治の時代に出現して日記を残す。
 死んでいたと思われた人物が、実は生きていたというのは、源義経など、悲劇の人物にはよくいわれる。義経は大陸へ渡ってチンギスハンになってモンゴル帝国を作ったということになる。
 義経の叔父に当たる為朝ためともは、琉球へ渡って王朝の始祖になったといわれる。為朝ためともの話を小説世界に展開した伝奇でんき物語が、曲亭きょくてい(滝沢)馬琴ばきんの「椿説弓張月ちんせつゆみはりづき」だ。
 馬琴は、京伝の弟子筋にあたる。「およね平吉へいきち時穴道行ときあなのみちゆき」の中にも馬琴の話がでてくる。馬琴についてもよく知っている半村良が、それと同じような、死んだはずの人物が生きていたという話を作っている。
 京伝が好きな半村良が(作中の作者の分身らしき主人公は、京伝ファンの設定)、師京伝の悪口を言っていた馬琴と同じタイプの作品を書いている。
 馬琴ばきんの「椿説弓張月ちんせつゆみはりづき」は全29冊の長編で、さらに代表作「南総里見八犬伝なんそうさとみはっけんでん」は、28年かけて描かれた全106冊の大長編だ。
 半村良の代表作も長編が多く、「産霊山秘録むすびのやまひろく」も長編。「妖星伝ようせいでん」は全7巻。未完の「太陽の世界」は全80巻の予定だったが18巻まで書いて作者が死去している。
 馬琴も半村良も、わくわくするストーリー展開の作品だが、京伝はそうではない。ストーリーよりも、それぞれの場面をちょっと斜めに見て皮肉ったり、笑い飛ばしたりする。カタログを並べたような作品が多い。二人とはタイプの違う作品を描いている。これは京伝が、狂歌も作っていたから、皮肉な見方が身についていたのかもしれない。浮世絵師北尾政演きたおまさのぶとしての顔を持っていた京伝は、一つ一つの絵にもストーリーとは別のメッセージを込めていることがある。ストーリーよりも、場面を大切にしていたのだろう。

 京伝が好きで、京伝のことを書いていたら、昔、読んだ「およね平吉へいきち時穴道行ときあなのみちゆき」(1971年刊)が思い出された。どんな表現で描かれていたっけと思えども、半世紀前に読んだ話だ。困った困ったと思ってネットを見ると、神戸市立図書館の電子図書館にあるじゃないか。しかも借りている人は誰もいない。さっそく借りて読んだ。近くの公立図書館に電子図書館があれば、ひょっとしたら同じ公立だから置いてあるかもわからない。すぐに読める短編だから、一度手に取ってみたらどうだろう。謎解きも含めて、どきどきする作品だ。
 あまり知られていない江戸の作家山東京伝も知ってほしいが、忘れられてしまった昭和の作家半村良も今一度見直されてよいエンタメ作家だろう。
 我々の知らない世界を教えてくれる。


 


 およねが登場する山東京伝さんとうきょうでん黄表紙きびょうし時代世話二挺鼓じだいせわにちょうつづみ」(1788刊)の現代語訳はこちら、

 山東京伝についてはこちら、

 半村良はんむらりょうの伝奇小説「産霊山秘録むすびのやまひろく」にもふれている記事はこちら、

 タイトル画像は山東京伝さんとうきょうでん作の黄表紙きびょうし時代世話二挺鼓じだいせわにちょうつづみ」に登場する黒鳶式部くろとびしきぶ(およねと兄京伝の図(模写)。

喜多川行麿画


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