百人一首むすめふさほせ 寂しさに宿を立ち出でてながむればいづこも同じ秋の夕暮れ
我が身ひとつの寂しさに
外へ出れば夕景色
寂しい秋の景色が広がる
百人一首の一字札、「むすめふさほせ」の「さ」。
70 寂しさに宿を立ち出でてながむればいづこも同じ秋の夕暮れ 良暹法師
あまりにも寂しいので宿としている庵を出て、辺りを見渡してみると、どこも同じように寂しい秋の夕暮れが広がっている。
「宿を立ち出でて」の「宿」は自分が住んでいる庵のこと。「庵を出て」という意味。「庵」は、「いおり」または「あん」。小さい簡単な住居。草ぶきの小屋などをさす。作者はそこに住んでいる。
「ながむれば」は、単にながめているだけではなく、「物思いにふけりながらじっと見ている」という感じ。
「いづこ」は、「どこ」。「いづこも」で、「どこも」。
「秋の夕暮れ」は「夕暮れ」という名詞で終わる体言止めとなる。名詞(体言)で終わることによって、その言葉、ここでは「秋の夕暮れ」を強調する。「それは秋の夕暮れなんだよ!」といっている。
作者、良暹法師は平安時代の歌人で、比叡山の僧侶だといわれる。比叡山を去り、一人住まいの庵での生活。周りに誰もいない寂しい暮らし。けれど寂しいのは自分一人ではない。どこも同じ寂しい秋の景色が広がっている。そう詠う。
寂蓮・西行・定家が作った有名な「新古今和歌集」の「三夕の歌」は、それぞれ「秋の夕暮れ」の体言止めで終わる。あれっ、藤原定家(さだいえ)のことを「ていか」と言っちゃった。定家は「さだいえ」だが、「ていか」ともいう。名前をわざと音読みすることがあった。ちょっと昔の大正、昭和でも、そんな読み方をわざとすることもあった。寂蓮、西行が坊主なので、音読みの名前ジャクレン、サイギョウ。それにつられて「ていか、テイカ」という音読みでふりがなをつけちゃった。
三夕の歌は、以下の三首。
さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮れ 寂蓮法師
さびしさは、その色で感じるのではなく、常緑のまきの木々全体でさびしさを感じさせる秋の夕暮れだ。
心なき身にもあはれはしられけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ 西行法師
出家した私の身であっても、しみじみとした趣が感じられる、シギが飛び立つ沢の秋の夕暮れだ。
シギは田んぼによくいる鳥なので「鴫」という漢字が日本で作られた。日本で作られた漢字を「国字」という。「田んぼの鳥」なんて、まさに言葉遊びだが、そうして漢字が作られ、文化が作られた。
日本で作られた国字には、こんなのがある。山の上下の境界で「峠」。火が燃えているわけではなくて、水がないという意味の「火」と田んぼ(水田)で「畑」。動く「人」で「働く」。みんなダジャレでできている。
み渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ 藤原定家
見渡せば美しい花も紅葉もないけれど、浜辺の粗末な小屋が見えるだけのさびしい秋の夕暮れだ。
「新古今集」は鎌倉時代に作られた。貴族政治が終わろうとしている武士の時代の始まり。貴族が役割を終えようとしている時代に「秋の夕暮れ」という言葉が流行した。時代はまさに「夕暮れ」、貴族にとっては。
もの寂しい秋の夕暮れを愛でる感性は平安時代から続いている。
清少納言は「枕草子」(平安時代中期に成立か)で「秋は夕暮れ」、秋は夕暮れがすばらしいと言っている。
秋は夕暮れ。 夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。 まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。 日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
文字にしても、考え方にしても、いろいろな「歴史」がつながって「今」がある。
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