黄表紙「時代世話二挺鼓」②~平将門と俵藤太を描く物語
山東京伝作、歌麿門人、喜多川行麿画の黄表紙「時代世話二挺鼓」(1788刊)二巻の紹介、後半。
平将門の乱の歴史を、七つの体を持つという平将門と、江戸時代の最新アイテムを使う藤原秀郷の技比べとして表現した大人の絵本の現代語訳。
下巻
七
将門、文字の早書きではかなわないだろうと、七つの書体を書く七ついろはを一度に書く。「い」の文字七種類「い、以、伊、意、畏、委、異」を同時に書く。
秀郷は、早引節用という国語辞典で、八つの文字を一度に引いてみせ、さらに、八個の鉦を一度に鳴らす八打鉦を打ってみせる。
大道芸では見たことがあるが、改めて見れば、目がまわりそうなことだ。
八
将門、秀郷にやりこめられてあせってしまい、自分から正体をあらわす。
将門「われ、まことは姿が七つあるからこその早業なり。なんじは、こんなことはできないだろう」
将門「なんと奇妙か」
将門「なんと奇妙か」
将門「なんと奇妙か」
将門「なんと奇妙か」
将門「なんと奇妙か」
将門「なんと奇妙か」
将門「なんと奇妙か」
秀郷「こりゃあたまげた。しかし、中にはだいぶくたびれたのもあるじゃないか」
九
秀郷、これを見て曰く、
「われはお主に勝りて、姿が八つあり。おまえの目には見えまい。このメガネで見たまえ」
と、駒形の眼鏡屋で買ってきた八角眼鏡で姿を見させる。
八角眼鏡は姿が八つになって見えるので、これを見た将門は、肝をつぶす。
秀郷「なんと、どうでござります。たいしたものでしょう。こうしたポーズは、いい男でござんしょう。若い遊女が見たら、すぐに惚れやす」
十
秀郷、
「いまは約束のとおり、宮殿を取り上げ、売り物という札を貼って帰らん」
と言えば、将門、かんしゃくを起こして、七人の姿でおのおの槍を引っさげ、秀郷に突きかかる。このとき将門は、信州上田産の着物を着ていたので、これを豊臣秀吉の家来の、賤ヶ岳の七本槍に例えて、上田の七本槍という。
秀郷「女郎屋でさえ、やり手婆に文句を言われたらおもしろくないが、このうえどんな横やりが出るのかわからぬ。槍槍(やれやれ)」
秀郷は、このままではかなわないと、日頃信仰する浅草の観音に念じければ、不思議や不思議、雲の中に観音が現れ給い、千本の矢が出現し、将門に射かかる。
観音様も、坂上田村麻呂のお芝居で千本の矢を鈴鹿山で射て以来、久しく矢を放ち給わぬゆえ、千本の矢のうち、九百九十三本まで外れしが、残りの七本が、七人の将門のこめかみに当たる。
観音「ゲームのように、ドドーン、カッチリ、という音がしないから、ちょいと張り合いがない」
十一
将門が、人々を救うという大悲の仏の矢先にかかりて弱りしところへ、秀郷は、すかさず近寄って、首を刎ねければ、不思議や不思議、切り口より血潮が空に吹き上がり、七つの魂が飛び出る。
ぽんぽんぽんぽんぽんぽんぽん
魂、七人連れだって飛び行く。
魂「先を行く魂、待て待て。付き合いってものを知らねえな」
秀郷「ああら不思議や不思議。心太屋の看板みたいじゃねえか」
秀郷、これを見て、はじめて花火というものを考え出す。(秀郷が花火を考え出したとウンチクを述べるが、そんなわけないことを読者はみんな知っている)
秀郷「こいつが金玉(一分金)だと一両三分はある。高級女郎を買っても二分は残る」(一分金は一両の四分の一。それが七個で一両三分。江戸の庶民は、ぱぱっと計算できた)
秀郷の家来たち、これを見て、合図ののろしだと心得て、攻め寄せる。
秀郷の家来「みんな、急げ急げ。あれあれ、合図ののろしが上がっている。こんなになかなか動かないのなら、のろしだけに、のろし、のろし」
十二
秀郷は、なんなく将門を退治したのは、浅草観音のおかげなりと、狩野派の古法眼狩野元信に馬を描かせ、絵馬を奉納する。(浅草観音堂には元信筆といわれる絵馬が奉納されている)
また、将門の霊を祭った神社を神田明神という。そのころ神田に、夜な夜な七曜の星が光を放っていたのは、この将門の魂なり。
以上をもちまして、二冊の黄表紙にうまくこじつけて、めでたしめでたし。
京伝作
歌麿門人行麿画
七曜星は、北斗七星のことをいうが、北斗七星は、北極星の周りをぐるぐる一年をかけて回っているので、季節によって見え方がちがう。また、「七曜」は、日・月・火星・水星・木星・金星・土星の七つをいう。これを七曜星ともいう。これがもととなって今の日月火水木金土、一週間の暦ができた。
田沼意次が誕生するとき、七面大明神に祈ったことから、家紋を七曜星にしたといわれる。また、田沼には、腹心の部下、七人衆がいた。「七」という数字が、田沼をさしていることは読者皆が思っていたことだろう。
このように、政権批判を秘めた黄表紙作品もあった。