「心学早染草」上 善玉、悪玉を生んだ江戸の黄表紙
江戸の流行作家、山東京伝(1761~1861)が1790年に出版した「心学早染草」は、遊里を舞台にしていた大人の絵本、黄表紙に、当時流行していた心学を取り入れた。タイトルは、「『心学』がすぐにわかるよ」という意味。
善い魂と悪い魂を丸い玉の中に「善」「悪」の文字が入った人物として配した。この趣向が流行し、以後、善玉、悪玉という言葉が生まれた。
善玉菌、悪玉菌と乳酸菌のコマーシャルに使っている言葉は江戸時代生まれなのだ。
上中下3巻の黄表紙を3回にわけて部分模写した絵とともに「意訳」していく。
上巻
序
黄表紙は理屈臭いのを嫌うけれども、その理屈臭さを題材に子どもらの読み物として与える。
この冊子により理屈がわかるのならば、天竺の釈迦も、中国の孔子も学ぶ必要なし。我が国の天照大神もすばらしいと褒めてくださることだろう。
山東京伝述べる
一
人間には魂というものあり。生きているときは精気といい、死んだ後は魂魄という。また、心神とも言って、人間にとって大切なものなり。
その魂がどこから来るかといえば天から来るものなり。
天上には天帝という尊い神がおわしまして、常に茶碗に液を入れ、竹の管にて魂を吹き出したまう。ちょうどシャボン玉のようさ。
吹き出した後はまん丸の魂なれど、妄念、妄想の風に吹かれて、いびつになったり、三角、四角になって飛びゆくものもある。
天帝「天帝の姿なんて絵描きは困るだろう。今日の姿は日本限定さ。他の国には内緒だぜ」
二
ここに江戸日本橋のほとりに目前屋理兵衛という裕福な商人がおり、妻が妊娠し、玉のごとき男子を産んだ。
理兵衛の息子が生まれるとき、いびつな悪魂が体内に入ろうとするところへ天帝が現れ、悪魂を抑え、丸くよき魂を入れる。これ常に理兵衛が清き心でいるため天帝が恵みを与えたものなれど、人々の目には少しも見えずにおかしけれ。
天帝「かまわずさっさと行け」
善魂「ははあ」
三
理兵衛は息子を理太郎と名付け育てしが、善魂が日々見守っているので、利口で行儀よく、そのうえ器用で習字もうまいので、両親は大切に育てた。
理兵衛「これは見事な習字だ。我が子ながら将来が楽しみだ」
妻「これは不思議だ。誰かに書いてもらったんじゃないかえ」
魂、後ろで「えっへん」とひげをなでている。
四
かの悪魂、理太郎の体へ入ろうとしたのを天帝にじゃまされてから居場所がなく、他の体に入ろうとしても、当時は儒教、仏教、神道の教えがしきりに行われ、人々は悪き心を持たぬので、入るべき体もなく、ぶらぶらしていたが、折りあらば理太郎の体の善魂を亡き者にし、ずーっと理太郎の体内に住みたいと企みける。
「いい体に入りたいなあ」
「このごろは心学とかいうものが流行るから、おいらが住めるような不埒者は少なくて困る」
「こう並んだ姿は、丁半博打でも始まるようだ」
それぞれが住む場所のなくなった悪魂たちが空間に漂っている。
五
今ははや理太郎十六歳となり元服させる。
よい男となり、店の商売もさせれば、律儀者ゆえ朝も早く起き、夜も遅く寝て、万事に心を配り、倹約し、親には孝行、店員は大切にし、近所で評判の息子となった。
上巻は、ここまで。
袋とじにしてある黄表紙は、本文がたった5枚の紙からできた短い本で、まさに絵本。
私の挿絵は全体ではなく各部分を好き勝手に模写しているが、原画は北尾政美(1764~1824)の絵。
作者京伝は、浮世絵師・北尾政演としての顔も持つが、北尾派同門の政美が挿絵を描いている。
黄表紙は作者が絵の趣向や構図などを示して絵師に絵を描かせる。
ちなみに政美は、後に鍬形蕙斎の名でも画家として知られている。
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