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恋する百人一首②

 「百人一首」には「恋の歌」が43首あるといわれる。

 百人一首ができたのは鎌倉時代で、その頃は文字で書かれた歌が主流だった。文字を使って歌を作っていた。文字を使って恋のやりとりをしていた(貴族の場合ではあるけれど)。

 文字のなかった(文字を使える人がほとんどいない)奈良時代に作られた「万葉集」では、歌の内容を、相聞そうもん挽歌ばんか雑歌ぞうかの三種に分類している。相聞そうもんは恋の歌、挽歌ばんかは人の死をいたむ歌、雑歌ぞうかはその他の歌。「恋」と「死」が古代人の大きな題材だった。歌わずにはいられない大きな問題だった。いつの時代でも、「恋」と「死」は大切なものだった。

 ここでは百人一首、恋の歌の続きをみていく。(最初の数字は、恋の歌43首の通し番号。後ろの数字は、百人一首の通し番号)


8―25 名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな

名にしお逢坂山おうさかやまのさねかづら 人に知られで来るよしもがな  三条右大臣さんじょうのうだいじん

 「う」という名の逢坂山、一緒に寝る意味の「さ寝」という名のさねかずらが、その名に違わぬのであれば、逢坂山のさねかずらを手繰てさぐり寄せるように、人に知られないであなたのもとに行く方法を知りたい。

 作者は藤原定方さだかた、歌の名手といわれた。さねかづらは、つる草であり、木にからまっている。忍ぶ恋の歌でありながら、だからこそなのか、身をからませて愛をはぐくむエロティックな姿を夢見る。


9―27 みかの原わきて流るるいづみ川いつみきとてか恋しかるらむ

みかの原 わきて流るるいづみ川 いつみきとてか恋しかるらむ  中納言兼輔ちゅうなごんかねすけ

 みかの原をき出て流れる泉川いづみがわの「いつみ」ではないが、その人を「いつ」たと言って恋しく思うのか。本当は、一度も見たことがないのに恋しい。

 「みかの原わきて流るるいづみ川」までが序詞じょことば。~のように、と言葉を飾って、「いづみ川」から「いつみ=いつ見」という言葉を出し、「いつみきとてか恋しかるらむ」という思いを述べている。実際に逢ったことがない女性への、あこがれの恋。当時の貴族の成人女性は男性に顔を見せることがあまりなかった。うわさを聞いたり、ちらっと見たりして、恋心をつのらせた。ネットの世界のnoteの作者みたいだ。どんな人が書いた文章だろうと想像する。そして恋心をつのらせる。作者は藤原兼輔かねすけ


10―30 有明のつれなく見えし別れより暁ばかりうきものはなし

有明ありあけのつれなく見えし別れより あかつきばかりうきものはなし  壬生忠岑みぶのただみね

 有明の月の頃に、つめたく見えたあなたとの別れ以来、あかつきほどつらいものはない。

 妻問婚つまどいこんで女性の元を訪ね、明け方に帰るとき、相手の女性が冷たかった。もう私のことをそんなに愛していないのか。それ以来、夜明けがつらくなってしまったという男性の歌。一人になると悶々もんもんとしてしまう。


11―38 忘らるる身をば思はずちかひてし人の命の惜しくもあるかな

忘らるる身をば思はずおもわず  ちかてし 人の命のしくもあるかな  右近うこん

 あなたに忘れられる我が身のことは何とも思わないが、心変わりしないと神に誓ったあなたの命が、誓いを破った罰で失われることがもったいなく思われる。

 「あなたのことは忘れない」と誓った男が来なくなった。私はどうなってもいいけど、神への誓いを破ったあなたの身が心配だわ。と、皮肉交じりに男に詠っている。


12―39 浅茅生の小野のしの原忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき

浅茅生あさじうの小野のしの原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき  参議等さんぎひとし

 浅くちがやの生えている野原の篠竹しのだけの「しの」ではないが、いくら耐え忍んでも、こらえきれないほど、どうしてあなたが恋しいのか。

 「浅茅生の小野のしの原」が序詞じょことばとなり、「しの原」の「しの」からダジャレで「しのぶ」を出し、「忍ぶれどあまりてなどか人の恋しき」が言いたいこと。忍ぶ恋だけど、あなたが恋しくてたまらない、と詠んでいる。チガヤ(ちがや=ススキを小さくしたような草)の生える野原にシノダケ(篠竹しのだけ=メダケ=孟宗竹より少し細い竹)がある寂しくも美しい情景と苦しい恋の思いを詠う。作者は、源ひとし


13―40 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人のとふまで

忍ぶれど色にでにけり わが恋は 物や思と人のとまで  平兼盛たいらのかねもり

 この思いを人に知られてしまうことのないよう隠してきたけれど、とうとう顔色にまで出てしまったようだ。何か物思いをしているのではないかと、人に尋ねられるほどに。


14―41 恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか

すてふすちょうわが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ思そめしか  壬生忠見みぶのただみ

 恋をしているという私のうわさは早くも立ってしまった。人知れず心ひそかに思いめたのに。

 当時は「忍ぶ恋」が流行していた(?)。だから歌合うたあわせというゲームで、「忍ぶ恋」の歌を作ってどちらがいいか競ったりした。40「忍ぶれど」と41「恋すてふ」は歌合で勝負をした歌で、どちらが良いか、なかなか決まらなかったそうだ。さあ、結局どっちが勝ったのだろう。
 そんなこと関係なく、歌を楽しんだらいい。

 「忍ぶ恋」が流行したと書いたが、実際に忍ぶ恋、つまりは不倫になることが多いだろうけど、そういう人もいたろうが、不倫ドラマを見るように、自分が忍ぶ恋をしていたらと仮定して歌を詠むことが行われた。「歌合」もそうだ。ドラマを創作したり、小説を書くような感じだろう。現実ではなく、空想の歌も多く作られた。現実じゃないからダメなのではなく、創作だからこそ、より現実の心を伝えられることもある。

 百人一首のような「恋」をしていなくても、今、現実に恋をしていない場合でも、恋をしたら不倫になる場合でも、いろんな恋が空想できる。百人一首の恋の歌は、そんな恋をしていなくとも、読む人の心にグサリとささる。


 今回の恋の歌はここまで。次回へ続く。


 見出し画像はぱくたそからお借りしました。遠くから見るだけの人に、なぜかかれることもある。
 それも恋。



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