グミの実が赤く色づく季節
「グミ」といえばお菓子のプニュプニュしたものを思い浮かべる人が多いだろうが、私はフルーツのグミを思い浮かべる。
甘くて大きい「ビックリグミ」よりも、野山に生えている小さなグミが思い浮かぶ。
野生のグミはとても酸っぱく渋くて食べられない。熟して落ちる寸前になったものがやっと食べられる。
普段は食べられないのに、熟した短い期間に鳥たちが食べ、種を運んでいくのだろう。いろんなところにいろんな種類のグミが生えている。春、夏、秋にそれぞれ実をつける種類がある。だんだん暖かくなった今の時期も赤い実がついていた。
グミの実が赤くなった頃、桑の木に青い実がついていた。桑の実も赤いものは食べられない。黒くなって、黒さがさらに増した熟した実が食べられる。
グミも桑の実も種が未熟なときは食べられないようにしている。種が熟して動物の消化液で溶けないようになって初めて甘みを出し、鳥や動物に食べてもらう。
食べられた実は腹の中で消化されるが、種は消化されずに糞として出され、動けない植物に代わっていろいろな場所に種を広げる。仲間を増やしていく。青い種では発芽しない。熟した種を食べてもらうことによって仲間を広げていく。
植物が花を咲かすのは、虫や鳥に受粉をしてもらうため。おいしい実をつけるのは食べてもらうため。食べてもらって種を遠くへ運んでもらう。植物の繁殖戦略だ。
渋くて渋くて食べられたものじゃない渋柿も、熟してとろとろになると甘くなる。種も完全に熟している。それを猿などが食べて、山に渋柿の木を増やしていったのだろう。小さな実がなる渋柿は山にけっこうある。
桑の木は人間が植えたもの。昔は桑畑がたくさんあり、桑の実が黒く熟していた。
「山の畑の桑の実を小カゴに摘んだは幻か♪」(三木露風作詞・山田耕筰作曲)
養蚕をしなくなって桑畑がなくなっても、桑の木はだんだん木を大きくし(畑では人間が葉をつみやすいように低く育てている)、人間が取れない高さに実をつける。
柿の実はオレンジで目立つ姿をしている。山にあってもすぐわかる。ここにあるから食べてねと言っているようだ。
それに比べて野生のグミは、赤い色も真っ赤ではなく、あまり目立たない赤だ。花だって目立つ色をしていない。それでもその種をいたるところに広げているのは、その赤い実を食べて種を運んでいるものがいるからだ。グミを好む鳥がいるのだろうか。
熟しても少し渋みが残っており、あんまりおいしいとは思えないグミだが、私はなぜか気になってしまう。
葉っぱも花も実も目立たない。桑の花や柿の花も目立たないが、熟れた実は目立つ色をしている。グミは、花も実も目立つ色をした桜なんかとは全然違う。
熟れたグミの味もあんまりおいしくはない。それでも誰かには好まれ、遠くへ運んでもらい繁殖力が強いグミ。
今までnoteにも何度かグミのことを書いてきた。
目立った姿で自分を主張するわけではないけれども、甘いだけの他の果物とは違った渋みを少し持った自分だけの実を持っている。同じような味のお菓子とは違う自分の姿を持っている。そんな姿に惹かれてしまう。
独特の味もクセになってしまう。万人に好かれるものではないだろうが、それを好むものも確かにいる。
いろんなものがあるからこそ、植物の世界はおもしろい。いろんな人がいるからこそ人生はおもしろい。
追記
熟したグミの実を見た数日後に見に行くとグミの実はすべてなくなっていた。ほんの短い間だけの楽しみ。
青い桑の実はだんだん色づいてきた。