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仕事を断れないわたしに、小津安二郎が教えてくれたこと

PrimeVideoの松竹プランに課金して、小津安二郎監督『秋刀魚の味』を見た。小津作品はこれで5作品見たけど、そのうち、これ含め3作品(『秋日和』『晩春』)が、ひとりになってしまう親を気遣ってお嫁にいけない娘と、その娘のために親ががんばって話をつけて、最後は娘が結婚していって、親はひとりになってしまう、というストーリーだった。

なんで同じようなものを繰り返し作るのだろう。そしてそれを、なんで少しも目を離せず見てしまうのだろう…と不思議に思いながら見続けていた。

『秋刀魚の味』を見終わったときに、結局、最後はひとりだということが繰り返し描かれているんだと思った。『東京物語』を見たときは、忙しい子どもたちに相手にされない老夫婦の寂しさに衝撃を受けたけど、小津の他の映画を見続けていると、そのショックもやわらぎ、ああ、人生、そういうものなんだな、と、軟着陸できるようになってきた。

何度も「経験」することで孤独に対する恐怖が、少しだけ薄れる。ワクチンみたいだ。小津自身は孤独について、どう考えていたのだろう。自身が孤独を恐れていたから、こんなふうに繰り返し描いたのだろうか。それとも映画の題材として興味深い対象だと思っていただけなのか。

孤独になることが、わたしは、とても怖い。

他人の期待に応え続けていれば、孤独にならなくて済む。だからわたしは、仕事を断れないのかもしれない。

子どももいないし、贅沢もしないから、お金をたくさん稼ぐ必要はないのに、必要以上に働いていて、いつも、もっと仕事を減らしたいと思っているのに、かなわない。気が進まないものや条件が悪いものは迷わず断れるけれど、わたしにしかできそうにない仕事だと、なかなか断れない。

依頼してくれた相手にとって、一番良いのはわたしが引き受けることだけど、それができないなら次善策は他の人を紹介することで、でもなかなか代わりになる人がいないから、わたしは後続を育てることをしたほうがいいのではないか。講座でもして。卒業生たちに仕事を振って。そうしたら、わたしに頼んでくれた人もハッピーで、講座を受けてくれた人も仕事が回ってハッピーで、世の中に理系ライターが増えてハッピーで、わたしも仕事が減ってハッピーで…

いや、待て。…それでわたしの仕事は減るのか?

教えて、他の人の分まで仕事を請け負って、割り振って、ときにはフォローして、団体として大きくなり、しまいには会社みたいなことになり、責任が大きくなり、ますます身動きが取れなくなり…

…あれ、それって、わたし以外、全方位ハッピーだけど、わたしの望む人生じゃない…!!?

わたしは好きなときに好きなことをしたいんだ。小説も書きたいし、思いついたら朗読劇とかもしたいし。ひゅーっと旅もしたいし。毎日決まった時間に通勤とかしたくないし。24時間を自分主導で使いたい。人との約束だけに縛られたくない。特に、定例会議とか大嫌い。

なのに、周りの期待に応え続けているうちに、自分が一番やりたくないことまでやった方がいいのかなと考えるようになっていた。まるで誰かに洗脳されたみたい。誰かって、それは自分なのだけど。孤独を恐れるあまり、誰かの期待に応えようとしてしまう。期待に応えている間は、孤独にならないと思い込んでいる。

でも小津映画を見ているうちに、孤独に対するシミュレーションができて、免疫のようなものが少しついてきた気がした。そうしたら、何だか悪夢から覚めたように、「あれ、わたし、何してたんだろ。自分の好きなように生きたほうが絶対いいじゃん」と思った。

小津映画で描かれる孤独は、愛情込めて育て上げた子が結婚して取り残されるという、子を持つ親なら誰にでも訪れる孤独だ。そこには残酷なくらい、「愛情込めて育て上げた」ことの見返りはない。そんなこととは関係なく、孤独はやってくる。しかも、その孤独を受け入れられずにいつまでも娘を手放せなかったら、結婚できずに一人老いていく娘の孤独が待っている。娘の孤独か、自分の孤独かを、天秤にかけて、小津映画の親たちは、娘の幸せのために自分の孤独を受け入れる。

そういえば、「子ども産んだほうがいいよ」としつこく勧めてくる人たちは、同時に、産まないと老後は孤独になるぞと脅してくるのが常套手段だった。産んだって孤独になるんじゃい、人間、何したって、結局孤独なんじゃい、と小津映画を突きつけてやりたい。

もし、わたしが、周りの期待に応え続けて、理系ライターとして後続を育てて大活躍したとして、何なら会社を設立して、何かすごいことを成し遂げて、銅像を建てられたとしても、それでも、そんなわたしにも、孤独は、やってくる。

誰もが逃れられない恐怖という点で、孤独は死に似ているけれど、死より怖いかもしれない。死んでしまったらもう何も考えなくていいけれど、孤独は、孤独を生き続けなくてはいけないから。みんなが恐れているのは本当は、死ではなく孤独なのかもしれない。

あなたは孤独じゃないよ、なんていう甘い言葉とか、世界のどこかに孤独から逃れる方法があるかもしれない、という期待とか、そういう幻想を抱いていたら、孤独を受け入れることができない。そうして、孤独を受け入れることで得られる禁断の果実を、いつまでも、食べることができないのではないか。自我という名の果実。目覚めたら楽園にいられなくなるかもしれないけれど。

幸せの絶頂で突然死でもしないかぎり、孤独から逃れることはできない。人生はどっちにしても孤独だよ。だから、他人の期待からすたこらさっさと逃げだして、自分の好きな場所で、孤独になろう、と思った。

「結局人生はひとりじゃ。ひとりぼっちですわ」

『秋刀魚の味』小津安二郎監督 瓢箪先生のセリフ




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