出来ないことに目が行く
仕事でもそうですが、出来ている事=当たり前に
なっていきがちですね。
最初は「すごい!」「助かる!」だったことも
「出来て当たり前」「やってくれて当然」になって。
でも、やって当然なことなんてないんだよねって
思う事があります。
やってくれたことには、ずっとありがたいなと思いたいし
母がお弁当を毎日欠かさず作ってくれたのも、
当たり前になっていたけど、卒業して初めて気づいたり。
嫌いだと言っているのに、お弁当に入れ続けた母に根負けし
唯一昆布で好きになったのは、ゴマ昆布でした。
未だにゴマ昆布を見ると、ちょっとイラっとするような、
でも笑えてくるのはそのせいだと思います。
一時期、処理件数にノルマが課せられて、
何とかそれを毎日毎日こなしていましたが、
ようやく慣れてきて任せられる様になったら
新人の子が辞めてしまいました。
多分出来て当たり前になったのが辛かったんだろうと思います。
私も同じ業務をしていましたが、最後の2時間位は
魂レベルで疲れているのが分かりました。
内容的にかなりキツイのに、当たり前としか見られない。
それって、結構辛い環境だと思います。
時折声をかける様にはしていましたが、日を追うごとに
笑顔が少なくなっていくのを気にしていました。
いつの間にか、出勤してこなくなって、
1人でこなす日々が続き、ある日退職したと聞かされました。
労いの言葉でもあれば、変わったかもしれない。
なので、それ以後は意識して声がけして。
その人の適正で任せる業務をしっかり決めるようにしたのも
その経験から、上席に頼んだ中の1つ。
やってもらって当たり前はないんだと思っています。
やってくれる、その人のおかげ。
とか言って、仕事だとそんな風に考えられるのに、
私生活はポンコツ過ぎる私は、とかく自分が出来ない事に
意識が行ってしまいます。
自分にだって、得意なことあるはずなのに。
そこに気持ちは全くいかないですね。
ああ、皆すごいな・・。
こんなすごい人達と話せるって、私すごくない?
とはなる訳もなく(笑)
ドーンと落ち込みます。
自分はどうしたらいいんだ的な考えがグルグル。
何かすぐに取り掛かれそうなことはないのか。
とりあえず、自分にも何か出来ることはないのか。
で、色々調べて、そんなすぐ出来るわけないのに
やってみて出来なくて落ち込んで、みたいな。
ああ、面倒くさい。
なので、やる日を決めました。
この更新は月曜日にして、こっちは木曜日とか。
この辺は、簡単にみられるから
仕事終わった夜にちょこちょこ見るかなとか。
それ以外の曜日に、手が空いてたらやりますが
基本その曜日にやるし、出来なくても仕方ない。
それだけでも、自分を責める瞬間は減りました。
片付けられない自分も、全てがダメじゃなくて。
そういう日もあるさ、と考えようと。
それでもまだ、人と比べて落ち込みます。
あんな風に話せたらな。
あんな文章が書けたらな。
何であんなに知識があるんだろう。
頭良い人だな、羨ましい。
あんな人脈があればなぁ。
でも、そんなのすぐに手に入れられるわけないし、
その人はそうなる様に色々やったからなんだ。
何もやらずにそんなんはダメだ。
毎日のお風呂の中で、そんな風に自分を鼓舞。
つまらない考えは、ゴシゴシ洗って流しちゃいます。
そうしないと、落ち込んだまま委縮したまま
次の日になるし、それは避けたい。
いつまでたっても、そんな感じかもしれないけど、
たとえ週に1回でも、出来ている自分を見てあげられたらいいな。
そうしたら、すごく生きやすくなる、
そんな気がしています。
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