風と音が誘う町で。
金沢で生まれ育ち、関東で暮らすこと16年。そして北海道が好きで札幌に移住をしてきた自分。道外からやってきたにもかかわらず、仕事柄北海道内はあちこち行った方だと自負しているが、実は上川町に来るのは、初めてだった。でも、だからこそ興味があって、訪れるのを楽しみにしていた。
そうして札幌から旭川、そして上川町の駅に降り立った時、新鮮な空気と溢れる新緑に感動しつつも「果たしてわたしはここの土地で暮らせるのか」とやや不安になった。
何を隠そう、生粋のサッポロクラシックビールファン。ネオン大好き。夜まで待てず休みの日なら昼間から飲みに出かける阿呆全開の中年である。上川町で1ヶ月ワーケーションをする、と周りに言ったとき多くの友人、知人が声を揃えた。
え?大丈夫?
理由は前述の通り。
ワーケーションとはいえ、本業に加えて上川町とも仕事をする。その一方で上川バケーションも当然楽しむわけだが、何から始めようか。層雲峡温泉にはまだ行ったことがなかったので、温泉は楽しみではある。
そしてついにシェアハウスに到着。今回同じプロジェクトに取り組む仲間たちがいるのだが、これまた私と20歳差の子もいる(表現的には「人」というより「子」になってしまう婆魂をお許しください)。
北海道にまできてババアの話なんて聞いてられるか!とか怒鳴られたらどうしよう。びくびく。
そんな不安はさておき、シェアハウスはとてもきれいで、私たちが入ってきて、もともとの住人もいれると総勢7名となった。みんな優しいが。
完全に寮母的な…。
いや、そんなことを言ってないで仕事はすべし、と皆でミーティングなどをして過ごす日々が始まった。
シェアハウスにはもちろん個室もある。1人になりたいときは部屋にこもればいいし、誰かと話したい時はリビングで酒でも飲んでいれば、とりあえず誰かが来る。コントロールできるところがよい。
何より上川町は、本当に人が好きな人が多い。もちろん全員がそうとは限らないし、本当はそういうのは苦手…という人もいるだろう。しかし、コミュニケーションが取れないと生活に支障がでるのでは、と思うほど皆さんとの距離が近い気がする。
個人的な話だが、私は札幌では1人で飲みに行くことが多い。でも、行けば名前で呼んでくれる店がいくつかある。1人で飲みに行くくせに、そんなふうに常連になる店にはひとつだけ特徴がある。
「店主またはスタッフと会話ができる店」ということ。
1人で飲みたいくせに、誰かと話したい。ねえ、聞いてよ昨日ね。などとたわいもない話を誰かにしたい、誰かとしたい。そんなゆるくて濃い交流が好き。だからこそ、上川町の人と人のつながりがしっくりくるのかもしれない。
とはいえ、誰でもやはり1人の時間も大切で。時々、誰にも告げずに出かけることもあるのだけど、行った先で役場の人に会ったり、買い物途中で話しかけられたり。そうしてシェアハウスに戻ると、ハウスの窓から仲間の1人が窓を開けて「ゆーきさーーーん!」と手を振ってくれる。それにただいまぁ!と返す私。
うん。なかなかよい。私って、1人じゃないんだなと思わせてくれる。
そんなふうに過ごす毎日。上川町の空気はとっても美味しくて。朝晩は10度を下回る日もあったけど、部屋の窓はしょっちゅう開けていた。いい香りの空気が入り込む。草の匂い、命の匂い。
上川町に滞在して2週間がたった頃、ようやく雪も溶けて春が来たことを宣言するかのように、町のシンボルでもある「エスポワールの鐘」が動き出した。冬はそこへ行く道も閉鎖されているそうだ。
お昼、15時など決まった時間になると町に鐘の音が響き渡る。もちろん住んでいる場所によってその聞こえ方は異なるだろうが、シェアハウスからは、何かに熱中していると聞き逃してしまうかもくらいで、かといって耳を傾けるとメロディまでは追えないような、そんな絶妙に町の空気に溶け込んだ音色が届いていた。
丘の上に建つ鐘から、上川町の空気の上を通り抜け、風となって運ばれてくる。鐘から発生するその音が、柔らかに聞こえるのは、上川町の空気に触れて、町民の頬をなでてここへ届くからなのかな。その音色は、何よりもあたたかいのだ。
毎日通る道に生える草や花のつぼみが、日ごとに大きくなっていき、いつの間にかある朝、そのつぼみが色味を帯びてしっかりとこちらを向いている。あ、あなたは黄色の花だったんだ、と声をかけたくなる愛おしさ。
まだ雪が多く残る大雪山の山の端が、荘厳で神々しくて、そこからこの草花に繋がっているのだと思うと、この地がその麓にあることを実感する。
この町で生きること。
町民のだいたいの顔と名前がわかる環境というのは、安心な町であることは確かだ。その一方で、わかりすぎるという面倒くささがあるのも現実。
だけど、だからこそひとりひとりが、自分に負けない自分を作り上げられるような環境であるなぁという気がする。他のだれでもない、自分を。
柔らかな風が吹き、メロディーが響くこの町で、春を過ごせたことに感謝する。
滞在の1か月の中で、一度だけ札幌での仕事があって戻ることがあった。貴重な1日を無駄にせぬよう、アポイントを詰め込んでバタバタと過ごす日。そうしてようやく夕方仕事を終えて、19時発のライラック号で再び上川町に向かった。
札幌の輝くビル街を、電車の窓からなんとなく眺めながら「ああ、ここは私の町だな。ちょっと出かけるね、行ってきます」と札幌に移住して6年目の私が思う。そして、徐々に札幌を離れ出すと「ああ、もうひとつの私の大切な、別の町に戻るんだな」と上川町のことを想う。
今夜、上川町に到着するのは夜の22時。それでもそこにはまた帰る場所があって、迎えてくれる仲間がいて。なんだかそれを想像しただけでも、心が温かくなった。
今度はこの町の夏を見たい、日本一早く来る紅葉を見たい、そう思わせてくれるから、きっとこの町に移り住む人も多いのだろう。
あと10日で私の上川ライフはいったん終了する。そこを終えて、きっと再びこの町を訪れる時が来る。
その時は、どんな音が聞こえてくるかな。想像して、プシュ。暗闇を走り抜ける電車に乗りながら、サッポロクラシックの缶を開ける。ああ、そうだ。上川町には生のクラシックを出している店がないと聞いている。移住するとなると、その店を自分が作らないとだめなぁ、と妄想する。さて、明日から何を始めようか。
2024,5,7 金澤 佑樹