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映画『ロボット・ドリームズ』
今日も変な映画を観ました。ロボット・ドリームズの感想を書きます。
監督・脚本・製作 パブロ・ベルヘル
ほぼセリフなしのアニメ映画。
動物たちが暮らす街で退屈に暮らす犬。その犬が退屈しのぎに買ったロボット。
ロボットとの暮らしが思いのほか楽しく、忘れられないものになってゆく。
遊びに行った海岸で体が錆びついてしまったのか、動かなくなってしまうロボット。
日が暮れてロボットを動かせなくなってしまった犬は、ロボットを一旦海岸に置いてまた明日取りに戻ろうとする。が、運悪く海岸が翌日には閉まってしまって、来年までロボットを海岸に置いておかなければならないことに・・・。
映画の主題
この映画はロボットが出てくるように、モノと人間の境界を問う。ロボットはモノなのか?それとも友人として振る舞う人間なのか?
そしてもう一つの主題は「家」だ。ロボットもまた犬と暮らした日々を、海岸に放置されながら想う。家、ホームに帰りたいのだ。
その夢は叶うのだが、しかし思い描いていた形とは少し違う。ロボット自身がホームになったり(鳥たちのシーンと書けばわかるだろう)、悲劇を経た後に違う動物との暮らしがあったりする。
とはいえそれも人生なのだろう。ロボットはモノとしての性格を色濃くもちながら、ロボットなりの人生を生きてゆく。
音楽
音楽も素晴らしかった。ロボット・ドリームズのパンフにはDirector's Decalogue、「監督の十戒」なるページがあり(つまり監督が自分に課した10個のルールだ)、その5つ目には「ミュージカルとすること」とある。
印象的なアース・ウィンド&ファイアーの「セプテンバー」、ザ・フィーリーズの「Let's Go」を扱った他、アニメで街中(アメリカのニューヨーク)が映し出される中で路上演奏する人々、音楽でダンスする人々もあり、映画館の椅子で踊ってしまうこと間違い無しである。
なぜロボットは犬のもとへ戻らなかったのか
最後に、なぜロボットは犬のもとへ戻らなかったのかを考えてみたい。
その理由は、上にも書いたような、ロボット自身がホームとなった経験から来るのではないかと思う。
つまり単にホームへ戻る人としてではなく、ホームとなる人、帰ってゆけるホームを形作ろうとする人の気持ちが理解できたからこそ、ロボットは安易に犬の元へ戻ろうとはしなかったということだろう。
本当に最後に。アライグマの名前がラスカルなのも含めてアニメリスペクトが滲み出てきていてほっこりしますよ。