大河ドラマ考察 #どうする家康 18『真・三方ヶ原合戦』
徳川家康 三大ピンチ!
中でも最大のピンチが『三方ヶ原の戦い』と言われています。
武田信玄と徳川家康のガチンコの戦いです。
先週最後に『徳川家が本気で滅亡か!?』みたいな状況がテレビに流れてビックリしました。そして、今週あらためて「真・三方ヶ原合戦」がはじまりました。
毎回、ドラマの最初にアニメが一瞬だけ流れます。
今回は、家康の鎧『金陀美具足(きんだみぐそく)』が消えていくシーンが...。これは何かを予感させますね。
そして、どんどんドラマが進んでいくと、いきなりテープを巻き戻し!
見たことない演出で我々を楽しませてくれます✨
この戦いでは2人の武将が注目されていましたね。
1人は、よいどれサムライとして描かれていた『本多忠真(ほんだただざね)』。浪岡一喜さんが、いい感じの役を演じられていました。酒飲みながら馬に乗ったり弓打ったりと、かなりの酒豪です。ですが、最後はしんがりを買ってでて、武田の軍勢につっこみ時間を稼いでいましたね。ご本人の名前の通り『真の忠義』を示した武人と感じます。
そして、もう1人。
甲本雅弘さん演じる『夏目広次』です。この方の伝説は、書籍でもゲームでも様々言われており、最も有名なシーンとして徳川家康の鎧を着て、影武者(身代わり)になったという事に、家康は死ぬまで感謝し続けたと伝わっています。
ちなみに松本潤さんのインスタを見たらいい感じの有志の姿が!
りりしいですね!これぞ三河武士の鑑!✨
ドラマでは、なぜか松潤家康が、やたらと夏目の名前を間違えます。何かあるなと思っていたら、
「お主、夏目吉信だろう?わしと一番遊んでくれた」
名前を変えていたから、記憶があいまいになっていたのですね。
そのあと、夏目は鎧を交換して影武者として家康の代わりに壮絶な討ち死にを遂げていましたね。あのシーンは、泣きそうになりました...。
この戦いでは、家康が自分の身代わりになって死んだとされる武将が、本多、夏目を含めて36名いたと伝わっています。晩年、徳川家康は三方ヶ原に作った慰霊碑の前で、周りの者を気にせず号泣したという逸話があります。
特に夏目家は、色々あって大名にはなりませんでしたが、一族はかなり厚遇されて忠義の旗本として現代にまで続きます。そのおかげで、夏目家からは誰もが知る有名人を輩出します。
文豪『夏目漱石』です
(漱石本人が「自分、子孫ッス」と言っていたので、きっと正しい!)
ここも現代につながっていますね!
歴史の分岐点。家康の「空城の計」
ドラマでは珍しく、有名な兵法『三十六計』が出てきました。
家康は、32番目の兵法『空城の計』を一か八か実行しました。
実際に城に、かがり火をたいて、門をあけて、さらに門を丸腰の兵士が、掃除しだしたと言われています。まさに、一か八かの心理戦ですね。
捕捉しますと、史実では、これを見た武田信玄は空城の計を見破るのですが、攻めていいかどうか決めあぐねます。信玄は慎重な軍略家なので念のため考えたわけです。その結果、今度は三方ヶ原から退却してきた徳川軍が浜松城に戻ってきます。そのタイミングを見て、今度は浜松城から城兵が打って出てきた武田軍を挟み撃ちのような状態になります。この状況がよろしくないと信玄は判断。最終的に陣を引き払って、浜松城をスルーして尾張へ進軍していったようです。
ここが神がかった運を引き寄せたといわれるゆえんですね✨
もしも、ここで家康が倒されていたら歴史が確実に変わってしまいます。おそらく、豊臣ムロツヨシ秀吉の政権が完成したはずです。今頃、首都も江戸でなく、大阪になっていた事でしょう。そして江戸は田舎のままですね...。まさに、歴史の分岐点です!
なんとか武田軍の猛攻をしのぎ生き残った家康。
この時代、とにかく生き残った者が勝者です。信玄は、病気になってしまいますからね💦
そして、生き延びた松潤家康の次回の話は・・・!
💑 お手付きしてどうする!(⋈◍>◡<◍)。✧💑
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