深く潜って、高く飛べ! 神は細部に宿るらしい。
冬至に向けて、『陰』の力が極まってきている。暗くなるのも早くなり、16時半にはもう部屋の灯りをつけたくなる。そして、つける。そういうことを、前よりはずっとスムーズに、できるようになってきた。なっている。
ちなみに、以前はいちいち「稼いでいないのだから……」が頭をよぎり、ガマンしようとする癖がついていた(夏はクーラー、冬は暖房など)。それと罪悪感。しかし「罪悪感」こそ万病の元!(?)。私は私を幸せにするのだから、これとは縁を切ったほうがいい。そして自分にガマンを強いている人間は、他人にやさしくできないのだと知る。「(私がこんだけガマンして暮らしてるんだから)おまえも無理しろよな!」みたいな無言の負のパワーが、無意識の底にカビみたいにはびこるのだ。私はそれもいらないから、まずは自分にやさしくすることを決めた。なにより、最高のパフォーマンスをしたいと願うなら、自分自身を“よい状態”に保つことに真剣にならなくてはならない(アスリートやフィギュアスケーターのように)。心も体も。そして「心」と「体」は密接に繋がっている。この世界に、宇宙に、クリエイティビティーの花を咲かせたければ、日常を生きること。地に足をつけ、手を動かし、丁寧に日々を暮らすこと。そういうリアルな姿は実際に見てもらわなければわからないことだけど、本当は全部、“出て”しまうものだと思うから――。暮らしの上に「表現」があるのだと、今の私は感じている。
……というわけで、躊躇わずに部屋の電気をつける。デスクライトを消す。
「さぁ今日も、深く潜って、高く飛ぼう!」
志は、いつだって高く、星みたいにかかげて。
「今日はどれだけ深く潜れるだろう?」
「今日はどこまで高く飛べるだろう?」
毎瞬毎瞬が、自分との勝負。
そして「神」は、「細部に宿る」らしいから――。
自問自答の日々だけど、心を偽らず、ズルはせず、真っ向勝負で挑みたい。それが自分が思う(信じる)「美」であり「かっこよさ」であり、それなしの人生なんて、私には“意味がない、価値がない”って感じだもの。自分に真の“心地よさ”を与えるためにも、自分が大切にしたいことくらい、自分の意志の力で守り抜くのさ(それができるのは「自分」だけでしょう?)。
そして私が見たいのは、行きたいのは、生きたいのは、その先にある世界。
このラインの延長線上で、ミラクルを起こしたい。ミラクルを味わいたい。
だから。
自分に深く、コミットメント。
宇宙意識で、コミットメント。
その先に、受け取る“あなた”がきっといて、私たちはいずれ出会う。
魂の交流?
魂の邂逅??
一緒におもしろいことをしよう。
一緒に素敵な何かを生み出そう。
そうなんだなぁ……。
私はそれを『本』でやりたいんだ。『物語』の力を、追究・追求したいんだ。
だって、私にとっての“それ”はいつだって『本』だった&『本』だから。『物語』だった&『物語』だから。
「想像」と「創造」
『個』の領域を超えてそれが届くとき、私たちは救われる。夢をみる。希望を抱く。闇に光が、一瞬見えたような、気になれる。
いつだって、そうだった。
今だって、そう。
誰かが深く潜って紡いだ言葉は、誰かを高く、飛ばすこともできるのだと――『本』の神様に、『物語』の神様に――、私も「創造」で、「表現」で、この「生き方」で、返していきたいんだよね。
あーぁ、チャンスが欲しいなぁ~!!!
だから今日も。
ここを越えて、超えたい。現実で『夢』を生きたい。それが“叶う”ということを、この「命」丸ごと使って、見せたい。届けたい。味わいたい。そして、愛し愛されたい。