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「叱る」を考える ー ネタ過多記 ー実話と気付いた記録ー

 私の実際の経験から「叱る」ということについての考察と、その経験から得たものを自分の育児へ応用したことについての体験談をまとめています。



「絶対そんな危ないことしちゃダメ!もっと自分を大事にしなきゃ!」

 人生で初めて私を『叱ってくれた』のは、家族でも教師でもなく、語学教室で同じクラスの生徒だったMさんでした。

 当時の私は驚きました。「自分のことを大事にしなくてはいけない」と本気で、私のためだけを考えて叱ってくれる人に出会うのが初めてだったからです。

 彼女のその言葉は、今でも私の心に深く刻まれています。


 成人するまでの間、もちろん両親に怒られた(叱られた?)ことはたくさんあります。

 しかし、どんなに彼らが怒っても私に響くことはありませんでした。

 自分たちの体裁や、世間体ばかりを考えて繰り返される、時には暴力を伴う両親の叱責は、親の立場を守るためなんだと子供ながらに理解していました。

 こんな環境では、『私のために叱ってくれた』などという感覚は起きなくなります。 

 一番近い大人によりもたらされたその理解により、教師の指導すらも芯があるように見えなくなりました。

『教師は給与をもらい、仕事だから指導するのだ』と。

『指導するのは学校の名前に傷をつけないためなのだ』と。

 高校生になる頃には、

『叱るとは、利害関係が絡む場面で、力を持つ側がその立場を守るために行うものなのだ』

と思うようになりました。

 しかし、その考えを、Mさんは見事に覆しました。


 20代前半、イタリア語教室でMさんと出会いました。

 Mさんはイギリスでガイドを数年間した経験がある、明るくてはっきりした性格の二十代後半の女性でした。

 ある時、私が成人して初めてバックパッカーで一人旅をした時のことをMさんに話しました。

 その旅の終わりに、私はイギリスに渡り、ネットで知り合った見ず知らずのイギリス人男性の家に泊まったのです。

「一泊で放り出されちゃったことあって…」と、イギリスでの経験を笑いながら話した途端、たちどころに彼女の顔色が変わりました。

「私はKANATAさんが好き。だから、言わせてもらうね。」

 彼女の目は真剣で、本気で何かを伝えようとしているのがすぐにわかりました。私は緊張して彼女の顔を見ました。

「イギリスでは年間何人もの人間が誘拐されて殺されているんだよ。ネットで知り合った程度の人の家に泊まるなんて、ありえない!殺されるよ!死ななかったのはたまたま運が良かっただけ。もっと自分を大事にしなきゃ!」

 繋がりは語学教室だけで、私を叱ることは、Mさんにとって何も利益がない状況です。

 私が生きようが死のうが、彼女の人生は何も変わらないはずです。

 逆に叱ることで、今後のクラスの中での関係がギクシャクするかもしれない。

 それなのに、彼女は私を本気で叱りました。

 彼女の体裁を考えない、まっすぐな言葉は、私の心の中に染み込みました。

 その夜、思い出して一人で泣きました。

 私のことを気にかけて、叱ってくれたことが本当に嬉しかったんです。

 彼女の言葉は確実に私に響きました。それから無謀で大胆な賭けのような行動は無くなりました。


 両親の叱り方と、Mさんの叱り方の違いを整理してみました。

 両親の叱り方は世間体が第一にしか見えませんでした。

 恐怖に不安、諦めや無力感のような負の気持ちが植え付けられ、いつ怒られるかビクビクしていた記憶が未だに頭の中にこびりついています。ただ怖いだけで、何を叱られたのかはよく覚えていません。

 理不尽に怒られたエピソードだけは頭の中にしっかり残っています。

 イギリスでの経験は親には話したことはありません。ですが、仮に話したとしたら『ええ?そんなバカなことしたの?恥ずかしいから、変なところで命落とさないでよ!』と怒るでしょう。

 一方でMさんは、私の身の安全を考え、本当に私を大切に思って叱ってくれるのが伝わりました。全くの利害関係がない上に、叱ることにより関係が悪化するかもしれないリスクがあったのに、言ってくれたからです。

『自分が子供を育てるようなことがあったら、両親のような怒り方は絶対にしない』と、Mさんとの出来事の後、強く思うようになりました。

 そして子供を授かった時、ふと考えました。彼女が私にくれた経験を、子供を叱るときに応用してみてはどうかと。


【Mさんの叱り方から私が学習したこと】
・相手のことが大切だということを伝える
・注意を伝える
・それをなぜするべきではないかの理由を伝える
・注意をした後は引きずらない

(次の週、教室に行く時、私は少しバツが悪かったのですが、Mさんは次の週いつも通りのMさんで何事もなかったように仲良くしてくれました。)

 子供相手なので、もちろんこれだけでは足りない部分もあります。

 実際には、Mさんが私を叱ってくれたやり方を骨組みにして、私の両親と真逆の叱り方を心がけています。

 叱る事態が発生していない時には、日頃から遊んだり会話をして、信頼関係を築き、子供たちが私にとって大切な存在だと、言葉よりも態度で示しています。

 そして、叱らなくてはならない時には、以下を心がけています。

・自分の都合で叱らない
・感情に任せて爆発しない
・行為のみを注意し、人間性を否定しない
・「ダメ」という言葉単体で禁止や否定をしない
・「〇〇しなさい(威圧・強要・強制)」は言わない
・「注意する」と「その理由を伝える」をセットにする
・問題行動をした理由があるなら耳を傾ける
・注意が終わったら引きずらない

※叱った後は、緊張状態を基本的にすぐ解除します。内容の深刻度ですぐに解除しないことも二回ほど過去にありましたが、長くても数時間以内で解除しました。注意が終われば、後腐れなく対応します。

(自分の都合で怒っていなければ、多くの場合、緊張状態はすぐに解除できるのではないでしょうか。)

 子供達が言葉が全く話せない赤ちゃんの時から、私は上記の対応をしてきました。

 この方法をしたからといって「叱ってくれた」とは思わないかもしれません。

 でも、少なくとも、被害者的な感覚になりにくく、何をしたから注意されたのか、問題の本質が見えるようになってくれたらと思って実践してきました。

 しかしある日、思わぬところで娘が突然語ります。

「お母さん、叱ってくれて、ありがとう!」

 驚きました。小学校二年の子供にそんなふうに言われると思わなかったからです。当然理由を聞きました。

「今日、道徳の授業で、嘘のお話で、お母さんが叱ってくれたから、手をあげて答えれたの。先生に褒められた!」

 叱ったことが通じていました。

 彼らを尊重した叱り方ができているのかもしれないと、少し安心した瞬間でした。

 Mさんが叱ってくれたことで、「叱る」行為について掘り下げて考えることができた結果だと思っています。

 Mさんが私を叱ったのはたった一回なのに、私だけではなく、子供たちの成長にもたくさんいい影響を与えてくれています。

 そして、これらの経験を通した結果、私の中で「叱る」という行為について、定義が更新されました。

『叱るとは、相手の成長を考え、導くために行われるべきであり、相手を大切に思っての行為であるならば、伝えることを意識するべきである。』

 例えば、不適切な行為をしたときに、「それをしてはいけない」だけを伝えるのではなく、『なぜそれをしてはいけないのか』『それをしたらどうなってしまうのか』までを伝えることで、理解を促すのが本当の叱ることだと思うのです。

 “叱る“行為について考えさせ、気づかせてくれたMさんには、とても感謝をしています。


※私は教育者でも、心理学者でもありません。ただの一個人の実体験から考察した内容にすぎません。こういう体験をした人間が経験の沿線上で出した答えと位置付けて受け取っていただけたらと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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