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【SF短編小説】 原点 #青ブラ文学部
※本文約3300文字です。
アリシャは拾ってきた石板を目の前にしてため息をついた。
『これで何度目だ?』ジャンルークが片眉をあげて彼女の様子を伺うように横目で追う。
昨日石板を拾ってきて以来、彼女は目の前に立ちはだかる問題と、先祖の残した石板の間に板挟みになっていた。厳密には、石板ではなく、そこに刻まれた言葉だ。
『原点を忘れるな。失うことがあれば、必ず原点に立ち返る。原点は決して手放すな。ファルーク・シャンドラン』
彼女は恨めしそうに石板の文字を指でなぞる。
「つい嬉しくて、復興のヒントになるかもって思って持ち帰ったけど…目の前の問題解決には役立たなそうね…」
昨日からずっと上の空のような会話しかしなかった彼女が、ようやくまともに口を開いた。ジャンルークは嬉しくなり座り直す。
「そう?」
意外な回答にアリシャが目を丸くして顔を上げる。彼女の澄んだ瞳は、続きを期待するように輝いていた。ジャンルークは得意げに口を開く。
「原点は失った物の中にはない…ってこと。だから、もっと前に立ち帰るってこと。」
約250年前。惑星規模の災害が起きた。多くの犠牲者が出たが、衛星要塞都市が惑星周辺に完成していたことで、復興の足がかりはかろうじて残されていた。
復興計画で予定された五つの復興拠点のうち、三つまでは軌道に乗り、人口が増加傾向に転じている。
しかし、アリシャが任された第五復興拠点は難所で、復興が遅々として進まないエリアだ。今まで何人もの担当者が復興を試みては、頓挫するを繰り返していた。
他の拠点との大きな違いは、多くの地域から人が流入しているということだ。故に、一つにまとめるのが難しい。ついては離れるを繰り返し、意見が一つにまとまらないのだ。
「原点は、地域にはない…ってこと?」
怪訝に眉を寄せるアリシャを見つめながら、ジャンルークが静かに頷く。
「さらにいうと、今回原点にするべきは、人種や元々の国籍でもない。」
アリシャは首を傾げる。そもそも問題の原点が地域性で、彼女の前に立ちはだかる大きな壁だ。『何?』と言いたげに彼女が眉間を寄せる。
「今回の場合は、人が集まることこそが原点なんだ。」
「集まることが原点?」
「なぜ、集まるのかを考える…そこが原点」
復興の先頭に立っている衛星要塞都市ユニオノヴァが復興の拠点を決定した。
拠点は積極的に人を集めることはしない。生き残った人々がそこに行けば、食事と簡易住宅が提供され、必要に応じて医療サービスが受けられるという立ち位置だ。つまり、拠点で生活する人々は目的を持ってこの拠点に身を寄せているということになる。
ただし、一定数が集まることは想定できたため、街として開発する計画が立てられた。その方が復興も効率がいい。
すでに惑星全体で、どの地域も国を維持するのは難しい状況であり、最大限の復興を引き出すには最適の方法という結論に至った。
「何も、食べ物や住む場所だけじゃない。人は他の人と一緒にいると落ち着く。気持ちを落ち着ける意味でも、人を求める。だから、集まる。」
なるほど。一理あるかもしれない。しかし、多くの地域から流入していることで起こる文化的対立についてはどうしたらいいのか。
多数に合わせようにも細分化されすぎていて、寄せるのも難しいが、仮に寄せたとしたとしても、対立の解決にはならないのではないか。
「世の中に片付くってことはほとんどない。」
「どういうこと?」
「変化があれば、もう、元には戻せないってこと。物理的にはね。」
「え、でも…」
腑に落ちないといった表情のアリシャの横にジャンルークは近づいた。そして、「見て…」と言って自分のホットミルクをスプーンですくい、彼女のカップの中に一滴垂らす。
ミルクの液面が大きく揺れてから次第に収まりを見せ、やがて元通りの静かな液面に戻った。アリシャがミルクと彼を見比べる。
「これが…何?」
「ミルクを垂らす前と後で変化は?」
当然、垂らした時、液面は一度揺れた。だが時間が経てば何もなかったように落ち着いている。少し考えてから彼女はふと顔を上げた。
「何もないように見えても…微量だけど量が変わってる…」
「…そう。じゃ、これは?」
そう言うと、今度はミルクをスプーンで混ぜてから抜き取った。一度揺らされたミルクがしばらくして再び静止する。アリシャが目を輝かせる。
「同じじゃない…スプーンに表面張力でついたミルクの分減っているし、カップの淵には波の模様がうっすら残っている…」
「でも、人によっては元に戻ったと捉える。」
「なるほど…」
「で、君のような科学者気質は変化したと捉える…」
「戻ったと捉える人たちは、状況を許容や妥協により戻ったと判断している…」
「その通り。さらに言えば、許容範囲や妥協点は人それぞれ。変化していると捉える人間の意見より、統一した答えを得るのは難しい。」
アリシャは無言のまま小さく数回頷いた。彼女が話についてきている様子にジャンルークが優しく目を細める。
「人の捉え方で結果が変わる…つまり、片付いたかどうかは気持ちの問題…人間特有の現象だ…故に…」
「…世の中に片付くってことはほとんどないということ…ね…?」
アリシャはカップを見つめ、ティースプーンでもう一度ミルクをかき混ぜる。小さく波紋が広がり、消えていった。
一度変化が起きれば元の形に完全に収まることは無理ということ。
動きがあれば、何かしら周囲に影響を与える。それに伴って、周りが動くまたは動かされる。
仮にその変化を正そうとする行為があっても、その動きが別の変化を起こす。こうして変化は連鎖していく。結果、完全に元通りになることは難しい。変化は目に見えなくなっても、形を変えて残り続ける。
「どんなに私たちが元通りに復興しようとしても、それを完全に元の形に戻すのは難しいってことね。仮にそれを、力づくで近い形に持っていったとしても、個々人の感覚に委ねられる。人によって”元通り”の感覚が違うから、形にこだわると余計に対立が深まる。」
ジャンルークが感心した様子で深く頷く。アリシャは一瞬彼に顔を向け、それに応えるように目元に笑みを浮かべた。そして、石板に視線を落とし文字に優しく触れる。
「…ましてや250年経って…地域性で見たところで…一見周りからは同じように見えていたとしても、実際の見え方は個々人で違う可能性も高いはず…それを説明し、納得してもらえたら…」
アリシャが生き生きした眼差しをジャンルークに向ける。ここからはアリシャの出すべき方向性だ。彼は無言でゆっくり頷いてみせた。
「この拠点に身を寄せたということは、文化や地域性以前の目的があったはず…生存のため…他者との繋がり…人がこの拠点に集まる理由という、そもそもの原点を一緒に考えて、理解してもらって…既存の価値観に囚われず、ここに住む人たちの新しい共通意識を作る…ということね。」
「…そう。でもそれは、俺の意見じゃない。君が導き出した、君の答え。」
突き放すような彼の言葉に、アリシャは一瞬、心細さを覚えた。彼の言葉がなかったら、この答えには辿り着けなかったはずだ。
それなのに、「君の答え」と言われると、まるで彼が手を離してしまうような気がして、心がざわつく。
彼女を安心させるようにジャンルークは穏やかな表情でウインクして見せた。
「リーダーは君ってこと。俺は、その君の考えには大賛成だ。」
アリシャは安堵のため息をつきつつ「驚かさないで!」と言って睨んだ。しかしすぐに信頼の眼差しを彼に向ける。さすが三百年前に作出された『最高傑作』と称される幻の人工人体だ。人の社会や歴史をよく理解し、導き方を心得ている。
アリシャは人懐こい笑みを浮かべてジャンルークを見つめた。
「ありがとう。あなたのおかげ。でも…みんな理解してくれるかしら…」
ジャンルークは安心させるように大きく笑顔で頷いて見せた。
「大丈夫。アリシャには、なんかよくわからない自信に満ちた勢いと、それを助ける愛想がある。なんとかなんだろ。」
アリシャは複雑な苦笑いで返すと、石板を一度高々と掲げ、本棚の上に立てかけた。
この日の気づきを忘れないために、原点を常に心に留めておくために。
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今回は、こちらの企画に参加させていただこうと思い、書いてみました。興味深い企画をありがとうございます。
この短編の登場人物はまだ本編には登場していませんが、以下の長編小説の登場人物のサイドストーリーです。宜しければ、こちらもよろしくお願いいたします。
アリシャが石板を手に入れる短編などはこちらにあるのでもしもよろしければ…
最後までお読みいただきありがとうございました。