見出し画像

【短編小説】どんぐり#シロクマ文芸部ー「木の実と葉」参加ー

 木の実と葉、小枝を使って、猫の顔が砂場の砂の上に描かれていた。目と鼻がどんぐりで、口には逆さまにしたイチョウの葉っぱ、輪郭は小枝で作られていた。

『ああ、子供の頃、こんなことしたな。』

 僕はそこにあったパーツを使って、魚に作り変えた。どんぐりを二つ持て余したので、魚の口から泡を二つ出すことにした。更に砂の上には、波形と海藻を書き加えて完成した。

『うん、なかなか良くできた。』

 一仕事終えた気分で、近くのブランコに腰を下ろし、揺れてみた。夕暮れと共に、少し冷たい風が強くなった気がした。太陽が家々の間に姿を隠し、残された光が空に浮く鱗雲うろこぐもを紫陽花のように染め上げていた。

 平日のこの時間はもう誰も公園にいない。子供の数が減ったのか、子供が忙しくなったのか、治安が悪化して子供だけでこの時間まで遊ばないように指導されているせいか。理由はわからないが、何もすることがなく、時に取り残された僕だけが、時間が止まったように静かなその公園で一人揺れていた。

「ちょっと!勝手なことしないでよぉ。」

 きつめの、とがめるような言い方で、後ろから子供の声がした。振り返ると長袖のTシャツに半ズボン姿の小学四年生ぐらいの少年が立っていた。『ブランコに乗っていることを言われているのかな?』僕は反射的に立ち上がって少年の方に体を向けた。

 その時、彼の少し高圧的な態度から、公園が無人の理由を漠然ばくぜんと想像した。この子が遊具を独占するから、誰もこの公園に来なくなったのではないか。『ここは一つ大人として、言い方には気をつけたほうがいい、とか、注意したほうがいいのかな。』

 しかし、子供と会話をした経験がないため、どう言葉をかけていいのかすぐに浮かばなかった。考えあぐねていると、そんな僕のことはお構いなしで、彼は砂場に一直線に小走りで駆け寄ると、しゃがんで僕が作った魚に視線を落とした。

「ここに犬の絵を作ってあったでしょ?」
「え?ああ…」

 子供どころか、ここ一年以上、大人ともろくに話した記憶のない僕は、返答らしい返答ができずにたたずんだ。しかし、せっかく作った犬(僕には猫に見えたけど)を崩してしまったことを謝った方がいいかな。そんなことを考えていると、すぐに男の子があごに手を当て僕に顔を向けた。

「おじさん、センスいいじゃん。どんぐりの使い方がいい。砂の上に波を書いているのもすごい!」」

 突然褒められた。しかも、自分と二十歳ほど違う子供に。何も言えず立ち尽くす僕に、子供は感心したように頷きながら笑顔を向けてきた。

 僕は予想外の出来事に面食らい、さらになんと言えばいいか分からなくなり、とりあえず、一言「ありがとう」と返した。

「おじさん、図工の先生?」
「いや…」

 彼の質問に対する気の利いた返答は見つからなかったが、『おじさんと呼ばれるには、まだ数年あるのでは…』僕はその方が気になっていた。すると、僕の気持ちを察したのか、少年は繁々しげしげと顔を覗き込んできた。

「何歳?」
「三十歳」
「ああ、父ちゃんより若いな。じゃ、お兄さんだ。」

 そう言って彼は人懐こい笑みを浮かべた。僕は「どちらでもいいよ。」と心にもないことを口にして、ぎこちなく口角を上げてみせた。

「お兄さん、図工好き?」
「ああ、好き…というか好きだったかな。」
「今違うの?」
「そうだな…」
「なんで?」
「…大人になったから…かな。」
「ふーん。でも、もったいないなぁ。上手いのに。」

 そう言いながら少年は、砂の上のパーツを移動して、もう一度“犬“の顔を作って見せた。そして、「どう?」と笑顔で僕の方を見た。しかし、僕にはやっぱり猫にしか見えなかった。

「…猫っぽいな。」

 彼の人懐こい性格に心を許した僕は、一言そう言って、彼の横にしゃがんだ。

「顔の輪郭を長くしてみたらいいんじゃない?」

 そう言って僕は、枝のいくつかを移動してみせた。しかし、彼はその僕の行動が気に入らなかった様子で、僕が移動した枝をすぐに元の位置に戻した。

「だって、僕が犬と思って作ったんだから、犬だよ!」
「でも、僕には猫に見えたから。」
「それは、お兄さんにはそう見えただけでしょ。」

 それを聞いた時、ふと誰かと似たような会話をしたことを思い出した。ずっと昔で、記憶は定かではないが、子供だった頃この公園で誰かとこんな会話をしたと思うのだ。この会話の結末をおそらく僕は知っている。しかし、遠い昔すぎて、相手が誰だったのかが思い出せなかった。

 この先が本当に僕のおぼろげな記憶通りなのかが知りたくなり、僕は「ごめん」と素直に謝った。すると、少年はまた口元に笑みを浮かべた。

「お兄さんには猫に見えたなら、猫でいいんだよ。」
「そうなの?」
「もちろん。僕は犬だと思っているけどね。」

 そういうと男の子は立ち上がって、膝についた砂を払い落とした。僕はしゃがんだまま、彼を見上げた。

「これは僕が作った形なの。誰かに言われて変えるのおかしいよね。」
「…」
「形を変えなくていいよね。見え方が違うってだけだもん。」
「…そうか…」
「で、お互い違うって言い合ってケンカしなければ、それでいいんじゃない?」
「随分、大人っぽいこと言うね。」

「そう?」といって、男の子は得意そうに胸を張って目を瞑ってみせた。二人を優しい夜風が撫で、辺りの熱を静かに取り去っていく。

 僕は、彼の作った形が自分のイメージに合わないから、合うように形を変えさせようとしたのだろうか。それとも、僕が大人だから、子供の彼に教えようとしたのだろうか。

 いずれにしても、第三者としてこの行為を見たとき、受け入れ難い行為だというのが僕の感想だった。少年の作った形を、自分の思う通りに変えようとしたことを反省した。無意識だったから、自分自身のこととは言え、意図がはっきりわからない。しかし、潜在意識の何かがやったのなら、少し怖くすら思えた。

「君の言う通りだね。無理に形変える必要…ないね。」

 僕は立ち上がって手を組むと、天を仰いで腕を伸ばし、大きく一つ伸びをした。まだ明るさが残る遠くの大空に、寝ぐらに帰るヒヨドリの群れが飛んでいた。それから僕は、顔を少年の方に向けて、微笑んでみせた。

「人によって見え方が違う。確かに、ただそれだけだね。相手からの見え方を気にして、元々の形を相手に合わせて変える必要、ないよな。」

 僕は久しぶりにとても素直な気持ちで話ができている気がした。それと同時に、周りに合わせて自分の本来の形を変える生き方をしてきたことを少しだけ悔やんだ。周りからどう見られるのかを気にして、親の期待に合わせて選んだ未来を見据え、同級生たちに置いていかれないように必死に彼らの背中を追いかけた。自分の夢を語ってまっしぐらに進む勇気が僕にはなかった。

 そんな僕の複雑な心境は知る由もなく、僕の言葉に少年は屈託のない笑みを浮かべた。

「そうだ!題名変えよう!」
「犬でいいんじゃない?」
「ううーん、だって、お兄さんには猫に見えるんでしょ?」
「でも、それでもいいと、今は思うよ。」
「色々に見えるなら、もっと自由な題名がいいなって…」

 僕はその時、この部分は記憶がはっきりしていた。この後の展開を僕は知っていた。猫だと言った僕の反応を踏まえて、彼は題名を犬から変えるのだ。自由な発想を肯定する題名に…

「ボクってどう?」
「ボクでしょ?」

 二人の声が“ボク“の部分だけ揃った。少年は目をまん丸にして嬉しそうに僕を見た。

「すごい、揃ったね!どうしてわかったの?」
「色々な見方ができる作品なら、そう言う自由な見方ができるようにって…それを見る『ボク』の目線で見てもらえるようにって…いろいろ相談して…つけたよな?」

 そうなんだ。これは彼と一緒に考えた題名だった。僕は話しながら思い出して頭に浮かぶまま口にした。すると少年は嬉しそうにカラカラと笑い声を上げた。

 彼の笑い声を耳にした時、僕は相手が誰だか思い出した。澄んだ秋空のような心地よい明るい笑い声。

「ショウちゃん!」

 彼の名前が口をついて出た。少年は優しげな笑みを僕に向けた。でもそれは少し物悲しくて、泣き出しそうにも見えた。

「覚えててくれたんだ?」
「でも…何で…」

 僕はそれ以上知るのが怖くて、口をつぐんだ。ショウちゃんは小五の時に引っ越してそれっきりで、写真を残すほど親同士に交流があるわけでもなかったから、顔をすっかり忘れていた。

「この次、何をしたかも覚えてる?」

 そう言って彼は砂の上の目のどんぐりを二つ手に取ると、僕の前に差し出した。

「植えた…よね?芽が出たら夢が叶うかも…とかって言って…でも、次の春、君のだけ芽が出た。」

 少年は満足そうに小さく頷いた。ボクは振り返ってブランコの後ろの柵の外にあったはずの小さめの岩を探すために、視線を走らせた。その岩の手前に植えたはずだった。しかしそこには記憶にあるような岩は見えず代わりに成長したクヌギの木が一本目に入った。

「もしかして…」
「そう、あれ。」
「君の木はすごいな…僕のは芽すら出なかった…」

 僕は大学卒業後、就職した会社でうまくいかず、一年後に転職し、その後は約二年働いて転職するを三回繰り返していた。自己嫌悪にさいなまれ、精神的にむしばまれ、一年前に実家に帰ってからは、稀に一人で外には出るものの、ほとんどの時間を部屋に引きこもり、人との接触を避けていた。そんな自分はまるで、タネのまま終わった自分のどんぐりと同じに見えて僕は地面に目を落とした。

「あ、やっぱり忘れてる。」
「何を?」
「あの春、僕らはこの木を、僕たちの木にしようって言ったよね。」
「ああ…」

 そう、ショウちゃんが引っ越しをする年の春、僕の芽が出なくて泣きそうになっていたのを見かねて、ショウちゃんが提案してくれたのだ。「一緒に遊んで植えたから、二人の木だよ」と。

「でもね、この木、君にあげる。たまに、見にきてあげて。」

 僕はショウちゃんがなぜそんなことを言うのか理由を聞きたかったけれど、聞くのも怖かった。僕と同い年のはずの彼が、子供のままの姿で目の前にいるということは…そういうことなのだろう。

「僕は色々できなかったけど、君にはまだ先がある。たまには、思い出してよ。僕も、ここも。」

 ショウちゃんは、どうしてこうなったのかは言わなかったけれど、僕の気持ちを察してか、今の彼はどういう存在なのかはちゃんとわかるように言ってくれた。そして、西の空が暗くなる頃、彼は僕の目の前で姿を消した。


「…ってわけで、今僕は叔父がやっていたこの店を引き継いで、この店でうどんを打ちながら、絵を描いてるんです。デパートで個展を開いてもらえるぐらいにはなりました。」
「すごい!」
「長い話、聞いてもらって…なんかスッキリしました。」

 店主は人の良さそうな満面の笑みで目の前のカウンター席に座る二人を見た。

「いえいえ、こちらこそ、なんかすみません、お昼の時間過ぎてるのに…」

 美月はどんぶりを両手で持って、残りのつゆを全て飲み干した。そして、満足そうに一つ息をついた。

「ああ、いいお出汁で本当に美味しかった。ごちそうさまでした。」

 満足げに微笑む美月の横で、璃玖はコップに残った日本酒を全部飲み干した。それを見た店主は驚いて目を丸くした。

「それにしてもお客さんの彼すごいなぁ。何も食べずに日本酒コップで三杯飲んでもなんともないっていうのは、神がかってますね。」
「あんた見る目あるな。当たらずとも遠からずってとこだな。」
「え?」

 璃玖の言っている意味が分からず、目を丸くする店主を見て美月は慌てた。

「お酒しか飲めない特異体質なだけです。じゃ、そろそろ行こうか。」

 璃玖は天狗のため、人のような食物を必要とする肉体を持たない。そのため、固形物を食べることができない。実体化している時に水や酒は多少飲めるが、たとえ実体化していても、食べ物を食べるということはない。

「あ、店主、そのクヌギ俺も見たいんだけど、場所教えてもらえますか?」
「構わないですけど、樹木に興味があるんですか。面白い人だね。」

 そう言いながら、店主はメモ用紙に簡単な地図を書くと、璃玖に手渡した。

「ありがとうございました。近くに来ることあったら、また寄って下さいね。」

 店主の声を背中で聞いて、美月は出口で「また、いつか。」と言って、笑顔で軽く会釈をし、璃玖は真顔で会釈だけすると、二人は店を後にした。

「店主の話で何か気になることあった?」
「いや、きっとクヌギに悪いものはついていないだろうな。あの店主の様子見てもわかる。」
「じゃ、本当にただの興味?」
「いや、予防的な感じ?」
「予防?」
「そ。人の念に守られて芽を出して成長した木は、人の念をいい意味にも悪い意味にも引き寄せやすいし取り込みやすい性質になるからな。悪意の吹き溜まりみたいになって枯れたら気の毒だから、話聞いちゃった以上、一応診てから帰ろうかなって。」

 美月は満足そうな笑みを浮かべて両手を後ろに組むと横を歩く璃玖を見上げた。

「天狗らしいことするね。」
「まあ、樹木見守るのは俺の役割の一つなんでな。」
「感心感心。」

 会話が途切れた。二人の間を柔らかな風が通り抜けていく。

「そう言えば…さっきもだけど…最近、俺のこと『彼氏』みたいに言われても否定しなくなったな?」
「…あ、気づいた?」
「そりゃ、気づくだろ…でも、いいのか?」

 美月は少し穏やかにクスッと笑った。そして、青空に顔を向けて目を閉じ、少し大きく気持ちよさそうに息を吸った。

「…いいの。否定する意味ないなって。」
「ふーん。」
「いや?」
「全然。」

 美月がほっとして笑顔を向けると、璃玖も口元に笑みを浮かべて答えた。

 二人は青く高い秋空に向かって伸びるまっすぐの坂道をゆっくりと並んで歩いていった。澄んだ秋風の中、道端に咲くコスモスは二人の来訪を歓迎しているかのように優しく揺れていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

最後までお読みいただきありがとうございました。

シロクマ文芸部さんの「木の実と葉」の企画に参加させていただきました。
お題をいただけることで、書きたかったことを書けるきっかけを頂けて、感謝しております。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集