見出し画像

【SF小説】ユニオノヴァ戦記 I ー はじまりの事件④ ※改訂版

これまでの話はマガジンでご確認いただけます。↓


 中継ステーションエルダと自然衛星リューンのちょうど中間地点に、アカデミア騎士団が運営する警備ステーション、エレノアは位置する。

 旅客・運搬用宇宙船が停泊するエルダとは違い、警備艇だけが停泊するエレノアの作りはシンプルだ。燃料や資材、水に食料、武器の格納庫を有する本部を中心とし、直接五つのプラットフォームに繋がっている。

 アカデミア騎士団に30ある部隊が三日交代で任務に就く。警備に加え、通信衛星のメンテナンス、航行中の宇宙船に不具合が発生した際の応急処置的な修繕作業などの船外活動が含まれる。

 第5部隊を任されている指揮官のカイル・シャンドランは司令室で、最も信頼できる側近のミラ・カーティス、ディノ・クレールの二人と休憩をとっていた。

「今日、フェイレンはここにくるの?…あら…ありがとう。」

 ミラはカイルから淹れたてのコーヒーを受け取る。

「ああ、交代は明日だし、ここの方が色々と気を遣う必要もなく、都合がいい。」

 そう言いながらディノにもコーヒーを差し出す。カイルと視線を合わせ、小さく頷きながらディノはカップを手にし、香りを確かめた後そっと口をつけた。

 目を閉じて、風味を確かめるために鼻で深く一度呼吸する。豊かで繊細な香りが通り過ぎると、ゆっくり目を開きコーヒーに視線を落とした。長い付き合いだからわかる。カイルの神経が研ぎ澄まされている時の味だ。何か行動を起こそうとしているのだろう。

 フェイレンとの面会にミラと共に同席させると言うことは…。

「…いつにも増して…繊細な風味だな…」

 ディノが呟く。仲間内で有名な話だが、カイルのコーヒーは格別に香り高い。同じ豆で淹れても仕上がりが違うのだ。

 カイルにもこだわりがあるようで、手が空いている時は指揮官にも関わらず、進んで部下のコーヒーを淹れる。

 古い仲間には労いと感謝を表し、新しい仲間には話題の提供と心の垣根を低くする、もてなしの意味もあるのかもしれない。

「グレンの件が動くの?」

 ミラに発言の先を越され、ディノの口元が緩む。彼女もまた、彼のことをよく理解している腹心の部下だ。

「二人とも、話が早くて助かる。」

 カイルは信頼の眼差しで二人を見渡し、ゆっくりカップを持ち上げた。立ち上る香りを確かめながら、揺れる黒い液面をじっと見つめる。

 カイルが騎士となった十年前に発生し、長く停滞していた事案がようやく動き出そうとしていた。

 シャンドラン家とアカデミア騎士団内の重要個別事案のため、ユニオノヴァの中央議会の中枢のみが認識する極秘案件だ。細心の注意を払う必要がある。

 しかし極秘事項として扱われる以上に、カイル個人には慎重に事を進める必要があった。

「グレン案件には…サトカシが絡むわね…?」
「ああ…だから、中央議会に話を通す前のフェイレンとの打ち合わせに、二人にも入ってもらいたくてね…」

 ミラは不安な表情で俯く。サトカシといえば僻地の移動集落で、ユニオノヴァの手が及ぶことを拒み続けている集落だ。そして、ヴィクトルと同居するマヤの心の拠り所と言える故郷でもある。

「サトカシと直接関わるとなると…取り決め通りなら…」
「マヤは帰還…彼女がユニオノヴァに居住できるのもこれまでとなる…か…。」

 ミラもディノも手元のカップに視線を落とす。

 人身売買でユニオノヴァに連れてこられて保護されたマヤは、現在シャンドラン家預かりとなっている。彼女を預かる期限は、成人までを上限とし、それまでの間にサトカシと接触することができれば、その時点までと決まっている。

「最近ようやくヴィクトルに表情が戻りつつあると思うの…マヤが帰還についてどう考えているのかはわからない…でも、ここでマヤが地上に帰ってしまったら…」

 カイルは無言で手元のカップに視線を落とす。

 以前のカイルとヴィクトルの兄弟仲は良かった。しかし、四年前の事件以来、互いに後ろめたさや気まずさを抱え、二人はほぼ断絶状態となっている。二人の仲を完全に断ち切らないため、ミラとディノが立ち回り、彼らの間はかろうじて繋がっている状態だ。

 それでも、カイルが全くヴィクトルのことを気にかけていないということはなく、少しでも彼がマヤと一緒にいられるように配慮をしてきた。しかし、今回の案件はサトカシと直接繋がる事案となるため、知恵を絞り出す必要がある。

 しばらくの間、三人の間を重い沈黙が充満した。

 ふと先日のことがディノの頭を過ぎる。ここで言うべきか悩ましいが、ヴィクトルとマヤの未来を考えるとするなら、耳に入れておいた方がいいかもしれない。

「俺はどうこう言うつもりはない…だが現状だけは伝えておく…」

 ディノは視線だけ上げて、カイルとミラの表情をうかがってから、再び手元のコーヒーに視線を落とす。そしてひとつ息をつくと、意を決したように顔を上げ、二人を交互に見た。

「…先週、追跡検診とは別件でラボに行ったんだが…」

 宇宙空間では微小重力や、大量の放射線、宇宙線の影響により、細胞の破壊と遺伝子損傷が起きる。

 それを軽減するため、ユニオノヴァに居住する人間には遺伝子アップデートを受けることが義務付けられている。これにより細胞の新陳代謝が強化され、地上の6分の1の運動量で適切な筋力を維持することができる体になる。

 さらに、過酷な環境下で任務に就く騎士には一歩踏み込んだ、イヴォルヴアップデートが施される。これにより、ユニヴェルスーツを起動して活動する時の身体能力を飛躍的に向上させる。

 しかし、名門家の第三子以降に誕生した子女にはさらに研究段階の遺伝子操作、エクストラアップデートが行われる。危険の伴うアップデートのため、第二子までが免除される。後継者確保のためだ。

 エクストラは名門のクラスを維持するには義務となっている。ユニオノヴァが研究開発を目的とする、科学者の集まりから発生した連合体であった名残とも言える。

「ラボから出てくる…ヴィクトルに会った。」

 カイルの表情が一変した。先ほどまでとは打って変わって険しさを増し、眼光は憎悪を含む。ミラも息を呑み、カイルとディノの表情をうかがうように交互に見た。

 エクストラアップデートはカイルがユニオノヴァで最も忌み嫌っている慣習だ。

 四年前の事件の発生を防げず、ヴィクトルに大きな負担をかけてしまったことがカイルの心の傷となっていた。

 さらには、その事件をきっかけに罪悪感を覚えたヴィクトルは、まるで自らに罰を与えるかのように、この危険なアップデートを推奨上限ギリギリの年4回、進んで受けるようになっていた。

 カイルは、自分には止める資格がないと思いつつも、見過ごすこともできない。そのジレンマが二人の関係に亀裂を入れていた。

「ヴィクトルの施術サイクルは、君の検診サイクルと同じじゃないのか?」

 カイルがディノを睨みつける。カイルは冷静沈着な指揮官だが、四年前の事件以降、ヴィクトルのアップデートの話になると、平常心を保つのは難しい。

 エクストラアップデートは実験段階の遺伝子操作のため、体への負担が大きい。副作用で命が危険にさらされることもある。

 そのため、施術を受けるのは25歳までと規定され、それ以降は追跡調査の検診が年四回あり、研究データの収集に協力することになっている。

 ディノは二年前対象からはずれ、それ以降検診を受けているが、その検診サイクルとヴィクトルのエクストラ施術サイクルは重なっていた。

「ああ…検診を受けた時にも、ヴィクトルを見かけている…気になったからラボの知り合いに確認してもらったら、健康被害が出るとされる年8回は超えていないが…年平均7.2回という回答だった…」

 再び重たい沈黙が部屋の中を支配した。

 ディノがこのタイミングでこの話をした理由を、ミラもカイルも理解していた。マヤを地上に還すという選択肢も考える価値があるかもしれないということだろう。

 ヴィクトルがこのままユニオノヴァに身を置いても、この危険な習慣から抜け出すことはほぼないと言っていい。

 今回の任務にヴィクトルもマヤと共に同行させ、彼を地上に残すという選択肢ができるだろう。うまくいくとは限らない。しかし、可能性という意味では広がる。

「あいつは何を考えている…」

 カイルは絞り出すように一言呟くと、片耳にイヤホンを装着した。ミラは目を見開く。

「どうするつもり?」
「ヴェガと連絡をとる。」
「なぜ?」
「二〜三週間後にはサトカシと合流する、と、マヤに伝達させる。」

 ミラは眉をひそめる。マヤの気持ちがヴィクトルと故郷の間で揺れていることを彼女はヴェガから聞いて知っていた。

「そんな…急に、酷なこと…もっとよく考えて…」

 しかし、カイルの射抜くような視線でミラは言葉を呑む。カイルの瞳に宿る光に、背筋が凍りつく。だが、それは彼の怒りに対しての恐れではない。

 四年前の事件の顛末を中央議会の使者から伝えられた時、一度だけこのような彼の表情をミラは見たことがあった。

 強く理想的なリーダーだったカイルは、その知らせを聞いた途端、崩れ、乱れ、自らの立場を呪い、責め、荒れた。彼が壊れてしまうのではないかという恐怖を当時のミラは感じた。その時の記憶が脳裏に浮かぶ。

「時間がない。」
「…じゃあ、せめて…フェイレンも交えて…」

 カイルの無言の更なる気迫が彼女の言葉を封じる。だが、ミラのすがるような瞳に気づき言葉を詰まらせると、カイルは上を向いて目を瞑った。そして、一度大きく息をつき、二人に背を向けた。

「このままでは…命を落とす…」

 カイルは窓の外に広がる星の海を見渡し、息をつく。

「マヤを地上へ還し、ヴィクトルを地上に残す…」
「で…でも…ヴィクトルの意思は?」
「では、聞くが…あいつに冷静な判断ができていると思うか?」

 年平均7.2回という数字は明らかに異常の領域だ。冷静な判断ができているとは言い難い。カイルの決断が正しいかはわからない。しかし、ミラには返す言葉が見つからなかった。

 実際の回数は知らなかった。だが、罪悪感に加え、マヤとの関係が回数を増やすことに繋がっていることを、ミラは少し前から気付いていた。

 中央議会に協力する姿勢を示し、研究データを取ることに貢献することで、マヤと自分の関係を容認させる方向に持って行こうとしているのだろう。

 一見愚かな選択にも見えるが、彼の価値を絶対的に示すことができる他の方法が、このユニオノヴァにはない。

「このまま放置すれば自滅する…これを機に、ヴィクトルをシャンドランから除名することも視野に入れ動く。」

 除名は さすがに重すぎるのではないか。ディノは一瞬、口を開きかけた。しかし、ふと思いとどまり言葉を呑み込む。

 子供の頃、兄弟の中でカイルが一番可愛がっていたのがヴィクトルだった。そんな彼の除名まで言及するほど、カイルもまた追い詰められているということだろう。

 正義感や責任感の強いヴィクトルがすんなり除名を受け入れるかは未知数だ。しかし、彼が地上に留まることを納得するならば、それはヴィクトルのみならず、マヤにとっても最善だとディノは考えた。

 カイルは意思が強い。この段階ではもう、彼の決定を覆すことはできないだろう。

 これ以上反論しても、すでに気持ちの面で追い詰められているカイルをさらに孤立させるだけだ。また長年の付き合いから、ミラもディノも彼の決断の重みを熟知していた。二人は言葉なく、身動き一つせず、冷めかけたコーヒーの液面を見つめていた。

(つづく)

※画像はMSの画像生成AIで作成しています。

お読みいただきありがとうございました。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集