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ザワークラウトの思い出
小さい頃、『大どろぼうホッツェンプロッツ』シリーズが好きだった。
一冊目の表紙には、ばーんとわし鼻でひげぼうぼうのホッツェンプロッツの顔が大きく描かれていて、その鮮やかではっきりした色使いは、家にあったほかのどの本とも違っていた。
ホッツェンプロッツは悪い泥棒とはいえ、大人になって思い返してみれば結構にくめないキャラクターだったのだけれど、主人公の男の子たちが誘拐されたり殺されそうになったりするのが子どもの私には真剣におそろしくて、本気でおびえながら読んだ。
こわいのにわくわくして、何度も読み返してしまうのだった。
この本で、ザワークラウトという食べ物の存在を知った。
主人公の男の子のおばあちゃんがソーセージとザワークラウトの夕ご飯をつくっているところにホッツェンプロッツがやってきて、おばあちゃんを椅子に縛りつけて料理を食べてしまう場面があるのだ。
確か、かっこ書きで「ザワークラウト(キャベツの塩漬け)」のような説明が入っていたと思う。挿し絵には、もじゃもじゃしたもずくみたいなかたまりが描かれていた。
もずくみたいなキャベツの塩漬け、と思うと、全然おいしそうじゃないんだけれど、鍋いっぱいのできたてのザワークラウトをホッツェンプロッツががつがつたいらげてしまう描写は、ものすごくおいしそうで、どんな味なんだろう、いつか食べてみたい…と空想だけが広がった。
ちなみに、子どもの頃に読んだ本に出てきた食べ物で、心から食べてみたいと思ったのは、ザワークラウト以外には、『モモちゃんとアカネちゃん』のくまさんがつくるシンプルなおかゆと、『ドラえもん』の、閉店しそうになっている和菓子屋さんのきんつばだった。
おかゆときんつばは割と早いうちに夢がかなったのだけれど、ザワークラウトを実際に食べるまでには、二十年くらいかかった。
アメリカのカリフォルニアに留学中の休暇に旅行で行ったサンフランシスコのドイツ料理屋さんでのことだ。
たぶん、寒い季節だったと思う。一日観光して、冷え切ってくたびれてたどり着いた小さな店内には暖かなオレンジ色の照明が灯り、テーブルはどこもぎゅうぎゅうで、ビールを飲んで酔っぱらったお客さんたちが楽しそうにおしゃべりする声がにぎやかに響いていた。
ドイツの冬ってこんな感じなのかな、と思った。窓の外に、カリフォルニアにはない雪景色が見えそうだった。
運ばれてきたお皿には、ぱつぱつに身が詰まったソーセージと、マッシュポテトと、山盛りのザワークラウト。
二十年間、夢見てきた「塩漬けキャベツ」は、もずくではなくちゃんとキャベツに見える姿をしていて、その語感から私が想像していたよりも、ずっとおいしかった。ボリュームたっぷりのソーセージはそれだけで食べるとまさに肉の塊!という感じで重いのだけれど、ザワークラウトと一緒だと肉汁にキャベツの塩気と酸っぱさが混じり合って絶妙で、ぱくぱく食べられた。
そのころから肉を沢山食べる方ではなかったから、プレートを全部たいらげてビール(しかもグラスが大きい)まで飲んだらお腹がぱんぱんで、はちきれそうになった。
それでも無理やりデザートを食べたんだったかどうか、覚えていない。
ただ、ついに本物のザワークラウトを味わうことができて嬉しかったのは、とてもよく覚えている。
ホッツェンプロッツはこんなにおいしいものを食べていたんだなあ、と、思った。
今は、カルディーとか海外の食品を扱っているお店に行けば、瓶詰めのザワークラウトが簡単に手に入る。あの頃も私が知らなかっただけで、ちょっと探せば日本でも買うことができたと思う。
でも、人生で初めて食べたザワークラウトが、あの時でよかったと思う。
異国の街の暖かく混み合った店内で、行ったこともないドイツの冬を思いながら、グリルしたてのソーセージと一緒に食べた手作りのザワークラウトの味の期待の裏切らなさ。子どものころに大好きだった本の大好きだった場面に、その味がパズルの最後のピースみたいにかちりとはまった。
あの瞬間の、満ち足りた感覚!
それは、日本の自宅で、スーパーで買ったソーセージと瓶詰めのザワークラウトを食べても体験できなかったんじゃないかと何となく思うのだ。
今はお肉を食べなくなったけれど、こうやって書いているだけで、たっぷりの肉汁と一緒にほおばったザワークラウトの味がよみがえってきて、よだれが出そうになる。
もしかしたら、もう二度と同じ組み合わせで食べることはなくても、ずっと特別な味だと思う。