時間切れ!倫理 23 アキレウスと亀(承前)、エンペドクレス、デモクリトス
アキレウスと亀
パルメニデスの「あるものはある、ないものはない」という考えからは、世界は変わらないという思想が導き出されます。出現も消滅もないのであれば、変化もない。パルメニデスの弟子ゼノン(ストア派のゼノンとは別人)は、これを証明するために有名なパラドックスを考え出しました。「アキレウスと亀」です。
なぜこんな話が生まれたがを知っている人は少ないですが、話自体は有名ですね。
アキレウスと亀が競争した。亀が先行している。アキレウスが先ほどまでカメがいた場所まで行くと、亀は少し先まで進んでいる。アキレウスがその場所まで行くと、さらにカメは進んでいる。したがって、いつまでたってものアキレウスは亀に追いつけません、という話。
ゼノンはこの話で、世界は変化しないと証明したかったのです。
有名なパラドックスとして、様々な人がこれに対する反証を考えてきました。いまでも、さまざまな意見が出されているようです。論理学の世界では大変な問題らしいですが、現実にはパラドックスでもなんでもない。
この話ではアキレウスは「先ほどまで」亀がいた地点にしか行きませんから、追いつくはずはない。「今」いるところまでいけよ!という話です。無限分割しているので、いつまでたっても距離が消滅しないだけです。
似たようなパラドックスで、「飛んでいる矢は静止している」というのもありましたね。
これらはみな変化を否定して、パルメニデスの主張を支えようとして考え出されたのでした。
エンペドクレス
存在の不変という考え方をパルメニデスに示されて以降、哲学者たちはこの問題を受けとめて考えざるを得なくなります。エンペドクレス(前492頃~前432頃)は、「万物は火・水・土・空気が、愛と憎しみで分離結合して生成する」と考えた。根源については、これまでいわれていたものを全部ぶち込んでしまった感じです。さらに、愛と憎しみ、分離結合、という変わったことをいっている。これは、パルメニデスのいう「存在の不変」にたいして、変化が起こる原因を提示しようとしているのでしょう。この愛と憎しみについては、私はコメントする能力はありません。
デモクリトス
自然哲学の最後はデモクリトス(前460頃~前370頃)です。「万物の根元は原子(アトム)である」。モノをどんどん細かく分けていくと最後は小さな原子になるという。
彼がいうのはわれわれが理科で学ぶ原子ではありませんが、考え方は同じでしょう。このアトムは離合集散して様々な物質となる。アトムは、不変の存在です。パルメニデスの「あるものはある」存在をこういうかたち(アトム)で示すと同時に、現象的にはわれわれの周りに世界が常に変化して見えることを理論化しました。
ここまでくれば、出るものは出尽くした感じです。さまざまな考えが提出されてきたけれども、論者によって主張がまったく違うこの問題に決着をつけるのは不可能。誰が正しいか判断する基準はどこにもない。結論を求める議論は不毛です。
ですから、以後はアルケー(根源)の追求ではなく、この世界になかで、いかに生きるべきかに関心が移ります。この問題は、ソクラテスによって本格的に取り組まれることになります。
【参考図書】
岩田 靖夫『ヨーロッパ思想入門 (岩波ジュニア新書) 』 2003
古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学 (ちくま学芸文庫)』2005
シュベーグラー『西洋哲学史 (上巻) (岩波文庫)』谷川哲三・松村一人訳、1939
竹田青嗣・西研編『はじめての哲学史―強く深く考えるために (有斐閣アルマ)』1998
バ-トランド・ラッセル『西洋哲学史 1』市井三郎訳、みすず書房、1970