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和歌山の⚪︎⚪︎に行つてきた パンダくろしお編🐼
いつもお読みいただき、ありがたうございます。最近、第三セクター鉄道を一人ひそかに応援してゐる玉川可奈子です。
まづは目次。
若い頃は時間があつたので、財布の中身をを気にしつつ青春18きつぷを用ゐて貧乏旅行をしてゐました。今は金銭に余裕が出たので、反対に時間を気にするやうになりました。
とはいへ、日常の疲れから、まとまつた休みが取れても、出掛ける気になれない人も多いでせう。かつての私がさうでした。
人口の少ない某中国地方の都市に住んでゐたとき、まとまつた休日は東京に帰ることに使ひ、近隣の観光地に行くことはほとんどありませんでした。せいぜい萩や温泉津、松江に出掛けた程度でした。
あの時は、ブラックな私立学校に勤務してゐました。パワハラや部活動、無駄な長時間労働などからくる過剰なストレスから、内臓の病気と抑うつ状態になりました。
気分が悪くなる過去は置いておいて、今回もまたまた乗り潰し、そして乗りたかつた列車の旅をいたしました。
どうか最後までお付き合ひください。
遠州鉄道完乗
夜勤明けの新幹線
前と同じく、夜勤明けの朝。
ひさかたの雨のそぼ降る中、新横浜駅にやつてきました。くさまくらの旅立ちは、こだま715号。車両はN700系です。
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自由席に座りましたが、車内はそれなりに乗客がゐます。通路側の席に座りました。
早速、朝食に崎陽軒の横浜チャーハン弁当をいただきました。
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さらに、朝からハイボールもいただいてをります。私からすれば、水のやうなものです。
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熱海駅、三島駅で数名の乗り降りがありました。三島駅で窓側の席に移りました。
さういへば、車内のメロディーがジャニーズのダサい曲から変はつてゐました。
十一時三十四分、四日振りの掛川駅に着きました。ここで多くの人が降りていきました。
そして、十一時四十九分に最初の目的地の浜松駅に着きました。
遠州鉄道へ
ここから歩いて新浜松駅まで行き、遠州鉄道に乗ります。
遠州鉄道は、未乗路線です。前回の天竜浜名湖鉄道に乗つた際に一緒に乗る予定でしたが、時間の都合でかなひませんでした。なので、これから乗ります。
駅前では、暇で可哀想な左翼のお婆さんが支那を利するやうな演説をしてゐました。
曰く、
「処理水は流すな」
と。
私からすれば、尖閣諸島周辺の海域に流してやれば良いのです。
東海大の山田吉彦教授からかつて直接お聞きしたことよれば、あのあたりの海域は大した漁場ではないさうですし(重要なのは、地下資源です)。
「そんなことしたら観光の需要が減るだらう」
とお叱りを受けさうですね。来なくて良いのに。
閑話休題。
新浜松駅の窓口で、知らないアニメが印刷されたフリーきつぷ(千円)を購入しました。
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ホームに向かふと、すぐに列車が来ました。
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いはゆる人権派弁護士を赤弁といふさうですが、遠鉄は共産党系ではなささうです。
二両編成の全ロングシート車です。座席は八割程度埋まつてゐます。
十二時ちやうどに発車しました。高架の上から浜松の街並みを見ながら、第一通り駅に到着しました。まだ誰も降りません。
八幡駅あたりから、遠くに緑とあしひきの山々が見えはじめました。進行方向左手の車窓には、土手のやうなものも見えます。この駅前にはYAMAHAの大きな建物があります。これがYAZAWAに見えたらある意味、末期です(夢に見たことがあるのですが、私の結婚式。パートナーの方が矢沢永吉の「星に願ひを」で入場してきました。マア、正夢にはならないでせうね)。
次の助信駅のあたりは、住宅街です。曳馬駅、上島駅と変はり映えしない景色が続きます。ただ、遠くにあつた山々が少しずつ近付いてゐます。
自動車学校前駅では高架から地上に降り、次のさぎの宮駅は周辺に鎮座する八坂神社にちなむさうです。
車窓は相変はらず住宅街です。それは積志駅でも同じです。西ヶ崎駅あたりから、住宅の密集具合に余裕が出てきたやうに感じました。
小松駅を経て、次の浜北駅は、更新世後期の新人段階の化石人類の骨が出土したことで知られてゐます(浜北根堅遺跡)。身長の低い(約143cm)成人女性の断片的な頭蓋冠・頬骨・鎖骨・上腕骨・尺骨・腸骨が出ました。
駅前には珍しく、大きな建物がありました。なほ、浜北根堅遺跡は、終点手前の岩水寺駅が近いです。美薗中央公園駅で車内を見ると、乗客はまばらで、十六人ばかりになつてゐました。車窓右手に、緑のうつくしい公園がありました。
小林駅はなんだか懐かしく感じる駅で、落ち着きます。
小林駅を出ると、いよいよ風景が本格的に田舎になり、畑も見えてきます。遠くにあつた山々、空にかかる雲がかなり近くなり、駅舎も小さくなつて行きます。
そして、芝本駅、岩水寺駅を経て終点の西鹿島駅に着きました。西鹿島駅では私含め、九名降りて行きました。無事に遠州鉄道を完乗しました。
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ここから天浜線に乗れますが、ただちに折り返して浜松駅に帰ります。前回、暗闇の中でわからなかつた西鹿島駅を見て、列車に乗り込みました。わづか四分の滞在でした。
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なほ、西鹿島駅から秋葉山本宮秋葉神社に詣でることができます。駅前からバスに乗り換へる必要があります。
帰りは、前面展望を楽しみましたが、来る時は違つた景色が見えました。
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再び新幹線
新浜松駅に着き、JR浜松駅へと帰ります。
再び浜松駅に戻つた私は、すぐさま新幹線に乗ります。今度は、ひかり511号です。車両は700系。
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指定された席に乗り、おやつに買つた、港レアチーズケーキをいただきます。
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実は、奥に写るJR東海が出してゐる静岡茶。美味しいです。
十三時三十一分、定刻に出発しました。この頃には、青空が見えはじめ、車窓も明るくなつてきました。
浜名湖も、蒲郡の海も青々と輝いてゐました。
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明るいと、心も軽いものです。
伊吹山、関ヶ原を傍に見て速いもので十四時三十七分、京都駅に着きました。
京阪電車完乗
近鉄から京阪へ
京都駅から、近鉄に乗り換へて丹波橋駅に向かひます。
近鉄京都駅に行くと…なんと、特急あをによしが停まつてゐるではありませんか。
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乗りたいナア。内装が本当に豪華!
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羨ましい気持ちを抑へながら、私の乗る列車へ急ぎました。
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これから京阪電車に乗ります。
京阪について、前回、京津線及び石山坂本線、宇治線を乗つてゐるので、京阪本線の枚方市駅以南と交野線の河内森駅から私市駅間を乗ります。
丹波橋駅で京阪に乗り換へます。特急列車に乗つたのですが、混んでゐて座れません。運良く次の中書島駅で座れました。しかも、幸運なことに、ここから人がズラズラと乗り込み、混雑の度合ひはさらに増しました。
車窓はまつたくわかりません。見えるのは、人の腰回りだけです。樟葉駅で少しばかり空き、人と人の隙間から山と高層建築物が見えるだけです。
私市方面乗り潰し
枚方市駅に着きました。枚方は亡き祖母が住んでゐました。祖母はまさに孤高の人。女学校を卒業し、教養もあれば、生活力もある人でした。
私はよく「祖母に似てゐる」と言はれてゐました。
また私が『時刻表』に親しんだのは、祖母の家。そして、祖母も旅が好きでした。
私市駅行きに乗り、定刻に発車しました。最初の宮之阪駅は、近くに百済王神社が鎮座してゐます。
祭神の百済王(くだらのこにきし)は、『万葉集』五、六番歌の作者といふ説がありますが、どうでせう。
山越しの 風を時じみ 寝る夜おちず 家なる妹を かけて偲ひつ (『万葉集』巻一・六)
他人の解釈したものを面白いと思へず、可能な限り原典に近いものを読み、自分の答へを出すやうにしてゐますが、軍王は謎な人、百済王とするのは解釈としてはマア良いよね、程度にしておきませう。
星ヶ丘駅、村野駅など住宅地を抜け、郡津駅に到着。ここには女子少年院である交野女子学院があるさうです。
次の、交野市駅も駅前波住宅地です。
河内森駅は、かつて楠木正行公をお祀りする四條畷神社に参拝した折、河内磐船駅から歩いて来たことがあります。なほ、楠木正行公は忠孝両全の、日本人の鑑です。
そして終点の私市駅に着きました。きさいちと読みます。
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すぐに折り返して枚方市駅に帰ります。
枚方市駅から、再び特急に乗ります。
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運良くプレミアムカーの座席指定券を手に入れました。
座席はとても快適です。コンセントも付いてゐます。Wi-Fiもつながります。
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玉川の一人相撲談義
さて枚方市駅を出て、寝屋川市駅を通過します。
寝屋川は好角家にとつて馴染みの地です。武隈親方(元大関・豪栄道)や、今をときめく豪ノ山関の出身地です。
豪ノ山関、強くて良いのですが、私は中卒力士が好きなのです。顔も含めたら竜電関ですが、明生関、錦木関も取り口を含めて贔屓してゐます。
今は猫も杓子も埼玉栄、鳥取城北、日大、日体大と特定の進路をとつた力士が目立ちますが、中卒叩き上げといふところに私は魅力を感じるのです。
さうした点で、中卒力士を関取に育て上げる高田川親方(元関脇・安芸乃島)は立派です。現役時代の取り口も、その引き際も見事でした。
京阪完乗達成
列車は快適、軽快に飛ばし、枚方市駅を出発してわづか十五分あまり。JR京橋駅を見下ろしたらすぐに京橋駅です。ここから各駅に停車します。次の天満橋駅に着く手前で、太閤秀吉が夢の跡、大阪城が見えました。
天満橋駅で地下に潜ります。ところで、大阪の街を眺めてゐると不思議な気分になります。東京とどこか違ふからです。街の雰囲気はもちろん、空気までも違つて見えるのです。同じドヤ街の西成のあいりん地区と、山谷でも違ひます。西成の方が陰が濃く、それでゐてたくましく感じます。
ちなみに玉川、西成に泊まつたことがあります。何度も。
そんなことを考へてゐるうちに、終点の淀屋橋に着きました。
プレミアムカー、流石の乗り心地でした。京阪、見直しました。
さて、ここから天満橋駅まで折り返し、中之島線に乗ります。
京阪の最後はあつけないものでした。地下線内をあつさりと乗りつぶし、気が付いたら終点の中之島駅でした。
これで、京阪電車、完乗です。
パンダくろしお その一🐼
新大阪駅へ
中之島駅から歩いてJR福島駅へ向かひます。
地下通路を歩いて地上へ出ると、いはゆるウォーターフロントに出ます。
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玉江橋を渡り、なには筋を北へしばらく歩くと、福島天満宮。そして阪神の福島駅とJR新福島駅が見えてきます。
お腹も空いてきたので、福島駅の近くにあつた都そばで肉うどん(590円)をいただきました。
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小さな立ち食ひのお店を、やはらかい表情をしたおばさん一人できりもりしてゐます。それにしても関西風のおうどんは美味しいですね。
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つゆが美味しいです。肉はパックのソレでしたが、肉汁とつゆが合はさつて、絶妙な味はひに。
店内では、ちやうどラジオで相撲が流れてをり、豪ノ山関が勝つて勝ち越したところでした。
列車待ち
福島駅から大阪駅に行き、さらに人身事故による遅れがある中、十七時過ぎに新大阪駅にきました。
大阪メトロに乗るのも時間が中途半端だし、お土産屋さんを冷やかすことにしました。
タイガースショップでは、つい散財しかけました。
この時、贔屓の大関貴景勝関が同じく大関の豊昇龍関に負けました。気分がにはかに暗くなります。
冷やかしも飽きてきたので、ホームで待つことにしました。すると、はまかぜの車両、大好きな特急はるかなど、多くの車両が私の前を通り過ぎて行きました。
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しばらく待つてゐると、十八時四十三分。きました、きました。
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くろしお25号。パンダくろしお編成です。
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子パンダが乗つてゐるのは、サステナブルトレインですね。
金曜日に職場の人に、
「明日、パンダくろしお🐼に乗るんです〜」
と話したところ、失笑された上、画像を見せたら、
「幼稚園のバスみたい」
と言はれました。
「それで、パンダは見に行かないの?」
と聞かれたので、
「パンダは上野でも見に行けます。さういへば、上野動物園でパンダが産まれた時に名前の募集がありましたよね。アレに『劉暁波』つて名前を応募したんですけど、採用されませんでした」
と言つたら爆笑されました。
「毛毛(マオマオ)」とか、「習習(シーシー)」とかの方がよかつたのでせうか。
念の為、劉暁波はわが国にとつて有益な人物ではないことを付記しておきます。歴史認識は、あつちの共産党の連中と変はりませんから。マア、故人ですが。
和歌山へ
その幼稚園のバスみたいな列車で和歌山駅まで行きます。
座席までパンダ🐼です。
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車内は思ひのほか、空いてゐます。入線してからすぐにくろしお25号は発車して行きました。
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日も暮れて、ぬばたまの夜の淀川を渡り、間もなく地下にもぐります。
大阪駅うめきたエリアに到着しました。乗客はなく、すぐに出発します。
次は天王寺駅。くろしお25号はゆつくりと、ひつそりとした大阪の街並みの中を駆けて行きます。
新今宮駅を通過した時、北側に星野リゾートとライトアップされた通天閣が見えました。
ちなみに上で少し触れましたが、玉川、かつて西成に泊まつたことがあります。一泊千七百円の格安の宿で、三畳一間でした。近くの銭湯(入船温泉)のタダ券をいただき、入りに行きました。近くのお弁当屋さん(まんぷく)で三百円くらゐの安いお弁当を買ひました。
良い思ひ出です。普通に外国人の女性客もゐましたし、何かされるといふこともありませんでした。
天王寺駅で二名の乗車がありました。
ここから列車は阪和線に入り、和歌山へと向かひます。途中、三国ヶ丘駅から百舌鳥駅にかけて車窓右手に仁徳天皇の御陵が、さらに上野芝駅あたりでは履中天皇の御陵が見えます。仁徳天皇の御陵はまるで山ですが、暗くてよく見えません。
遠く西の方、浜寺公園のあたりは『百人一首』にも採られた高師浜がありました。今ではその名残すらありません。
音に聞く 高師浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ
祐子内親王家紀伊の歌です。
和泉府中駅を経て、そのうちに列車は東貝塚駅を通過して行きました。水間鉄道の上を通り過ぎて行きます。
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日根野駅から関西国際空港駅へ通じてゐますが、けふはさらに南下します。
十九時五十二分、パンダくろしお🐼の旅も終はり和歌山駅に着きました。ここから、和歌山城、行きません。和歌の浦、行きたいのですが行きません。
実はさらに紀勢本線の列車に乗り、紀三井寺駅まで行きます。
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けふの宿は紀三井寺温泉花の湯です。
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そして、標題の⚪︎⚪︎の答へは、「紀三井寺温泉花の湯」でした。
今回はここまでです。次回をどうかお楽しみに。(続)