まつのことのはのたのしみ その十四
いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
初春の 初子のけふの たまばはき 手に取るからに ゆらく玉の緒
あらたしき年がはじまりました。
今年も読者の皆さまに吉き事の重なりますやうに、そしてわが国が真幸くありますやうに。そして、なによりも、私が私らしくゐられることを祈念しました。
年のはじめは、久し振りのまつのことのはシリーズです。
最初の方で、「和歌を暗記すること」について記しました。覚えてをられますか?
平泉澄先生の『勉強の秘伝』(皇學館大学出版)にも、
「とにかく学問は暗誦なんです。暗誦しないでは話にならぬ」
とありますやうに、暗記は学問の基本中の基本です。
そして、暗記をすることは、和歌を作る上でも、味はふ上でも大きな効果があります。
和歌を覚えると、和歌的な発想ができるやうになります。私はそれを仮に「和歌的発想」とでも名づけませう。
みなさんは、雪を見た時どのやうに感じますか。「雪やこんこん」ですか「降りしきる雪がつもるやうにこの街でただあなたを思う」ですか。
私は、「天より雪の流れ来る」といふ梅花の宴における大伴旅人の表現がただちに思ひ浮かびます。
我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れくるかも (『万葉集』巻五・八二二)
実はこれが和歌的な発想なのです。この発想は作る上でも、鑑賞する上でも役に立ちます。
和歌は、過去の大きな遺産の上に成り立つてゐます。むかしの人が言葉と心を受け継ぎ、それを歌ひ継ぎ、その積み重ねの上に存在するものです。その過去を知らないでは、和歌を作ることも、理解することもできません。
和歌的発想、これは、誰でも簡単にできます。それは、過去の優れた歌を暗記してしまふだけです。そして、過去の優れた歌と同じ感性に立つたとき、自然とそれができてゐます。
最後に、前にも記しましたが、平泉先生の『勉強の秘伝』をもし古本屋等で発見されたら、迷はず購入なさつてください。素敵な本ですし、きつと家の宝となることでせう。
最後までお読みいただき、ありがたうございました。
宣伝となり恐縮ですが、『維新と興亜』一月号に「くにおもふうたびと 佐久良東雄 上」を書かせていただきました。