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日帰りの明日香

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。

 靴を新調しました。スケッチャーズのスルつと履けるものです。ワークマンの靴よりはるかに歩きやすくて、かつ膝への負担が軽いです。

 今回の内容は…いつもより手抜きです。
 まづは、目次。目次もなんか手抜き。

突然の決定

 十月十五日の土曜日。急遽、奈良県の明日香へ行くことになりました。

 ちなみに今回は同行の子がゐます。
 その同行の子が、明日香に行つて万葉のいにしへの諸々の事物を見たいといふことで、日帰り明日香旅が決まりました。
 一人で行くよりも、通じてゐる人と一緒の方が理解も深まるだらうからです。

 当然ですが、その同行の子は男性ではありません。

過去の記事

 明日香のことは前にも書きました。
 ほぼ同じ内容になり恐縮ですが、以下の記事を併せてお読みいただけたら幸甚です。
 思ひ入れのある作品です。

明日香へのいざなひ

 今回は、写真と共にお送りいたします。どうか最後までお楽しみください。

のぞみ11号で、東京駅から京都駅へ行きました。京都駅で近鉄に乗り換へるのですが、今回はなんと特急しまかぜに乗ります。
しまかぜは、三重県の賢島駅まで行く列車で、神宮や鳥羽に行くのに便利です。けふはこれに乗り、大和八木駅まで行きます。
初めての特急しまかぜ。賢島駅まで行つてみたいのですが、今日は大和八木駅まで、約一時間の乗車時間です。乗る前から気分が高まります。
それにしても、格好良いですね。ひのとりといひ、あをによしといひ近鉄特急の感性に魅かれます。
座席はプレミアムシートです。JRのグリーン車よりも乗り心地が良く感じます。腰のマッサージ機能までついてゐます。
車窓に神功皇后御陵を見て、平城駅を通過すると間もなく大和西大寺駅です。
さらに列車は南へ走ります。唐招提寺、薬師寺、そして生駒山の景色を眺めて、郡山城の脇を走ります。車窓左手に高円山を望めば、曇り空の下に変はらぬ姿を見せてゐます。
田んぼを見れば、実り豊かけく、また尾花もいよいよ秋らしい姿になつてゐます。同行の子は、車窓を眺めてゐると思つたら寝てゐました。日々忙しくて疲れてゐるのでせう。
車内を散策してみました。個室が空いてゐたので勝手に撮影しました。この席は進行方向の都合で神風の伊勢の海は見えないでせうが、楽しさうですね。家族や集団向けですが、孤高の玉川には永遠に乗る機会は訪れないでせう(結婚や恋愛は諦めました。それに同性はもちろん異性を信じることができません)。
カフェを見つけました。売店で、伊勢名物の赤福としまかぜの多色ボールペンを衝動買ひしました。他にも美味しさうなメニューがたくさんありますが、短い乗車時間のため、お食事は次回にいたします。
衝動買ひしたしまかぜの多色ボールペンはジェットストリームです。滑らかで書き味が良いのが評判ですが、玉川との相性はあまりよくありません。滑る感じどうもが苦手です。それに、紙によつては裏抜けするのも気になります(ほぼ日手帳との相性は最悪ですよね)。赤福はとても美味しいですね。たぶん、糖質ゼロです(さう信じたい)。
お土産の案内を見てゐたら、十時五十二分、大和八木駅に着きました。ここから普通列車に乗り換へて橿原神宮駅へと向かひます。畝傍山のふもと、橿原は、皇紀元年に神武天皇の即位された地。わが国史の始まりの地です。
橿原神宮前駅からバス(赤かめ)に乗りました。これから飛鳥巡りが始まります。バスの窓にはひさかたの天の香具山、そして柿本人麻呂が「雷の上に庵せるかも」と歌つた雷丘、さらに甘樫丘が見えてきます。
私どもは、まづ万葉文化館へ行きました。私の解説に、同行の子は楽しさうに耳を傾けてをりました。当時の服飾はわからないことが多いでせうが、ここの展示は可能な限り真に迫つたもののやうに感じます。同行の子が、何かを学んでくれたら嬉しいです。
次に、万葉文化館の近くにある亀型石像物と酒船石を見に行きました。いつ、誰が、何のためにこれを作つたのかわかりません。不思議なものです。それぞれ祭祀に用ゐたもの説、酒など造るためのもの説など様々です。
酒船石から歩いて飛鳥寺(安居院)に来ました。蘇我馬子による建立で、法興寺、元興寺とも呼ばれてゐます。後に奈良へ移り、奈良にも元興寺があります。元興寺の僧侶の歌や、大伴坂上郎女による、「ふるさとの飛鳥も良いけど、奈良の飛鳥も良いよネ」といふ歌が『万葉集』に残されてゐます。
拝観料を払ひ、鞍作止利の手による飛鳥大仏を見ませう。
本堂に入るとそこには飛鳥大仏が。鎌倉時代、建久七年七年の落雷による火事で損なひましたが、幸ひわづかながらに当時の俤も残つてゐます。それなりに参拝客の姿がありました。
飛鳥寺から南を望むと、『万葉集』に「大口の真神の原」と詠まれた真神の原が広がります。天気は曇りですが、その景色に思はず息を飲みます。
蘇我入鹿の首塚を見てから、南へ歩きます。田植ゑの始まる五月頃には、田の面に数多のカブトエビがあらはれる田んぼを見るとなんだか心がウキウキしてきます。パラパラと雨が降り出してきますが、小雨です。
心の健康のこと、貧血解消のために効果的に鉄分を摂ることなどを話しながらしばらく行くと、田んぼの向かうに白い小さな円筒形のものが見えます。さう、伝板蓋宮跡です。水路を見ると、数匹のサハガニの姿が見えました。
ここが当時のわが国の中心地でした。舒明天皇と斉明天皇の岡本宮、皇極天皇の板蓋宮、天武天皇の浄御原宮はここにあつたとされてゐます。しかしながら、その宮の範囲など、まだわからないことはたくさんあります。
飛鳥宮跡の看板。宮の跡から少し歩けば、尊敬する犬養孝先生の犬養万葉館があります。けふは少しだけ立ち寄りました。明日香の今があるのは、犬養先生のお陰です。それに、先生はきはめて常識的な万葉研究家だと私は思つてゐます。
犬養万葉館から少し歩けば、島庄。そして石舞台古墳に着きます。私の見た限り、明日香でもつともお客さんの姿があつたのは石舞台古墳でした。このやうな大きな石をどのやうにして運んだのか、謎です。蘇我馬子の墓といはれてゐます。
石舞台古墳。看板には、石の上に乗るなとあります。石の上にも三年といひますが、その三年で鬱になつたらたまりません。ある本には一年で十分とありましたが、私もさう思ひます。耐へることも時には大事なのでせうが、人生は一度きり。思ひ切ることも大切です。
石舞台古墳の中から上を見上げてみました。なほ、この古墳のある一帯は島庄と呼ばれてをり、蘇我氏の邸宅がありました。乙巳の変の後に没収され、後には日並皇子こと草壁皇子の御門となりました。皇子の薨御は持統天皇三年四月十三日。新暦にして五月七日です。皇子の薨じられたことを悲しみ、柿本人麻呂や皇子に仕へた舎人らは哀切きはまりない挽歌を詠んだことが『万葉集』に残されてゐます。
島庄から飛鳥駅方面に向かひます。橘寺へ行くと、その目の前には川原寺跡があります。このお寺も『万葉集』に出てきます。このお寺の仏堂にあつた倭琴に「生き死にの…」といふ歌が書かれてあつたとか。
聖徳太子が生まれたといふ橘寺。このお寺にも、『万葉集』にちなむ歌が残されてゐます。境内にはその歌碑もあります。現在は天台宗のお寺です。
明日香は石の文化で知られてゐます。前の酒船石はもちろん、多くの石造物があります。この橘寺境内にある二面石もさうです。右に善面、左に悪面といふ二面を持つ石です。この二面石の前で何故か手を合はすおぢさんがゐました。
橘寺から再び歩けば、檜前大内御陵に至ります。「大皇は神にし坐せば…」と讃へられた天武天皇。そして、「春過ぎて夏来たるらし…」とかしこくも素晴らしい御製を詠まれた持統天皇がしづまります。持統天皇は、御列聖で初めて火葬されたお方です。厳かな雰囲気、かつ清浄なる空間です。
檜前大内御陵から歩くこと十分ほどで高松塚古墳に至ります。小さな円墳です。盗掘されてゐましたが、わづかな遺品(副葬品)から被葬者は皇族級の方だといはれてゐます。天武天皇の皇子や臣下、朝鮮の王族など諸説ありますが、当然、どなたかはわかりません。私は、文武天皇の御陵や檜前大内御陵との位置関係から皇族級だと見てゐるのですがどうでせう。
高松塚古墳壁画館にて、壁画の模写です。この壁画から、当時の服飾について大きな示唆が得られるやうに思ひます。服に刺繍を施したやうな絵を見ることがありますが、この壁画を見る限り、刺繍はなかつたのではないか。そのやうなことを考へてゐました。諸氏や如何。
高松塚古墳を見てからのんびり歩き、飛鳥駅に辿り着きました。楽しい明日香の旅もこれで終はります。ここ最近、電車の中ばかりだつたので足は痛いのですが気分は爽快です。同行の子は、なんだかお疲れです。
十五時五十八分、橿原神宮前駅行きの普通列車に乗ります。明日香ともお別れです。今度は一人で来ることになるでせう。きつとその時も明日香は変はらず、美しい姿を見せ、私の袖を吹き返す明日香風もいたづらに吹くことでせう。
大和八木駅から再び特急しまかぜに乗ります。座席は前と同じプレミアムシートです。私も同行の子も疲れたのか少し寝てしまひました。座席が快適で、揺れも手伝ひ眠くなりました。
無事に京都駅に帰りました。食事をしてゐなかつたので、京都駅北口の地下街にある五右衛門に行きました。そして、本日まはつたところの案内を眺めてゐました。旅の復習は大切ですね。ところで飛鳥寺の字、達筆ですね。羨ましい。
京都駅のお土産屋さんで、職場の女子限定でお土産を買ひました。ミルキー八ツ橋は私の胃の中に消えることなく、なんとか残りました。ちなみに玉川、甘党です。赤福、八ツ橋、共に大好物で、可能ならば毎日でも食べたいです。そして、ミルキー八ツ橋。おそらく糖質ゼロです(そんなことはありません)。
うちひさす都に帰つたら、この本を注文する予定です。今回、歌碑をあまり見ませんでしたが、山辺の道のやうに歌碑を見ながら歩くのも私の旅の楽しみです。

 蛇足ですが、犬養先生のご著書は以下の書がオススメです。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。

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