夜勤明けの乗り潰しの記
いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。
一、夜勤明けの朝
ところで、夜勤といふと、読者の皆さんはどのやうに思はれるでせう。
「大変、辛い、したくない」
「でも、マア手当が出るなら…」
といつた印象でせうか。
公務員では「当直」、「宿直」といつて、公安系では必ずあります。警察や自衛隊、刑務官などがさうでせう。
古くは、「とのゐ」といひ、『万葉集』の中にも出てきます。
例へば、『万葉集』巻第三にある、草壁皇子の舎人らが作つた挽歌、
よそに見し 真弓の岡も 君坐せば とこつ御門に とのゐするかも (『万葉集』巻二・一七四)
があります。哀切きはまりない響きがあります。
なほ、とのゐには、必ずしも当直、宿直といふ意味だけではないことを付記します。詳しくは、古語辞典をご参照ください。
さて、夜勤明けの朝。
身体は疲れてゐるのに、気分だけやたらと昂ることがしばしばあります。すぐに家に帰つて寝れば良いのですが、つい昂つた気分から何かしらのことをしてしまひがちです。
「あヽ、眠い」
それなのに…私は何故か八王子駅にゐます。
さう、これから鉄道に乗るのです。
朝もそれほど早くない、九時三十九分。八王子駅から、特急富士回遊81号に乗りました。目的は、富士急行に乗るためです。
車両は、E353系です。全車指定席で、けふの車内は満席です。進行方向に向かつて、右側の座席に座りました。いつも左側に座ることが多いので、景色が新鮮です。
私の隣には、やけにキヨロキヨロと見回してゐるおばさんがゐます。
外は生憎の雨。高尾駅を過ぎ、新小仏トンネルを抜け、相模湖駅を通過したあたりでは、雨はやんでゐました。一瞬だけ、相模湖を見ることができました。隣のおばさんは寝てゐました。
列車は軽快に飛ばし、中央線をひた走ります。
遠くの名も知らぬあしひきの山々にはもやがかかり、くさまくらの旅に出る私の目と心を奪ひます。
途中、梁川駅の近くには、君恋温泉といふ湯が湧くさうですが、もう閉館したとか。素敵な名の湯です。
眠気に襲はれながら、どうにか起きてゐると三遊亭小遊三先輩の故郷、大月駅に来ました。
余談ですが、小遊三先輩の親戚には犯罪心理学者の出口保行氏(東京未来大学教授)がゐます。出口氏は、法務省出身の方で、刑務所や少年院などいはゆる矯正の世界のことについてとても通じてゐる方です。著書も面白いので、オススメです。
私は、教員免許の更新のための講習を、東京未来大学で受けました。講習の内容は、わかりきつた話しばかりで面白くなく、当然、『時刻表』を読んで乗りつぶしならぬ暇つぶしをしてゐたのですが、出口氏の話しだけはとても面白く、聞き入つてしまひました。
なほ、私は小遊三先輩の「ゐないゐないアラン・ドロン」でいつも失笑します。
ここから未乗車路線である、富士急に入ります。
二、富士急乗り潰し
しばらく大月駅に停車し、十時二十分に発車しました。
ゆつくり走り出し、小さな上大月駅を通過すると、車窓が開けてきました。そして、都留市に入ります。デッキの方に目を向けると、数名の立ち客の姿が見えました。
田野倉駅で上り列車と交換しました。列車は特急とは思へないほど、ノンビリしてゐます。
車窓には、ところどころ田んぼが見え、秋の実り豊かなのもあれば、まだ頭を垂れてゐないものもあります。
都留文科大学前に着きました。車窓左手に、スーパーなど大型店舗も見えます。
ところで、富士急の駅名表示板には機関車トーマスの絵が描いてあり、可愛いです。
十日市場駅を通過し、徐々に速度を上げます。
なほ、横浜線にも十日市場駅があります。
ミツ峠駅から寿駅間では、富士山の美しい姿を眺めることができると聞いてゐましたが、けふは曇。雲に隠れて見えませんでした。
富士の嶺を 雲な隠しそ この旅の まがなの道の 窓に見むため 可奈子
葭池温泉前駅を経て、下吉田駅に着きました。駅には、「寝台特急富士 西鹿児島行き」の標示のある14系客車が置かれてゐました。
「思ひ出夜行 富士・はやぶさ」にも書きましたが、富士の愛称は、リニア新幹線で復活してほしいものです。
さらに車内チャイムは、ジョニー・ハイケンスの「セレナーデ」、オーケストラ版で。
駅前には、移動販売のかき氷屋がゐましたが、閑古鳥が鳴いてゐました。
車窓に富士急ハイランドのジェットコースターが見えてくると、間もなく富士山駅に着きます。かつては富士吉田駅と呼ばれましたが、平成二十三年七月に現在の駅名となりました。この富士山駅で数名の客が降りて行きました。隣のおばさんは目覚めてゐて、しきりに周囲の状況を伺つてゐます。
なほ、富士吉田市は武藤敬司の出身地です。
髪がなくなつても、色気はなくなりません。不思議!
たびたびの余談ですが、武藤敬司の入場曲は、「HOLD OUT」よりも「TRIUMPH」や「OUTBREAK」の方が良いと思ふのですが、同じやうに考へてゐる人は私だけではない筈です。きつと。
平成七年十月九日の東京ドーム。メインは武藤と高田延彦。「Training Montage」と共に、悲壮感を背負ひ入場する高田。その後、IWGPヘビー級チャンピオンとして入場する武藤。今、思ひ出しても鳥肌が立ちます。
閑話休題。
ここから進行方向が変はり、背を向けて走り出しました。そして、木々の隙間から黄金のまねきねこが見えると、富士急ハイランド駅に着きました。
ここで、多くの若者や親子が降りて行きました。楽しんできてください。ちなみに、玉川は学生の頃、富士急ハイランドに行つたことがあります。一度だけです。
そして、河口湖駅に着きました。急いで富士回遊81号を降り、改札できつぷを渡し、ICカードを通して、今度は向かひに停まつてゐたフジサン特急に乗りました。
「富士は日本一の山」
の発車メロディーが鳴り、フジサン特急は河口湖駅を出発しました。
それなりに混んでゐますが、運良く自由席に座ることができ、大月駅まで帰ります。フジサン特急も、さつきの富士回遊と同じくノンビリ走ります。
ところで、富士山のやまとうたといへば、『万葉集』中の山部赤人の「田子の浦ゆ…」がよく知られてゐませう。しかし、『万葉集』巻第三の山部赤人の富士山の歌に続いて、次の歌が録されてゐます。
この歌は、高橋虫麻呂の作と言はれてゐます。私は、この歌の凄みが最近、わかるやうになつてきました。このことは別の機会にゆづりますが、山部赤人のその歌の感動よりもより迫つてくるものがそのうたことばより感じられるのです。
都留文科大学駅に着くまでの間に、丁寧な物腰の女性の車掌が検札にきました。特急券(四百円)を車内精算し、少し寝ました。寝る前に、小学生くらゐの外人が私の隣の席に座り込み、iPhoneをいじつてゐました。
大月駅に着きました。外は晴れ間も見えます。降りて行く客の多くが、外国人でした。
さすがに疲れたのか、少し偏頭痛がしてゐます。しかし、無事に富士急を完乗できました。安心安心、といきたいところですが、けふはまだ続きがあります。
次は、かいじ20号に乗ります。ホームの自動券売機で指定席券を買ひ、列車に乗り込みました。再びE353系です。
私の座席には、見知らぬ人がゐました。
「そこ、私の席ですが」
と言ひ、指定席券を見せて追い払ひ、席に座りました。
わづか二十八分の乗車ですが、快適に八王子駅まで過ごせました。上野原駅のあたりでは、渓流釣りを楽しむ人の姿が見えました。
三、西武鉄道乗り潰し
八王子駅から八高線に乗り、拝島駅に向かひます。そして、拝島駅から今度は西武鉄道の乗り潰しをします。西武鉄道については、西武秩父駅や本川越駅などには過去に訪ねたことがありますし、かつて狭山市の小学校や高校で教へてゐたこともあり、何度か乗つたことがあります。今回の乗り潰しは、微妙に余つてゐる未乗区間です。
行程は、ダイジェストでお送りします。
拝島駅→小川駅→東村山駅→西武園駅→徒歩→多摩湖駅→西武球場前駅→多摩湖駅→国分寺駅→小川駅→国分寺駅→武蔵境駅→是政駅→白糸台駅→徒歩→武蔵野台駅→新宿駅→徒歩→西武新宿駅→高田馬場駅→池袋駅→豊島園駅→小竹向原駅→池袋駅
以上の行程を経て、西武鉄道を無事に完乗しました。
ところどころに未乗区間を残した乗り潰しは、とても面倒ですね。
記憶が曖昧で、乗つたかも知れないやうな区間があり、戸惑ひましたし。
とはいへ、西武ドームへ行く西武山口線では、ゴルフ場やわづかですが多摩湖の景色などが見え、非日常感がありました。
今回乗つた中で、特に印象に残つてゐるのが、西武多摩川線です。
西武多摩川線
かつて府中市のあたりで仕事をし、恋愛もしてゐたことから、懐かしく感じるのです。府中市は私の好きな街です。
武蔵境駅を出発すると、しばらく中央線と並走し、すぐに住宅地の中に入ります。道を歩く人、自転車に乗る人との距離が近く感じられます。
新小金井駅で数名の人が降りて行きました。乗る人は数名でした。駅前にはひつそりとした新小金井商店街が見えました。
多磨駅が近付くと野川を渡り、車窓左手には大きな野川公園が見えました。
家々の隙間を走り抜け多磨駅に着きました。駅前に大きな駐輪場があつて便利さうな駅です。総合案内板の裏にある花壇の花が綺麗でした。多磨霊園の最寄駅です。
うらうらに日の光がさすやうになる中、白糸台駅に着きました。ここで上り列車と交換しました。車両基地もあり、青色の車両が停まつてゐました。
西武多摩川線の線路は単線で、まるで地方の鉄道に乗つてゐるやうな気分になります。
次の競艇場前駅に到着。ホームにはボートが置いてありました。ここでも、数名の人が降りて行きました。
車窓右手に壁があり、そこが競艇場でせうか。その壁がなくなり、すぐに終点の是政駅に着きました。
自動改札がないところも地方の鉄道みたいですね。
かゆいところに手が届くとは、かういふ路線をいふのでせう。牧歌的でありながら、実用的な路線のやうに感じました。以下のブログを見ると、少なくとも赤字でダメな路線とは思へません。
ただ、是政駅と府中本町駅、白糸台駅と武蔵野台駅との連絡が良ければより使ひやすいかも知れませんね。
四、旅の終はりは
さて、武蔵野台駅から京王線に乗り終点の新宿駅まで行き、西武新宿駅まで歩きました。
途中、ホストの街宣車、いはゆる宣伝カーが走つてゐました。ふと思つたのは、あんなものにハマる女はげに頭が悪い、といふことです。私の知り合ひにも、
1、ホストに行つてみた。
2、チヤホヤされてお姫様気分、やつたネ。
3、初回は安くてお得でした。
4、そして何度か通つてしまつた。
5、お金が払へないので売掛しました。
6、そして風俗嬢になりました。
といふ人がゐました。くり返します。げに頭が悪い。
閑話休題、その後、池袋駅から豊島園駅、さらに小竹向原駅を経て西武鉄道を完乗しました。さすがに疲れました。さて旅の終はりは、いつもと違ふ銭湯に行きました。東京メトロ日比谷線、入谷駅近くの宝泉湯です。
サウナが思ひのほか、熱く感じました。ここのオススメは、ぬるめの薬湯です。長く入つてゐられます。
夜勤明けの日は、サウナに長く入つてゐられないのですが、けふは珍しく長く入れました。明日は休みといふ安心感が、さうせたかも知れませんね。
良い子のみんな、夜勤明けの日はたとへハイになつてゐてもムリはしないでね。
その翌日、銚子電鉄と千葉都市モノレールに乗つてゐました。
外川駅は素敵な駅です。また、行きたいものです。
最後までお読みいただき、ありがたうございました。