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私鉄だけで姫路から名古屋までを移動したヨ

 いつもお読みいただき、ありがたうございます。玉川可奈子です。

 最近、変な人がフォローしてきます。アイコンはAIで描かれたであらう女性。プロフィールは意味不明な内容。記事はなし。すべて、もれなく、容赦なくブロックいたしました。悪しからず(Amazonの手先や賭け事の予想系のやうなアカウントも同)。かういふのを、スパムアカウントといふのでせうか。

 最強寒がり女子の玉川、免疫力を鍛へ、自律神経を強くするため、最近は薄着です。身体は冷えますが、冷えないように速足になりました。そして、心がぬくぬくならそれで良いのです。

 今回は前回の続きです。

 姫路駅で泊まつた私は、翌日、標記のとほり私鉄だけで姫路駅から名古屋駅まで移動しました。JRは、帰りの新幹線以外使つてゐません(JRが嫌ひだから、といふわけではありません)。

 なほ、山陽網干駅から三河田原駅までが私鉄で移動できる最長区間と知られてゐますが、今回はそれよりも短めです。その変はり、途中下車を楽しんでゐます。

 どうか、最後までお付き合ひくださいネ。

早起きした玉川。ホテルを出て6:20、山陽姫路駅に来ました。けふの旅は山陽電気鉄道から始まります。この路線に乗るのは二度目です。
座席は転換式クロスシートです。ここに座ります。列車は間もなく、まだ朝の明けぬ山陽姫路駅を発車しました。私の前の前の座席には朝帰りのカップルがイチャついてゐました。けっ。
山陽曽根駅に着く手前、天川を渡ります。空の色が変はつてきましたね。
加古川を渡ります。暗かつた空が、明るくなつてきました。海沿ひを走りますが、なかなか海は見えません。また、この辺りはかつて万葉の歌枕を訪ねる旅をしたところ、以下の記事も併せてお読みいただけたら幸甚です。
朝霧駅を通過したあたりで、明石海峡大橋と、淡路が見えてきました。かつて、徳島から高速バスで渡つたあの日のことを思ひ出します。
間もなく西舞子駅。明石海峡大橋が近付いてきました。さらに、舞子公園では橋のたもとのあたりまで行きます。人麻呂の、「明石の門より 大和島見ゆ」の心地がします。なほ、ここに来るまでの途中駅に人丸前駅がありますが、駅近くに柿本人麻呂を祀る柿本神社が鎮座してゐるのが由来です。
山陽本線と並走してゐます。列車は、東垂水駅を通過したあたりです。一説に、「石走る 垂水の上の…」の志貴皇子の御歌の垂水はこのあたりとするものがあります。
夜明けの海を眺めつつ、列車は間もなく滝の茶屋駅です。
滝の茶屋駅です。東の空から、ちやうど太陽が昇つてきました。
山陽塩屋駅を通過して、太陽を追いかけて行きます。JRの車両とすれ違ひ、朝日に照らされた須磨浦の景色の美しさ。朝から癒されました。そして、にはかに憧れの平忠度のことを思ひ出しました。ところで、私の乗る列車は間もなく地下へ潜ります。
二度目の山陽電気鉄道の旅を終へました。列車は梅田駅まで行きますが、玉川、高速神戸駅で降りました。
駅を出ると、そこには忠臣・楠木正成公をお祀りする湊川神社が鎮座してゐます。けふ、最初の目的地はここ、湊川神社です。
看板が変はつてゐました。前の看板の方が要領よくまとまつてゐてよかつたのに、残念です。担当者(広報の方でせうか)の方に再考を求めます。なほ、湊川神社については、以下の記事も併せてお読みいただけたら幸甚です。
御祭神の大楠公は日本人の鑑。恭しく参拝いたしました。佐久良東雄先生のお歌が思ひ出されます。

天地の よりあひのきはみ 武士の かがみとなりし 君がいさをは
 (天地の果ての果てまで遠く偉大な、武士の鑑となつた正成公の功績よ)

なほ、佐久良東雄先生のことは、『萬葉日本學』(反時代出版)及び『維新と興亜』誌に書かせていただきました。多くの方にお読みいただきたいものです。
大楠公御一代記の看板は、楠公を知る上で懇切きはまりなく、私がつらつら記すよりよほどわかりやすいでせう。以下の歌と併せてどうぞ。世に知られてゐない、七番以下があり貴重です。涙なくては聴けません。
なほ、よりくはしくは、平泉澄先生の『物語日本史(中)』(講談社学術文庫)をどうぞ。私は、それ以上に優れた国史の本を他に知りません。
「嗚呼忠臣楠子之墓」も参拝いたしました。橘曙覧先生の次のお歌が思ひ出されます(橘曙覧先生のことも、『維新と興亜』誌に書かせていただきました)。

湊川 御墓の文字は 知らぬ子も 膝折りふせて 嗚呼といふめり
一日生きば 一日こころを 大皇の 御ために尽くす 吾が家のかぜ
義公・徳川光圀の筆です。至高の書です。徳川光圀は、大楠公の精神、そしてその本質を正確に掴んだ方でした。両者の関係は、英雄は英雄を知るの典型でありませう。また、徳川光圀を論じた書はいくつもありますが、名越時正さまの以下の書より優れたものを私は知りません。なほ、この碑の拓本、わが家にもあります。表装しないまま眠つてます…。
湊川神社を後にして、アレではなく阪神電車に乗ります。各駅停車に揺られ、次は大石駅で降ります。
橋を渡り歩くこと数分で、目的のお店が見えてきました。
ナダシンの餅は平泉澄先生が『山彦』(勉誠出版)の中で、「うまいもの学校」と評したお店です。その当時の精神は今もお店に受け継がれてをり、ぬくぬくになります。そしてお店には高々と日のみ旗が風に舞つてゐます。そのお味は、至高のものです。お土産に大量のおはぎと大福を買ひました。読者の皆さまも、ナダシンの餅を是非ご堪能ください。そして、平泉先生の『山彦』も。
大石駅に戻りました。ホームのベンチで、列車を待つ間にいただきます。ワクワク。
包装紙には、平泉先生のお歌が書かれてゐます。さて、そのお味ですがいふことありません。ただただ美味しいです。おはぎ三つ、大福三つ、ペロリと平らげました。恐らく糖質も零でせう。一日遅れで職場の方、通称・栗山さん(栗山千明似の管理栄養士、美人過ぎ。玉川、七回生まれかはつても敵ひません)に渡したら「すごい美味しい〜」と絶賛してゐました。
さて再び阪神電車に乗り、次は九条駅で降りました。ここで、地下鉄中央線に乗り換へます。地下鉄なのに、何故か地上。それも高架の上へ行きます。
地下鉄中央線ホームに来ました。地下鉄なのに青空が見える、不思議!目的は、最近延伸した夢洲駅へ行くことです。なんか大きなイベントがあるさうですが、飾つた世界に流されない好きな誰かを思ひ続ける時代おくれの女の私にはよくわかりません。
列車がやつてきました。乗り込みませう。それなりに混雑してゐましたが、多くの人がコスモスクエア駅で降りて行きました。途中、大阪の海がチラリと見えました。そして地下に潜り、新たな終点の夢洲駅へ列車は走ります。
そして、終点夢洲駅に着きました。これで、またまたわが国の鉄道路線、すべてに乗車しました。延伸やら開業のたびに乗りに行くのが面倒になつてきましたね。沖縄の時の感動に比べたら、かなり薄くなりましたし。
線路の向かうはかうなつてゐました。無味乾燥な終着駅、長良川鉄道越美南線の北濃駅のやうな風情や浪漫はありません。
上に登るとこんな感じです。無駄に広いです。お便所に行つたらジェンダートイレなるものがあり、性別問はず誰でも使へるとか。玉川、さういふのはちよつと…。某国のプレジデントではありませんが。大体、変な男に覗かれたりする危険性が高まりませんかね。
再び地下鉄に乗り、奈良県へ向かひます。目的は生駒駅です。余談ですが玉川、髪型だけ生駒ちやんです。顔は…………似ても似つきません。少しでも似てゐれば、結婚もできたでせうに。なほ、乃木坂つながりでいふと、松村沙友理は私の妹、です(笑)
生駒駅に着きました。ここから近鉄奈良駅行きに乗り換へます。途中、懐かしい平城宮跡が見えました。あのあたりからスタートしましたね。次も奈良まほろばウルトラウォーキング、出たいナア〜。
アレコレ考へてゐるうちに、近鉄奈良駅に着きました。車両ですが、座席の質が良いのに驚かされました。さて、列車を降りて地上に出て向かつた先は…。
安定の天スタです。朝から大福とおはぎだけなので、空腹です。といふより、甘いものばかりだつたので、塩辛いものが食べたかつたのです。
スタミナラーメン(小)にしました。前と違ひ、美味しく感じました。そして、この前のやうに食後に失神することもありませんでした。
お食事の後は、朱鳥へ手ぬぐひを買ひに行きました。朱鳥の手ぬぐひは絶品です。生地、染め、どれも完璧過ぎます。しかし、職人の高齢化などから、生産が乏しくなり廃業の危機だとか…。物も少なくなつてゐました。パートさんへのお土産にいくつか買ひました。
さて、猿沢の池を通り次の目的地へ向かひます。

あをによし 奈良のみやこを この春の はじめのころに 一人行くかも 可奈子
興福寺の五重の塔は相変はらず工事中でした。フットワークの軽い玉川、鹿の群れと外国人をかき分けて歩きます。職場でも、あれこれ議論したりするのは嫌ひ、それよりも行動です。理屈は後からついてきます。口ばかり達者で行動しない者、さういふ者は相手にいたしません。
東大寺の門前に着きました。なかなかの混みやうです。外国人のみではなく、本邦人の姿も多いです。
『万葉集』に詠まれた、吉城川を渡ります。

吾妹子に 衣春日の 吉城川 よしもあらぬか 妹が目を見えむ (巻十二・三〇一一)
 (私の大切な人に衣を貸す、春日の吉城川よ。手立てもないものか、あの子に会ひたい)

我背子に 衣春日の 吉城川 よしあるらむか 君と逢ひ見む 可奈子
ほとんど同じで本歌取りの体をなしてをらず恥ずかしいばかりです。
鹿が気持ち良ささうに寝てゐます。けふは金剛力士像を見ることなく、行きたいところへ向かひます。ところで玉川、結婚式では水曜日のカンパネラの「金剛力士像」で入場したいと前から主張してをりますが、それ以外では絢香さんの「にじいろ」を希望してゐます。きつと、叶ふことはないでせうけど、ね。「にじいろ」は特別な曲、だからこそほんたうに私とずつとずつと一緒にゐてくださる大切な方とだけの曲にしたいのですが…。
東大寺門前にあるmont-bellに来ました。少し覗いて行きます。しばらく店内を見て後、バスで近鉄奈良駅へ帰りました。すぐに列車に乗ります。
大和西大寺駅で乗り換へますが、小腹が空いたのでうどんをいただきます。といふより、隠れ大喰ひの玉川にはラーメン(小)は少な過ぎました。それと実は、この前のまほろばウルトラウォーキングの後、天スタかここかで迷ひ天スタを選んだのでした。
肉うどんをいただきました。昨日の広島駅のそれの方が美味しいですが、こちらもいけます。
お食事の後は、大和西大寺駅からさらに平端駅で乗り換へて、天理駅に着きました。ひさかたの天より雪がチラホラと舞つてゐました。
この前に来たmont-bellのお店に行きます。山辺の道シャツを買ひ足しました。
天理駅前からバスに乗つて桜井駅まで行きますが、バス停近くには素敵な歌碑がありました。古写本から字をとつてゐるだけあつて、見事です。なほ、碑に刻まれた歌は以下のとほりです。

石上 布留の高橋 高高に 妹が待つらむ 夜ぞ更けにける (巻十二・二九九七)
 (石上の布留の高橋のやうに、高々と爪立つ思ひで彼女が待つてゐるであらう、夜が更けて行く)
寒い中しばらく待つてゐたら、奈良交通バスが来ました。これに乗ります。乗客は私一人です。
向かうに行けばちやうど夜都伎神社。遠くに山辺の道、そして三輪山を見ながら、バスに揺られる。たまには、かういふのも悪くありませんね。歩けば数時間、バスだと数十分。大神神社のあたりでも雪がハラハラと舞つてゐました。途中、ウトウトしました。そして、桜井駅に着きました。桜井駅からは、さらに南へしばらく歩きます。

うまさけの 三輪の山辺を 行くけふは 雲な隠しそ 雪は降れども 可奈子
二十分くらゐ歩いたでせうか。目的の安倍文殊院に着きました。榊莫山の書による碑が見事です。この人、このやうな書体ですが、本来は楷書も仮名も抜群に上手いです。
時間がないので、拝観せず境内を散策します。詳しくは、なにわさまの以下の記事がオススメです。楽しく、かつ懇切きはまりなく書かれてゐます。
境内には小さな古墳がありました。
チラつと覗いてみました。
本堂を参拝しました。
境内には、阿倍仲麻呂の歌碑があります。これが見たかつたのです。石碑は千年残るものです。ゆゑに、石碑に刻む文字は千年の歴史にたへ得るものでなくてはなりません。そして、千年後にも通ずる字でなくてはなりません。さういふ意味では、阿倍仲麻呂の歌を榊莫山が書いたといふのは凄いことです。これこそ、千年、また次の千年を生きるものでありませう。
安倍文殊院を後にして、桜井駅に帰りました。さらに、大和八木駅からアーバンライナーで近鉄名古屋駅へ向かひます。すると、おつさんと若い女性の二人組が私の席のところにをり座れません。彼らは通路を挟んで予約したやうですが、退けた後も通路を挟んで話し込んでゐて五月蝿い。かういふ時こそイヤホンの出番です。そして、彼らは津駅でやつて降りて行きました。私も、怒りからかお腹が空きました。
無事に近鉄名古屋駅に着きました。姫路駅から名古屋駅を私鉄のみで移動しました。楽しかつたです。しかしながら、名駅は相変はらず人だかり。ゴロゴロカートも邪魔。人の山をかき分けて、なんとかいつものお店、チャオに着きました。少しばかり並び…。
けふの夕食は、あんかけスパゲティです。けふは、ひたすら麺類ばかり食べてゐた気がします。ラーメン、うどん、そしてパスタ。チートデーですね。たまには良いでせう(いつもは糖質制限してゐます、これでも)。夕食の後は、のぞみに乗つて東京へ帰りました。

 最後までお読みいただき、ありがたうございました。

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