【往復書簡】母のなかの「学校崇拝」
noteご無沙汰してます。
やふこさんとちょこちょこ食べている甘味と併せて話した事をさかのぼって思い出しながら記していきますね。
やふこは「どうして母は、学校にいきたがらない子どもを手を引いてでも行かせたがるのだろう」と不思議に思ってたね。
きっと、「ただでさえ子どもがダメになったのに私までダメになってはいけない」という思い、
それはもう少し深掘ると「ただでさえ子どもが学校に背いているのに私まで先生を困らせるようなことをしてはいけない」という呪縛のような思いがあるのかもしれない。私はそだったよ。
◯先生を困らせてはいけない。
◯先生に評価される行動を目指さなければならない。
◯勉強を意識することを忘れてはならない。
それも100年以上の歴史を持つ学校教育、という
老舗中の老舗の対象の崇拝からくる感情と
母自身が生徒時代に教育として受けた、
先生至上主義とも言える刷り込みがバッチリ噛み合い機能して、
「とにかく子どもは学校に行こう、が正解!」と思ってしまう。
母だって必死、「よかれ」からの行動だからまさかその行動で子どもの具合が悪くなるとは想像もしない。
もちろん学校の先生自身も。
(もっと知ろうとしてください。まじで。)
その呪縛から解放されるカギのひとつは「欠席連絡」にあると思う。
所属している川崎市の小学校にはずっと遅刻、欠席は
近所のお友達に欠席の旨を書いたれんらくノートを
渡すか学校に電話連絡、というのが義務付けられていて、
毎日連絡の義務が頭から離れることはありませんでした。
昨年度には〈ミマモルメ〉というアプリ入力に変更になって、架電よりはハードルが下がったね、と自分に言い聞かせて「ミマモルメ連絡」アラームを設定してこなしていたけど
年度末ごろには「これ一体なんの我慢?」という話になり。(きょうだいとも完全に登校していないので)
4月になり、新しい担任の先生たちにいの一番に
「基本的にはお休みで、動きがあれば連絡しますので連絡不要の許可をしてください」とお願いすると、わりとさっくり校長オーケーが出た。
…一体なんの我慢やったん?!?!⁇
と思わなくもないけど、実際4月から心がざわつく頻度は格段に下がったし、(学校と接触しないで済む日が増えたので)めちゃくちゃラクになった。
そろそろこう言う事も、教育委員会からの
〈不登校マニュアル〉みたいなものに
「虐待などが疑われない家庭は欠席連絡しなくてよい」とか入れて貰えないかな。
学校との関わりのこと、先生とのやりとり、PTAのこと。
不登校児のご家庭は、きっと思ってても言いません。
めちゃくちゃ些細なことでびっくりするくらい傷ついても、もう生き方が違うシステム下にいる人々にもはや共感を求めない、という境地に辿り着いた人も、
つよい人もよわい人もともかくほとんどの不登校家庭は
自分たちが権利を主張するのはおこがましいと思ってしまう。もう関わりたく無いしね。
だから、なかなか話は進まない。
それに対して、私は何ができるのかまだわからないけど、
せっかく経験した事だから渦中にいるうちに、
忘れないうちに残しておこうと思います。
知れた人としてこれからの人生を生きられるのは
ほんとに幸運だと思うよ。しかも、やふことね!