介護福祉士として 福祉や医療、保育の現場で人と関わらせてもらった 日本の中で福祉は位置的にはどこら辺にあるのだろうか? 働きながら感じていた 先日、整体の待合室で 「介護士の仕事なんて私には大変過ぎて出来ない」 と、隣で受付の女性と話している60代くらいの女性がいた 話しの前後は 本を読んでいたので あまり覚えていない 隣にいた女性から 「ねぇ、そう思わない?」と、急に話しを振られた 戸惑いながらも 「私は15年以上介護士として仕事をしてきました」 と答えると 隣
26年も前 学業や容姿が優れているわけでもない私が 20代前半で札幌から東京へ出て行った 大手エステサロンへの就職は緊張の連続とは裏腹に 東京という土地で働くことのワクワク感で消されていった 初めて見る芸能人 初めて歩く下北沢 初めて歩く恵比寿 初めて歩く代官山 華やかで 賑やかで 刺激的で 後に電車の音を聞くだけで眩暈に襲われたりもしたけれど 初めての経験は刺激的で 私の脳を膨らませていった 目先のことを考えずに よく旅行バック一つで東京へ行ったなと 今になって過去の自
最近、札幌の地下街に新しくカフェがオープンした 新しいカフェは外からでも店内の様子が見える 平日だったけれど オープンを記念して沢山のお客様が出入りしていた 新しいカフェの近くには他にもカフェが二店舗ある 私は新しいカフェには入らず 二店舗のうち古くからあるカフェに入った 流れに逆らっているなと思った 古くからあるカフェには 満席に近いくらい客がいた 客層は40代から70代くらいの女性が多く 3、4人で会話を楽しんでいたり 1人で遅めのランチをしていたり 50代くらい
間が空いた 今でも手術した足の痛みがあり カウザルギーという診断名が付いた 痛みがあることで 諸々の日常生活どころか仕事にも弊害をきたす 痛みをコントロールするのは薬か注射 でも… 一番にコントロールする必要があるのは心かと思う 私は活力があるから出掛けたりしているけれど 活力が低下したら寝たきり生活になっていると思う 正直なところ車椅子で生活したいと思うこともある ここ一年は 旦那の運転でドライブに出掛けることが多かった 活力があるうちに 綺麗な景色を頭の中に記憶
記憶に残る人がいる。美容師。 記憶に残る美容師は、私が東京で暮らしていた20代の頃に、友人の紹介で訪ねた古くて薄暗いアパートの一室を改装した美容室で働いていた。 私が美容室に入ると 「お腹空いてない?お腹空いていたら何か作るよ。」って… ここは、美容室。 アパートの壁をぶち抜いた広い室内には、重厚な赤い色のスタイリングチェアと大きな鏡が柔らかい日差しが入るベランダ側にあった。 スタイリングチェアは一つ。 完全プライベートでした。 スタイリングチェアとは別にゆった
久しく書いていなかったけど、書きたくなってきた。 また、気の向くままに書いていこうと思う。 今は、パートで子供達の見守りをしている。 右膝の術後にアロディニアという症状が出てしまったけれど、介護福祉士の資格を活かして就けた仕事。 今日は、その仕事の帰りに自宅の近くで子供を叱る母親を見てしまった。 かなりの怒鳴り声が辺りに響いている。 母親は自分の怒鳴り声の大きさに気付いているのだろうか? 親子の傍を通ったのは私だけでしたが、近隣の家にも聞こえるような怒鳴り声だった。
「人生とはフルコース料理のようなもの」 と、書いていた本を読んだことがあった。 私もそう、思う。 私は結婚してから旦那と年に2~3回くらいはフルコース料理を楽しんでいる。 家の近くのフランス料理店では、絵画のような芸術的なフランス料理が楽しめる。 フルコース料理を食べながら感じることがある。 グラスにそそがれたシャンパンの気泡のように人生はすぐに「ぱっ」と弾けて終わってしまう。 辛口のシャンパンも人生と同じ。人生は辛口なんだと思う。 前をしっかり向いて人生を進むよりも、少
心を知った気になってはいないだろうか? 心のことは心の専門家へ。 身体のこと 栄養のこと 哲学のこと 山のこと スポーツのこと 音楽のこと 美術のこと 生きていると多くのことに興味を持つ。 どの分野から入っていっても「その道」を極めている人の多くは「生きる」を表現していたりする。結果、そうなっている。 色んな分野に興味があるが、結局、「生きる」に興味があることにも気付かされる。 生きていれば死ぬまで持ち続けるのは心。 心の在り様が生きること なのだと思う。 多くの分野
優秀な専門家や多くの実績を残している人でも 事業で成功している人でも 一人の「人間」であるということ 人の土台に必要なのは「人間力」 自分なりの知識や感情に囚われてしまうことだってある。 知識や感情の量は適量が望ましく、適量にするには謙虚さが必要なのかと思う。 謙虚さこそが人間力なのかと思う。 常に「驕り高ぶるなよ。」と、自分に言い聞かせる。
10代までに過ごした環境から抜け出したい想いが強かったせいなのか札幌を出て20代前半に東京で我武者羅に働いた時期があった。 もう、家には帰らないつもりでアルバイトで貯めた僅かな資金を元に東京に出た。 仕事は何でも良かったのかもしれない。 先ずは寮があって手取りは一人で暮らす為に不自由のないくらいあればいいかなと思っていた。 選んだのは大手エステティックサロンだった。 でも、エステに興味があったわけではなく、どちらかというと勧誘とか嫌なイメージしかなく、同じようなイメ
「今、幸せですか?」と聞かれたらどうだろう? 私は「幸せです」と答えられる自信がある。 怪我をしてから寝ても覚めても痛みのあるカラダと共に生きる人生になってしまったけど、そのカラダで出来ることを探しに行っているからだ。 このカラダで出来ること ボディワーク カヤック キャンプ 旅 サイクリング ハイキング まだまだある そうやって楽しみを少しずつ増やしていく 自分の頭の中を「幸せ」で満たす 痛みと同時に出てくるネガティブな感情は「幸せ」を感じることで緩和されていく。
このままでいいのかな?って思うことがある。 自分で自分の中のイイネを押せずに誰かに言って貰えないとイイネを押せずにいる。 曖昧さ。 介護福祉士という仕事を14年くらいしてきた。 登山、トレイルランニング、マラソン、共通の趣味を通じて旦那と知り合い、付き合って1ヶ月後に入籍した。 結婚してから暫くの間、仕事も続けてきたが、登山やトレイルランニング、マラソン、自分が一番やりたいことを優先したくて仕事を辞めることにした。 金銭的には自分が自由に使える余裕はなくなったけど、食費を
職場の携帯がガラケーなのに思わず画面をタッチしてしまった。 感覚ってこうも変わるのか…と、自分の無意識の行動に愕然とした。 世の中にはセラピストの数と同じくらいのセラピーがあると言ってもいいくらい沢山のセラピーがある。セラピスト自身が良いなと感じたことを提供しているのでセラピーを受ける側は、色んなセラピーを受けることが出来る。洋服を着こなすようにセラピーを自分に取り入れてみたらいいと思う。 「癒す」「療す」=いやす 今は便利な世の中で便利な道具に溢れている。同時に言葉も溢
記憶に残るレースがある。 STYという総距離92km、累積標高約4,100m。 コースは富士山こどもの国をスタートし、山梨県富士河口湖町 大池公園をゴールとするレースに参戦した。 トレイルランニングのレースはリタイヤしても自力でポイントに戻らなければならないというルールがある。なので自分と対峙しながら進んでいくのだが、心が強く押し出されてしまうと身体が悲鳴をあげることもある。 2年前のレースは自分との対峙が出来なかったレースだった。 レースの為に「楽に走り続ける身体作り」
写真に凝った時期があった。 ここ一番の景色を撮りたくてデジタル一眼レフカメラを手にしてあちこち行った。 けど、センスの無さなのか自分の目を通した景色と写真に映し出された景色が違い過ぎてカメラを持って行くことを辞めた。 カメラを持たずに行動してみて感じたことは、 自分の目を通して見ていた景色を身体で感じ取っていた ということ。 写真を見た時に写真の枠の外まで感じられるような写真を見た時には感動する。 身体で感じ取ったことまでを写真で表現するのは難しい。 「枠」 因みに
先週末はヨガリトリートに参加してきました。 今回のリトリートでは「しつもん」を多く投げかけてくれる時間があった。 最初の「しつもん」は あと何回桜を見られますか? 私の答えは「1回」と、直ぐにでた。 あと、1回見れたらそれだけでも嬉しい。 桜 裏山に咲く桜が好き。 日本五大桜のような桜も好き。 桜の時期になると「今年は大丈夫かな?」と、開花するまで何度も見に行ってしまう。 「いのち」を見守るように何度も見に行ってしまう。 雷の被害で倒木してしまうこともある。 異常気象