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写真に凝った時期があった。
ここ一番の景色を撮りたくてデジタル一眼レフカメラを手にしてあちこち行った。
けど、センスの無さなのか自分の目を通した景色と写真に映し出された景色が違い過ぎてカメラを持って行くことを辞めた。
カメラを持たずに行動してみて感じたことは、
自分の目を通して見ていた景色を身体で感じ取っていた
ということ。
写真を見た時に写真の枠の外まで感じられるような写真を見た時には感動する。
身体で感じ取ったことまでを写真で表現するのは難しい。
「枠」
因みに「枠」の旁は、卒業の「卒」の字からきているらしい。
木を卒業すると枠。
木のようにすくすくと伸びていない時は枠に囚われている時だ。
枠を通した物の見方に慣れていないか?
枠の中で生きていないか?
問いていたい。
携帯やパソコンなど持っていなかった時代に
友達との会話で
「ラーメン食べに行こうか」という展開になり、
翌日0時に家を出て函館にラーメンを食べに行った。
車で4時間かけて…。
枠を超えるという生き方、ワクワクするね