10代までに過ごした環境から抜け出したい想いが強かったせいなのか札幌を出て20代前半に東京で我武者羅に働いた時期があった。
もう、家には帰らないつもりでアルバイトで貯めた僅かな資金を元に東京に出た。
仕事は何でも良かったのかもしれない。
先ずは寮があって手取りは一人で暮らす為に不自由のないくらいあればいいかなと思っていた。
選んだのは大手エステティックサロンだった。
でも、エステに興味があったわけではなく、どちらかというと勧誘とか嫌なイメージしかなく、同じようなイメージを持っている人に嫌だと思わせないエステティシャンになりたいと思って面接を受けた。
そんな事を思う自分は、ひねくれ者なのかもしれない。
当時、同期で入社したメンバーは、新人研修を経てお店に配属された後、辞める人が多かった。
15人いた同期のメンバーで残ったのは、私を含めて2人だった。
それだけ厳しかったのかもしれない。
そんな中で、私は入社してから2年後に店長育成研修を受け、店長も経験した。
東京のエステともなれば、著名人なども訪れることがあった。
著名人というお客様を目の前にして私がいつも感じていたのは、
そのままでも光のある人なのに
自分の存在を高めようと努力している姿に
なんとなく切ないな…と、感じていた
仕事に追われる日々だったけれど、著名人の努力に影響を受けて自己研鑽していたのを覚えている。
エステの仕事は過労で体調を崩し、右手が神経痛で急に動かなくなったことで辞めることになったのだけれど、貴重な経験をしたなと思っている。
今でも東京に行くと当時の思い出が蘇ってくる。
あの頃、「踊る大捜査線」というドラマが流行っていた。
お客様の中に婦人警官の方がいて「あんな警官いない、いない。」とか言ってドラマの話を聞くよりお客様の話を聞いているほうが楽しかった。
人には一人一人のドラマがある
人は自分の存在を確かめながら誰かと生きている
人は一人では生きられない
ただ在り続けていればそれだけも価値があるのに愚かだなと感じる
ただ在り続ける
命に感謝し続ける
家から出た私を何も言わずに家に入れてくれた母に感謝している