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【不登校】「ちょっとくらい具合悪くてもがんばれ」vs「無理しないで」の初戦開始

私がウエディングプランナーになって3年目の12月。今でも忘れない、1年以上もお打ち合わせを重ねてきた、大事なお客様のウエディング当日。

私は、39.0℃の高熱を出していた。

熱で意識がもうろうとする中、5センチのヒールで会場中を走り回り、インカムで指示を飛ばしながら人目を盗んで親族控室のソファで横になり、なんとかお二人の前では元気いっぱいを装って、笑顔で披露宴を終えた。

しかしお開きのあと、力尽きてバックルームで座り込んでしまった私に、当時の支配人がやってきて、私を見下ろし、静かにこう言った。

「具合悪そうな顔してんじゃねーよ。」

あぁ、、、なんて、ブラック企業。


ウエディングプランナーは、
親の死に目に会えないと言われた。

どんなことが起こっても、長い間新郎新婦とお打ち合わせしているのは担当プランナーだけだし、私が休んだら、他のスタッフも何をどのタイミングで進めていいのかわからず、披露宴が遂行できない。何よりも新郎新婦が不安になる。熱で倒れようが事故でけがをしようが、絶対に絶対に休めないのだ。

それに、プランナー時代は、ちょっと風邪でも引こうものなら「自己管理がなってない」とこっぴどく叱られた。体調不良になる=仕事の出来ない人間だと教え込まれた。

そんな、良くも悪くも、超ブラックな環境でバッキバキに鍛え上げられてしまった私が、今でも変える事の出来ない、古い考え方がある。

それは、
「ちょっとくらい具合が悪くても、がんばれ。」
だ。

2020年コロナがやってきて、それまでの価値観は180°変わってしまった。

「具合悪くても無理して働くことこそ、美学!」
から、
「具合が悪いのに職場に来るのは、悪!」
になった。

そりゃ、本来は後者が正しい。
具合が悪いのに会社に来て誰かにうつされるのは迷惑だし、そもそも、感染しない体調不良(頭痛・生理痛など)でも、本人がつらいのであれば休むべきだ。

しかし、実際の社会はどうなのだろうか。
最近特に無理をしないように言われるけど、本当にその言葉を信じて良いのだろうか。

現実問題、体調不良で無理せずちょくちょく休む社員と、まったく休まないでキッチリ働く社員、評価されるのはどっちだ?

私は、そこが気になるのだ。

うちの三女は体調を崩しやすい。
それは体質なので仕方がない。
休ませないと、仕方ない時もある。

でもなんだかコロナ禍以降、周りも本人たちも、
「学校を休む」の感覚が変わってしまったように思う。

昔は、そう簡単に学校は休めなかった。熱があったり、咳やくしゃみが止まらないなど、明らかに症状がある場合はそりゃ休ませる。でも、ちょっとおなかが痛い、具合が悪い気がする、頭が痛い気がする、くらいなら正直行かせてた。
でも最近、子どもたちは少し体調が悪いとすぐに「学校を休ませてほしい」と言う。学校の先生も、「つらい時は無理させないでください」と言う。

「無理させないでください」
と、言うのは簡単だ。


しかし、おかげでそれがしっかりと子どもたちに染みついてしまった。

昭和生まれの母としては、ちょっとくらいの腹痛や頭痛なら、学校に行け!と思ってしまう。でも娘たちは、言われた通り無理をせずに、少しでも具合が悪いと休みたいと訴える。薬飲んで学校いけー!という母を、なんて理解の無い、ひどい母なんだと文句を言うようになった。

別に文句を言われてもいい。
母なんて、文句を言われてなんぼ。

それでも「無理しないで休んで~」が定着することに、私はまだまだ不安を感じてしまう。

小学校の頃は、まぁそれでもよかった。
欠席日数が多くても、中学校には行ける。

でも、中学校に入ると事情が変わる。ちょっと休んだだけで授業がどんどん進み、ついていくのが大変になる。欠席や遅刻早退が極端に多いと高校入試の推薦は取れない。推薦じゃなくても、内申点に直接響く。

やっぱり「無理をしない」の最後には、休んだ本人にそのしわ寄せがくるじゃん!と思った。それなら簡単に「学校休んでもいいよ」と言わないで欲しい。休むとこんなリスクもあると、ちゃんと伝えてほしい。
いや、もちろん母からは伝えてはいるが、先生や周りに言われるのと、母から言われるのとでは、思春期の子どもたちの受け取り方がちがう。

学校の先生たちは無理しないで休んで、と言う。
それは、今のご時世仕方がない。私も先生なので、実はとても理解出来る。何なら、ネットを見ても、無理しないで学校は休んでいいと書いてあるじゃん、と子どもたちは主張する。

そりゃ、何か学校自体に行きたくない理由があるとか、本当に体調が辛いなら無理はしてはいけない。そんな時は逃げたり休んでもいいと思う。

でも、今のところ、うちの子は
そこまで追い込まれているようには見えないのだ。

元々、嫌なことややりたくない事からはふら~っと逃げるタイプの双子。昭和生まれブラック企業育ちの母は、その「具合悪い」「学校休む」のハードルが低いように思えてならない。

うちの三女はおなかが痛くなりやすい。
学校に行く前、だいたい毎朝おなかが痛くなる。三女が本当に朝トイレから出てこれない時や、吐いてしまった時は、私でもこれは辛そうだとわかるから、そりゃ休ませる。

でも、「具合悪い」の感じ方は主観でしかないから、私から見てそこそこ元気そうで、症状が母の目に見えない日の「今日も具合悪い」の判断。これがなんとも難しい。

ホントに具合悪いの?
今眠たいだけじゃないの?
さっき鼻歌うたってたやん。
そのくらいの体調なら、がんばって学校行け!
ちょっとくらい具合悪くても、がんばれ!!

ほら。
古い考え方が、むくむくと顔を出す。
優しくないのはわかってる。

100歩譲って「無理しなくていいよ~」「休みな~」と私が言ったとして。将来その考えがが染みついたまま、うちの子どもたちが
「今日なんとなく具合悪いので無理しないで会社休みます。」という大人になったとして。そんなうちの子を社会は受け入れてくれるかな?信じていいのかな。

「会社で大事な案件を誰に任せよう?」
「来週のプレゼン、誰にお願いしよう?」
となった時、ちゃんとみんな同じように仕事が出来るという前提なら、体調を崩しやすいからってうちの子を選ばない、なんてことはないのかな?

いや、選ばないよね。


私なら、それが体質だったとしても、体調を崩しやすく来たり来なかったりする子に大事な仕事はなかなか任せられない。急に休まれたら、その穴を埋めなきゃいけないのは他のメンバーだ。それが現実ではなかろうか。

社会がまだその準備が出来てないのに、
優しい考え方だけを教え込まないで欲しい。

優しい事を言う時は、その裏にあるリスクもちゃんと説明してほしい。社会ではまだそれを受け入れる体制が出来てないのに、甘い考え方だけを一人歩きさせないでほしい。

これがここ数か月の私の「三女学校いき渋り案件」の中で抱えている憤りの一つである。


さて。
自分の娘の学校行き渋りを、こんなふうに、先生や、周りの人や、ついには社会のせいまでにしながら、毎日ぐるんぐるん色々な事を考え、葛藤し、悩みむ毎日を送る私が、ここにきて気づいたことがある。

中一の壁にぶち当たり、学校に行き渋った三女をめぐって、私は今回、自分がどれほど「我が子が不登校になる事」を恐れているのかが分かった。

言葉を変えると、自分は「不登校になってほしくない」という想いがとても強い親なのだと自覚させられた。これには正直、自分にガッカリした。全然不登校に納得してないじゃん!と自覚せざるを得なかった。

私の英語教室の生徒さんにも、友達のお子さんにも、不登校の子はたくさんいる。お母さんもお父さんも、そして何より本人も、本当に本当にたくさんの葛藤を抱え、自分を責め、悩み、許し、また責めて…、大変な思いをされている話をたくさんたくさん聞いてきた。

そんな人たちに、
「無理しないで」と言っていたのは私だ。

「不登校でもきっと大丈夫」なんて、責任のない言葉を投げかけていたのは、私なのだ。
全っ然、誰の気持ちもわかってなかったのに。

現実問題、普通に学校に行って卒業して、次のステップに問題なく進める道と、一方、途中で理由があり学校に行かなくなり、そこから模索しながら自らの将来を探る道とでは、とにかく途中の悩む時間の量や重さ、苦労の多さ深さが全然違う。

不登校になっている子を憐れんでいるわけでは全く無い。

とにかく、人それぞれ不登校の理由が違うし、無理して学校に行かないという選択をしたからこそ、今、自分らしい道を見つけた子もたくさん知っている。

でも、皆そこまで、本当に本当に苦労しているのだ。もちろん本人も、それを支える親御さんも。

やっぱり、私は、自分の子に苦労させたくないんだな、と単純に思った。だまって毎日「普通に」学校に通って、「普通に」卒業してほしいという想いが強いのだ。

多様性だの、他者を認めるだの、偉そうなこと言いながらも、そんな誰よりも「普通」にこだわって、変えられない考えを持つ古い自分に気づいただけでも、まずはちいさな一歩としよう。


まだまだ私の葛藤は続く。




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