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【親孝行】自己決定の塊である母を、東京での推し活に同行させる理由

「所得や学歴よりも
『自己決定』が幸福度をあげる。」

近年、神戸大学と同志社大学は共同研究で、国内2万人を対象にしたアンケートを元に、自己決定と幸福度に関する研究結果を発表した。

人間、どれだけ「自分で決めてきたか」
幸福度が変わるらしい。

それを聞いて「やっぱりな」と思った。
良かった。
自分は間違ってなかった、と。


私は、娘たちが小さなころから
「自分で決めること」を大事にしてきた。

朝ごはんに食べるもの。
保育園に来ていく服。
習い事をするしない。

もちろん、すべてではない。

まだ何も知らない子どもたちが、まだ知らぬチャンスを逃すことの無いように、親として意見することも多々あるし、とりあえず今日は私の言うことを聞いてもらっていいでしょうか…?という日もいっぱいある。

でも基本的には、最後は本人に決めさせる。
それが一番大事だと信じているから。

私がどうしてそう考えるようになったのか、
その理由はたった一つ。

私の母だ。

自分の「好き」を長い人生をかけてとことん突き詰め、若い頃から親の言うことを聞かず、ひたすらに自分のやりたい道を、自分の進みたい方へ進み続けた女性。

今日はそんな自己決定の塊である、
母の話をしようと思う。


私の母は陶芸家だ。
もう50年以上、陶芸家として生きている。

私の実家の1階半分は母の仕事場で、靴のまま入れるその部屋には、いろんな種類の粘土が置かれ、ろくろがあり、たくさんの道具と釉薬が並び、外には窯場がある。

おかあさん なあに
おかあさんて いい におい
せんたく していた においでしょ
しゃぼんの あわの においでしょ

童謡「おかあさん」より

私の「おかあさんのにおい」は土のにおいだ。
そして、薪が燃えるけむりの焦げくさい匂い。
私はその匂いが大好きだ。安心する。

母はいつも仕事場で、お皿やカップなど日常使いの食器から、「夜空の交響曲シンフォニーとかいう、コナン映画のタイトルみたいな題名の、巨大でよくわからん壺まで、毎日様々な作品を作り続けている。

そんな母だが、見た目は完全に平野レミだ。
平野レミそのまんまの姿で、なんなら本人よりも派手な原色のアフリカンなエプロンを着て、いつも土だらけになっている。実際中身もほぼ平野レミだ。せっかちでパワフル。

昔、横浜中華街の初対面の占い師さんに
「あなた、自分のお母さんみたいになりたいなんて思ったらダメよ。あなたのお母さん、普通の人じゃないから。」と言われた事がある。会ったこともないのによくわかったな、と思った。

しかし、それもまんざら間違いではない。母は芸術家だ。普通の感性や価値観は持ち合わせていない。何か真っ当なアドバイスが欲しい時は母に聞いてはならぬ。返って来るのはナナメ上45°からの超ポジティブな提言だけ。それが私の母だ。


母は、大きな呉服屋を経営するとても裕福な家の、5人兄妹の末っ子として生まれた。


私は母に聞かされる幼少期エピソードを、
ずっと嘘だと思っていた。


母が生まれた家は旅館のように大きなお屋敷で、庭には池が4つあって、そこにはたくさんの鯉が泳いでいたこと。広い玄関や立派な応接間があり、お父さんが髪を切るためだけの散髪部屋もあったこと。

住み込みのお手伝いさんが数人いて、専属の庭師が毎日庭の手入れをしに来るとか、お抱えの床屋さんが毎週髪を切りにくるとか、お祝いがあると寿司屋が家に来て居間にあるカウンターで寿司を握るとか。

祖父が一代で築いた呉服屋は北海道に本社を構えたが、多くの社員を抱え、東京にもビルを持ち、祖父は外車を乗り回していた、と。

他にも、お金持ちエピソードがたくさんあったが、母はいつも自分の話を力士のメシくらい盛るので、私はそれを本気では信じていなかった。

でも、母の兄姉が話すエピソードも同じ規模感だったし、母を函館公会堂に初めて連れて行った時、「昔住んでた実家にそっくり…」と目を潤ませて感動している母をみて、もしかしてあれは本当なのかもしれない、と思った。

函館市公会堂

そんな母は、
幼少期から自分の意思を絶対に曲げない子だった。

姉が買ってもらったランドセルを、幼稚園児の自分も欲しいと言ってきかなかった。親が勧めた中学には行きたくないと、試験当日は解答用紙に何も書かずに提出した。自分が行きたいと決めて入学した高校では留学を希望したが、内緒で申し込んだのが親にバレて、手を回され留学には行けなかった。

その後、親が勧めてきた短大の家政科を断り、東京の大学の美術科へと進んだ。

親にはデザイン専攻だと嘘をついた。
ファッションデザイナーになるのなら…と渋々許可した父に黙って、実際には陶芸専攻に進み、山小屋にこもり器を焼いていた。

祖父は、死ぬまで「娘に騙された」と言っていたらしい。権力を自分の物にしていた祖父にとって、唯一思う通りにならない人間が母だった。

そんな母はもちろん、
親が持ってきた縁談も全て断った。

そうして、うちの父と恋愛結婚した。
父はこれまた、信じられないくらい貧乏だった。

ド貧民と大富豪がトランプのごとくシャッフルされ、結果、間に生まれた私はごく普通の一般市民に育つことができた。

母が自分で決めたことで唯一後悔していることがあるとすれば、きっと結婚相手に父を選んだことだろうと思う。
私もそんな二人の間に生まれておいてこう言っちゃあなんだが、あの父は、決して最良の決断だったとは言い難い。でも仕方ない。自己決定したとなれば諦めもつく。とりあえず今も連れ添っている。

そんなわけで、若い頃から親の言うことを聞かず、自分のやりたい道を進み続けていた母は、若くして陶芸家となり、美術の先生や陶芸教室もしながら、当時はめずらしい女流陶芸家としてこの辺りではそこそこ名の通る作家になった。

非常にクセの強い義両親との同居は、考えただけで苦労の多い日々だったと思う。しかし、それでも母には自分の好きな仕事があった。

毎日、家事の合間に仕事場で作品を作り、夜を徹して窯を焚き、そしてまた凡人には到底理解出来ぬような芸術的な作品を作り続けた。

母は、29歳で兄を産み、33歳で私を産んだ。

母は窯を焚き始めると、夜中も1時間ごとに窯の温度を見に行き、仕事場の隅でグラフに付けていた。きっと寝不足だったと思う。なのに朝は誰よりも早く起き、私たちに毎日お弁当を持たせてくれた。

そんな母に育てられた私は、母の幼少期とは違い、小さい頃から「いい子」で育った。親の言うことも比較的ちゃんと聞いたし、反抗期もなかった。

私が進路を決める時、母はいつも私の意思を尊重してくれた。

母はめっちゃ自分の意見はハッキリ言うので、いつも、なにかと口は出してた。でも、最終決定は私にゆだねてくれた。私にはそれがちょうどよかった。

母の口癖は「私みたいに、大好きなことを仕事にすると人生幸せだよ」だ。

信じられないくらいのたくさんの苦労を人には見せずに、明るく、あっけらかんと私たちを育ててくれた母には本当に感謝している。そして、その恩はいつまでたっても返せずにいる。


私も大人になり、妻になり、母になった。

20代の頃に決めた将来の目標手帳に
「母をルーブル美術館に連れて行く!」と書いた。母はずっとルーブルに行くのが夢だったのだ。

お金を貯めたら連れて行こうと思っていたのに、私はあれよあれよという間に結婚し、三姉妹の子育てに入り、教室を持ち、なんならそうこうしている間にコロナや円安もきて、連れて行ける余裕がなくなった。

そんな中、母はあっさりとこの春、
叔母と二人でパリへ行ってきてしまった。

叔母とご機嫌よろしくオーシャンゼリゼした後、念願のルーブル美術館もしっかりと見てきて、サモトラケのニケの前で満面の笑みで記念写真を撮って帰ってきた。

ま、同行出来ない事情がたくさんある私も仕方ないけど、どうにか他に親孝行出来ないか。そんなことを考える歳になった。

ただ、自己決定の塊の母は、今までの人生でも、自己決定で様々なことを決めて叶えてきた。

ここ10年ほどでも、実家の隣の家を買いギャラリーに改修して様々なイベントを企画したり、陶芸教室の生徒さんやお友達としょっちゅう旅行にも行き、ドイツとイタリアに1か月間修行の旅にも出たり、年老いて尚、やりたい放題だ。

行きたいところには行く。
会いたい人には会う。

私が親孝行しなくても、
どう見ても楽しそうな人生だけどな。

だが、しかし。

「親孝行、したい時に親は無し」
イヤな言葉だ。

正直、今まで何度となく私たち兄妹は実家の危機を救ってきたから、それだけで本当に私たちは良い子どもたちだと思うし、まぁ、私たちが幸せな人生を送っているだけで、十分親孝行だとは思うけど、それでも何かしたい。

そんな時に11月に東京に行く話が出たので、思い切って母も連れて行くことにした。

私が推し活をして人生謳歌しているところを見てもらうのが、一番の親孝行だと思ったからだ。

ママ、私、人生めっちゃ楽しんでるよ。
私もママみたいに毎日好きな仕事して、
好きな時に、好きな人に会える人生だよ。
それだけで最高じゃない?

たった一泊二日。
初めての母娘旅行だと思う。

少しいいホテルに泊まって、少し良いごはんを食べたい。初日は私の推し活に付き合ってもらうが、二日目は母の希望を叶える。

まだまだ親孝行もスタートラインだ。
(いや、でもまぁ、よく考えたら、前に箱根にも連れてったし、一族で旅行行ったり、温泉旅館に泊まったりもしたし、結構してんじゃないか?親孝行…。←という気持ちは置いといて)

もっともっと親孝行出来る、精神的、そして経済的余裕を身に付けていきたいな。

東京では、せっかちでパワフルな母に振り回されること間違いなしだが、とっても楽しみだ。

それまで、とりあえず一生懸命働こうと思う。



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