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人生の軸となりそうな32歳のイロイロ

この時期に出会うこと、取り組んでいくことが、今後の人生に大きく影響してくる気がしている32歳、秋。

息子3歳、娘0歳、
子どもを出産してから、なんとなく人生のどん底か、底よりもちょっぴり上の方にいる。
たまに、水面から顔を出したりするけど、やっぱりまだ底にいたいらしく、出たり入ったりを繰り返している。

わたしは果たして、好きで底にいるのだろうか?

出産してから、今までの価値観や、考え方、なんかもう色々、とにかく全部、ぶっ壊された。


出産するまでは、わりと自己肯定感高めに、いぇーーーい!!!って感じで生きてきた。

いぇーーーい!って感じに生きてきたって表現がぴったりすぎて笑った。


出産してから、そのいぇーーーい!が引っ込み、、、わたしなんぞが。みたいな、なんかよくわからない自己否定感みたいなのが膨れ上がってきて生きづらい。


この生きづらさの原因を
両親のせいにしてみたり、両親の育て方のせいにしてみたり。
アダルトチルドレンや、インナーチャイルドって言葉に出会って、興味を持ち、あ!私のことじゃ。って興奮するけど、どこかで生きづらさは消えていかなくて。


一見、明るくて元気でハッピーオーラ満載な私(自称)

今は、
両親との関係に悩み、息子との関わりに悩み、
友だちとの関係に悩んでいる。
息子を通わせている幼稚園も、なんか嫌〜、そこにいるママもなんか嫌〜、
でも何をされた訳でもなく、むしろよくしてもらっている。

※悩んでいるけど、実際に問題が起こっている訳ではない!!

コレだ。ココなのだ。問題は。


悩みを見事に作り出しているのは、他の誰でもない、この私だったのだ!!


人生イチ、生きづらいと思っている32歳。

自分の中でのどん底(どん底は人それぞれ)

どん底の中でしか見えない景色がある!!
どん底でしか出会えない人、事がある!!


悩むだけ、そっから出ようと、なにか変えようと必死に頑張る訳ですよ。

その必死さは、周りに悟られないように、コソコソと頑張っているのだけど。


最近、ちょっとずつ、底から這い上がれそうな、浮き輪的存在なものを見つけた気がする。

その浮き輪はまだまだしぼんでいて、これから膨らませないといけないのだけど、これからの人生にずっと寄り添ってくれそうな浮き輪っぽいのだ。


ただ、自己受容して生きていきたいだけだった。


自己受容という名の浮き輪を手に入れたい!!!


そう心から思った。


子どもたちには、いい大学に入らなくてもべつにいいから、いい会社に入らなくてもべつにいいから、自己受容という浮き輪を手に入れて欲しかったんだ。ということに気がついた。


自己受容とは、あるがままの自分を理解し認めたうえで、全てを受け入れることを指します。 「あるがままの自分」とは、いいところも悪いところも全てひっくるめた「自分」のです。 自己受容する場合には、長所・短所それぞれを評価したりはせず、無条件で受け入れます。

baby park

わたしは、ウチの両親の、息子に対する関わりに嫌悪感を抱きまくっている。

嫌悪感こそ、自分の理想の生き方を生きていく上で大切な鍵だと思い、嫌悪感を深堀した。


ウチの両親は、息子に対して、
いい事をしたらめちゃくちゃ褒めてくれる。
でも、うるさくしたり、騒いだり、悪い事すると怒るし、嫌そうな顔をする。

それがめちゃくちゃ嫌だった。

でも、わたしも息子に対して、騒いだりして欲しくないし、お利口にして欲しいと思っているのも事実だ。
「そんなことしたら、鬼くるよ?」と脅してしまうのも最近の反省点。


ウチの両親が息子に対する関わりで何が嫌だったのか。


条件つきの愛情

これかもしれない。

いいことしたら嬉しそう。可愛い時は、可愛い。
でも悪いことしたらガッカリした表情するし、心配そうな顔もする。


いい時も、わるい時も、どんな時でも
「あるがまま」「ありのまま」を認めてほしい!!

そんな強烈な思いが私の中にあることに気づいたのです。


わたしの強烈な嫌悪感の中に、わたしの強烈な願いが隠れていた。


どんな時も、「あるがまま」「ありのまま」を認めて欲しい!!!


わたしの幼児期は、手のかからない「お利口さん」だったらしい。

赤ちゃんの頃は泣き喚いて大変だったと。


両親を安心させたくて、ガッカリさせたくなくて「お利口さん」になっていったのかもしれない。


もう自分の生きづらさを両親のせいにしていくのはやめようと思った。


自分のことは、自分で受け入れてあげたい。

子どもに、自己受容して生きていって欲しいならば、まずは自分を自己受容していくしかないのだと。そう心から思った。


自己肯定感は、自己受容が基盤となり育まれていく。

自己受容をすっ飛ばして、自己肯定感を高めていくと、

〇〇できるから、エライ!
〇〇してるから、凄い!

と条件つきの自己肯定感になってしまうのだろう。


わたしも、自己受容をすっ飛ばし、多分せっせと学生時代に自己肯定感を育んできた。

その自己肯定感とやらは、いとも簡単にぶち壊されてしぼんでしまった。


あ〜!!!自己受容したい!!
(心の叫び)


ええ、じゃあ、自己受容するにはどうしたらいいの?

あるがまま、ありのままの自分を全部認めるって、どうしたらいいのさ。


やっぱり、ここは自分の得意分野、書くこと!!

コレに尽きるかと。


書いて、書いて、書きまくって、自己理解を深める。


自己分析したり、自己理解したり、
本当の自分に出会う旅に出る!!!



本当の自分に出会うっていうのは、
キレイなことばっかじゃない。

痛いし、苦しいし、きつい!!!のだ。


だけど、その向こう側を見てみたいのだ!


自己受容できた生活はどんなのだろう。


どんな私も素敵です。
ネガティブになっても、惨めでも、辛くても、全然おっけー。

そんな優しい言葉を掛けてくれる自分がいたら、どんなに人生素晴らしいことだろう。


#自分と最高の友だちになる


は間違っていなかった。


子どもを産み、育て、

両親との関係、子育て、人間関係で
ここまで苦しんできたのには意味がある。


自己受容という名の浮き輪をあげよう!!!

これでぷかぷか浮いて生きていきなさいと。


はは〜ん、32歳、面白い人生になりそうだ。


自己受容の旅はここから始まる。




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