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虫と仲直り【ヴィパッサナー瞑想】

ヴィパッサナー瞑想リトリートから帰ってきて、少し落ち着きました。
リトリートの内容とかは動画やブログにしている人たちも多いので
もし興味がある方は日本ヴィパッサナー協会とか瞑想リトリートとかで検索すると出てくると思います^^

いつか、私もまとめることができたらまとめます。

リトリートで過ごした10日間では本当にたくさんの気付きがありました。

自分の価値観として「気付き」はとても大切にしているので、毎日が気付きの連続で本当に素敵な時間を過ごさせてもらったことに感謝しています。

その中でも結構印象的だったのが、虫との関係性・・・笑

え?瞑想リトリート10日間行って、1日10時間も瞑想して
「虫」??ですか??って思った方もいるかな?笑

私は虫が大っ嫌い。特にクモとゴキブリ、ハチとかブンブン飛ぶ系もNG。
蚊にも毎年刺されまくって本当に嫌い。

自然は好き。公園とかキャンプ、山登りにも行きたいと思うのに、
夏は虫が多く出るという理由で行かない選択をするくらい、虫嫌い。

昔、彼と公園デートしていて、木漏れ日が溢れて、心地よい空間の中で2人で深い話をしようとしている時、私の周りを虫がブンブン飛ぶんです。
私はその虫に無駄に反応を繰り返し、彼との雰囲気を壊す始末。笑
その時、彼に虫を気にしすぎ。話に集中してないでしょう的なことを言われてムードをぶち壊したことがあります😅

今回行った、リトリート施設は木々に囲まれていて自然の中に宿舎があり、トイレやシャワー室も野外にありました。盲点でした。
なんでこの夏という時期に来てしまったんだろう。施設に到着した時はまだその違和感には気付いていませんでした。
しかも、この施設では「生き物を殺しては行けない」「嘘をついては行けない」「会話をしてはいけない」という規則もあります。

初日。トイレに入って便座に座り、ドアノブのところを見るとそこには自然界で育ったんだろうな〜ってレベルの黒々としたゴキブリがどーんとくっついてました。まじでカブトムシかと思った・・・
変な汗がでる。体が緊張する。どうか飛んで来ませんようにと、慎重に外に出たのを覚えています。怖かった。。。

そこから、トイレに入る前には虫がいないかどうか?それが怖くて中々行けず、最低限の回数で収めよう。とは思いつつも自然とトイレには行きたくなるもの。抗えません。初日でトイレに行くたびにことごとく、でっかいクモ(タランチュラみたいなの)が隅っこにいたり。シャワー室にも虫が飛んでいたり、クモがいたり。外を歩いていても、ハチが飛んでくる、ハエが飛んでくる。私の意識はかなり虫に嫌悪感、無駄な反応、集中で敏感になっていました。

「これがあと10日間も続くのは結構、精神的に厳しいかも。。。」
「瞑想しにきたのに、虫が理由で帰りたい」
「なんで私のところに飛んでくるんだよ」「なんでこのトイレにいるんだよ」
「本当に邪魔だ」「虫なんて嫌い」「気持ち悪い」「怖い」そんな嫌悪感です。

瞑想を進めていく中でこんなことを言われます。

自分の体に執着しないこと。苦しみは渇望と嫌悪から生まれる。

体に苦しみをこれ以上、溜め込まないためにも、出てくる反応や感覚を良いとか悪いとか余計な反応をせず、ただただ平静な心を保ちなさい。ただ観察しなさい。生まれたものは必ず消える。生まれた泡が自然と消えていくように、それが無常であり。自然の流れであることを理解しなさい。「生まれては消える」これは変わらない真実。それに抵抗してなにになる。抵抗するから苦しみが生まれる。


最初はなんのこちゃ意味がわかっていませんでしたが、日数が進んでいく中で、観察の時間を過ごす中で変化が起こってきました。

なんでこんなに虫が嫌いなんだろう?これが嫌悪感か。私が余計な反応をして苦しみを生んでいるのかもしれない。


大きな気付きでした。

虫も同じ生き物。生まれてはやがては死んでいく。人間と同じです。
この虫たちもこの自然の流れ、無常の中で今を生きているだけだった。

虫と私。同じやん。。。仲間だった。


そして、私にも苦しみがあるように、虫にも苦しみがある。
それは生まれたら必ず死ぬと言うこと。でも虫はその摂理に抵抗したり、無駄に反応はしていないように見えた。感じた。ただ、今を一生懸命生きているだけだった。自我が無いからなのかな?自分に執着とかしてないから?

そしたら、急に虫に対しての意識、反応が変わってきました。

トイレで出会しても、あら。そこにいたのね。お邪魔します。
ハチが飛んできても、あら。ぶつかちゃったね。失礼。
窓に張り付いてるクモ。なんでそこにいるんだろう。でもそこに今は留まっていても、また居なくなるんだろうな。いつまでそこにいるのか観察してみよう。

そんな風に、嫌悪感を抱かずにただ、ありのままを観察することができるようになりました。
そうしたら虫を見た時の身体の反応にも変化が。
身体の力みや緊張、変な汗、恐れ、呼吸が止まる感じがなくなり、楽にいられるようになりました。

外的な要因「虫」のせいではなく、内的な要因「私の意識の反応」が嫌悪感や苦しみを生んでいたことが理解できた経験だったんです。


瞑想を続けていく中で、過去の記憶も出てきたので観察しました。

子供の頃は実は虫に興味津々で、好きだったことを思い出したんです。
森の中に秘密基地を作ったり、ダンゴムシを集めたり、アリを捕まえたり、蝉の子を探したり、ザリガニ釣りも大好きでした。
父と弟と夜中にカブトムシを捕まえに出かけることもありました。

虫と私の関係の中でトラウマになった出来事を一つ思い出したんです。

真っ暗な森の中、父と弟と懐中電灯使って山の中を探索。
カブトムシを探していました。ホラー映画の影響で暗いのが少し怖かった。
二の腕あたりに変な感覚があり、懐中電灯で照らしたら、なんと
私の腕にでっかいナナフシがついてたんです。本当にびっくりして。
身体は硬直、見たことない手足が長い虫。大声で叫び、振り払って、逃げました。

この経験が、大きなトラウマとなっていたのです。
その時の恐怖が無意識に身体を通して、心の深いところに刻まれ、嫌悪感を生んだ。それを今に至るまで、私は心の奥底にしまい込んでいたのだと。

リトリートの初日に、言われた一言
「みなさんはこれから、10日間かけて心の大手術をします」

身体の痛みや苦しみは、お医者さんに観察、診察してもらい原因を見つけてもらえる。その原因を治す方法を教えてもらい、手術して苦しみや痛みの原因となっている膿を取り出してもらえる。
しかし、心の傷や苦しみは他の人には治してもらえない。
自分でしか治すことができない。心の奥深くに溜まった膿を自分で取り出すのがヴィパッサナー瞑想で行うこと。
苦しみからの解放の道であり、方法である。

これの意味が頭ではなく、自分の身体と心を通して経験できたことは大きな理解につながりました。腹の底から理解できた。

リトリートから帰宅した後も虫との関係性は平等になりました。
びっくりしたのは、帰宅後にリトリートで毎日のように聞いていた虫の声がとても恋しくなり、公園に行きベンチでただ虫の声を聞いたこと。
そこで蚊に刺されることもなんとも思わない。ただ、刺されて、痒い。以上。有難いことに、日本という環境では蚊に刺されても大したことはないですしね。

部屋に虫がいても、迷い込んでしまったのかい?と声をかけて逃してあげることまでできるようになったのも驚きです。。
虫が変わったのではない、私自身が虫を見る目が変わった。意識が変わっただけ。

原因は外ではなく、内にあった。それが大きな気付きと学びになりました。

もちろん、まだまだ虫に出会った時に余計な反応をして嫌悪感を生み出すこともあると思います。その時、私が平静な心をもってその嫌悪感に気付き、観察、手放すことができればきっと苦しみは身体と心に無意識で刻まれることはないのかなと今は思ったりしています!!

ここまで読んでくれてありがとうございます。
誰かの苦しみや痛みの解放の助けになることを祈っています。


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